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保定に、そこまで長居をするつもりじゃあなかったんですが。
日本軍の斥候が喋ってるのを、たまたま盗み聴きしましてね。
自分たちの旅団長が、ひどい野郎なんだよ。
徴発厳禁だなんて。腹が減ってしょうがないよ。
強姦も禁止だって。俺たちが年がら年中やってるみたいじゃないか。
上官にも容赦なく楯突く人らしいから、不祥事起こして早く飛ばされてくれないかな。
前は満洲人だけの部隊で、最高顧問なんてやってたらしいぜ、だって。
おい、到一さんじゃねえか。
普通だったら、知人とは顔を合わせる前にトンズラするんですが。
ちょっと思いついたことがあり、日本軍が、保定へ攻めこむのを待ってました。
それなりの戦闘を経て、9月24日に保定城は、制圧されました。
いつものことですが、保定市民も日本軍を大歓迎します。日の丸を掲げて、盛大にもてなします。
連中の機嫌を損ねまいと、死にものぐるいです。
日本人がいなくなったあとでの、かれらの泣きじゃくりぶり。これから同朋に裏切りを責められ、粛清の対象にされることも覚悟せねばならない。そんな姿も、お見せしたいところですが。
日本人の前では、しませんから。
見せても、もらえないですから。
悲しいけどこれ、戦争なのよね。
さて、日本人なのか中国人なのか、便衣隊なのか一市民なのか、何の目的があって近寄ってくるのか。そんな得体の知れないチビスケが、占領地でノコノコ旅団長へのアポイントメントなんて、普通はとれないと思います。
コツがあるんですよ。
明瞭な日本語で、
「第30旅団長、佐々木到一少将にお取り次ぎ願いたい。コダマといえばわかります。特務です」
これだけ告げたら、完全監視下で、何時間でも、神妙にただひたすら待つ。
本人まで伝わりさえすれば、あとはスピーディーです。別室に案内され、佐々木少将から直々に、一体どういうことなんだと軽く小一時間お説教されますけれども。
ここで旅団長謹製の特別許可証さえ、いただければ、私の行動範囲は格段に広がるって寸法です。
ついでに、いろんな情報も引き出しました。
北支那方面軍は、さらに南下を続ける予定ですが、ここでまた再編制されるらしい。
上海が手こずっていて、そちらに一部が回されるそうです。
同時に、一気に首都・南京まで攻めこむ計画も、進められている気配ですね。
なぜならば。
支那が謝らないからだと。
勝ち目などないにも拘わらず、蒋介石は徹底抗戦を謳い、支那全土を戦火に巻き込もうとしている。かくなる上は、我ら誉れ高き皇軍が南京政府に鉄槌を下し、支那の民を誤謬から解放せしめん。
そんな大義名分からだそうです。
アホか。
到一さんも、困ったものだねという口調でしたが、だからって逆らえるわけもありませんよね。
たかが少将。たかが、いち旅団長。
サラリーマンは従わなきゃいけません。
軍人だから、反抗は即、処罰対象。
上に行くほど、バカしかいなくなる、そんな組織で。
さて、どうしましょう。困ってばかりもいられません。
ところで私は軍人ではないので、到一さんに庇ってもらえるなら、その強みを活かせると思うのですけどね。
何かお入り用のものはないですか?
食糧。衣料品。薬品。衛生用品。軍手でも靴下でも。
満洲で準備して、大連からの船便に軍用品として紛れ込ませられれば、中央へ申請するよりもずっと早く届きますよ。
旅団長権限で、どこまで可能でしょうか?
あるいは、現地でも、力尽くで徴発して回るよりは、私が出向いて交渉しましょう。
それなりの費用を払って、分けてもらえるように取りはからいましょう。
強奪よりはいくらかでも、後味いいと思うんですけどね?
そんな感じで、私は佐々木旅団長付の便利屋ボーイという、アバウトでファジイなポジションを手に入れました。
実はそんなに突飛なことでもないんですよ。
戦時でなければ、日本の将官クラスは官舎や自宅に中国人ボーイや女中の五人十人は普段から雇っているものですし、戦地でも、村人を徴発して、荷物運びやらせたり、死体を埋める穴掘らせたり、洗濯やら豚の解体やらの労役に供するなんてのはごく普通の光景です。
だから私が部隊内に寝場所をもらって、佐々木少将の従卒=お世話係として働いていても、特別、不審に思われることは、実は、ないんです。
そもそもが間違いまくっているがゆえに。私はそれを利用します。
思えば、満洲事変の参謀室にただ座ってたあの時が一番、奇妙な光景でした。あれは、今でも、ねーよって思う。
日本人の、セキュリティの甘さにも、困ったものだね。ヤレヤレ。