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七・七事変より、1ヶ月経ちました。
終わる気配、ナッシング。むしろ、泥沼です。
日本、引き際の見極めはついてますか?検討くらいしてますか?
落としどころは、見えてますか?
それがわからないで戦争してる、なんてことは、まさか、近代国家ならありえないですよね?
7月末に、北平が陥落しました。
北平市長・奉徳純氏と第29軍は夜陰に紛れて脱出。
日本軍はすでに市周辺の拠点を制圧しているので、ここがひとつの区切りではあったんです。
その翌未明。冀東防共自治政府領土内、通州で、事件が発生。
満洲国と河北省との境界に作られた、非武装地帯。一昨年の暮れ、ここにあからさまな日本傀儡政権が誕生。
その中心地では、顧問という名の利権屋どもとその家族が、一等市民として高級住宅街に住みついてました。
7月29日払暁。冀東政府保安隊、約三千名が行動を起こします。
第29軍が撤退した今、東南西北を日本兵に囲まれている状況下。
逃げ場を失った中国人たちの心中をお察しください。
保安隊の先導で領土内の中国人は脱出を図りますが、その際に日本人顧問とその家族を百名ほど殺しました。
冀東政府首班の殷汝耕も引っ捕らえて連れていこうとしましたが、彼だけは日本軍に奪い返されたそうです。
いっぱい秘密を知っているでしょうからね。日本軍も、必死でしたでしょう。
この事件を最初に広報したのは、日本側です。
支那人により、我が国民が斯くも無惨なる骸を晒したり。犠牲者は非武装の民間人であるぞ。犯行現場は支那国内の独立自治体内であるぞ。これが支那人の本性である!我々はあらためて毅然と、支那を膺懲せねばならないのである!と。
北平市内ではすでに五千人を超えるとみられる支那人の御遺体がカラスの餌になってますけどね。
膺懲するなら、公平にやりましょう。
ともあれ、通州での一件は、日本国内をさらに好戦ムードへと掻き立てた模様です。
支那人を一人残らず殺すべし、と息巻いてる人が、いっぱいいるみたいですね。
それ以前に、日本人を一人残らず殺したい人が、中国大陸だけで、どれだけいるだろうと考えてみたんですが。
実はそんなに、いないかも。
支那の民は生来、とっても平和を尊ぶ人々なので。
だって中国大陸の住人が、日本の領土へ攻めていったのって、656年前の元寇が最後なんですよ。
日本はそれ以降、大きな侵略行為だけでも、11回やってます。満洲事変が9度目です。
どっちが好戦的種族かなんて、考えるまでもないでしょう。