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民国26年8月13日、金曜日。
日本軍、上海市街地へ武力突入を開始。
朝一番の砲撃と共に、陸戦隊が掃蕩を始めた模様。
上海は海軍のショバなので、編制とか司令官とか充分なデータを私は持ち合わせないのですが。
これが偶発的な事変でも、中国側からの挑発行為によるものでもないことは、いくらでも傍証を挙げられます。
当日中に近衛内閣が、上海へも二個師団派遣を決定しているのが、根拠のひとつ。
だから今日の日本語新聞には、第二次上海事変勃発と、増派の閣議決定が、ひとつながりで載ってます。
それ以前に、8月1日の辞令で到一さんにも帰国指示出てましてね。
再編の上、支那戦線へ投じられるところまでは確定。
つまり日本は、事変を事変で収束させるつもりはさらさらなく、むしろますます戦域を拡大させる工作を今もシャカリキにやっていることが、明白なんです。
上海攻撃も、五年前とそっくり。三番煎じです。
満洲事変だって、関東軍が失敗してたら、ただの叛乱罪だった。
海軍は最初から何も知らされてないので、当時、満洲では何やってんだと遠巻きに見てましたが、年明け早々、首謀者の石原たちがなんと天皇陛下からお褒めの感状いただいちゃった。
その直後に上海へ殴り込みをかけました。
私はそのとき上海へ、バカンスに行ってて襲われたんですよ。
いまだに、あれを上回る死線をかいくぐったことはありません。日本兵の恐ろしさ、容赦なさを、殺される側から味わった、貴重な体験です。
今にして思えばね。
今度もまた、陸軍だけに旨い汁は吸わせねえって、海軍が欲を掻いたんでしょう。
猿真似のサルマネだから気楽なもんでね。七・七事変直後から、呉淞沖に大艦隊を終結させて、「上陸した水兵が中国人から侮辱された」とか、「居留民はこんな差別を受けている」とか、次から次へとイチャモンを積み上げてました。
そして、満を持しての、8・13というわけです。
しかしここで注目すべき点がひとつ。
三番煎じのサルマネ共が、
五年前の上海事変をただなぞればよいと考えているとしたら、
華北を蹂躙してる陸猿ども以上に滑稽です。
あの頃と今とでは、上海の防衛態勢も桁違いに進化してるんですよ。
それをどこまで理解しているか。陸軍と同程度にアホなのかどうか。
これを検証する機会になると思います。現地の方々には、申し訳ありませんけど。
五年前、上海では国民政府軍の常駐を禁止するという屈辱的な条約を日本は結ばせましたが、それはむしろ上海における、共産勢力の浸透を援けてきました。
かれらの情報網とゲリラ戦術が、市街地で発揮される。これも、日本軍には未知の体験でしょう。
いや、世界史的にも、かなり目新しい形の戦場ではないでしょうか。
上海特有のクリーク=運河ですね。これも五年経った今では市街地内外に、迷路のように張り巡らされています。
渡河に手間取っている部隊は、対岸からの狙撃には格好の獲物となる。
共産軍は一撃必殺の狙撃手育成に世界一熱心ですから。
こんなミリオタ目線で、最新の上海地図を見ながら、私は考えるんです。
日本、いったいどれほどの損害を出すだろうかってね。
支那なんて三週間で降参させてみせるよ、って流行語が今日も新聞に踊ってますが、前は二週間だったのが、ちょっとずつ延びてます。
見ててごらんなさい。日本人なんかに、中国は永遠に征服できやしません。
地図を見るだけで、わかること。
おまえらの脳味噌なんて、その程度。