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ハルさんの予言どおり、林内閣はたったの4ヶ月で倒れました。
予言というか、倒したんでしょ。
どういうことかと、公開ソースを手掛かりに、分析します。
2596年3月9日、廣田弘毅内閣誕生。2・26で倒れた岡田内閣の、後継です。
外相は当初、首相が兼任してましたが、1ヶ月後に有田八郎氏が就任。
中国語記事によるとこの有田、きわめてガラの悪いチンピラだということです。
日本語でも大した業績は報じられてません。西安事変にも、外相のくせにノーコメントでした。
陸相・寺内寿一。昔むかし、日本がシベリア出兵おっぱじめたときの首相の、息子です。
良くいえば、サラブレッド。実態はどうやら、甘やかされすぎたボンボン。
国会で難癖つけられたと騒ぎ、自らの内閣を潰した世間知らずです。
これも石原のシナリオだったのか。だとすると、またどこかで出てくるかもしれませんね。寺内。覚えておこう。
2597年2月2日。一年も経たず、行政府刷新。次の首相は、林銑十郎翁です。
私の記憶にこの人が最初に登場するのは、満洲事変。
あのとき、朝鮮軍司令官でした。タネさんが、満洲へ応援に行かねば!と鴨緑江を勝手に渡るのを、止めなかった責任者です。
二年後、荒木サダオの代打として陸軍大臣になりました。永田軍務局長とタッグを組んで、陸軍内に浸透していた皇道派を解体しはじめますが、頑強な抵抗に遭い、永田さんが惨殺されたあとで大臣を辞めます。
改めて確認すると、林内閣って、ヒドいんですよ。
大臣は13ポストあるんですが、8人しかいない。やたら兼任なんです。
林総理は、外務と文部大臣を兼ねてました。
外相は途中で、佐藤さんて方に替わってますけど、それにしても、ヒドい。
じっくり考えて決定を下す余裕も無いでしょうし、役所もハンコ待ちの行列がいつまでも減らないでしょう。
4ヶ月でチェンジというのは早すぎますが、内閣の権限で国会を解散させ、1ヶ月後の総選挙でますます現内閣への反対票が増える結果となったため、辞職に追い込まれたという顛末だったようです。
ヒドいヒドい。と嗤ってすませたいところですが、これがぜんぶ石原軍団の計画とするならば、その背後に潜む狙いを、見極めなくてはなりません。
とはいっても林内閣、ほんと仕事らしい仕事してないんですよね。予算通したくらいか。
林銑十郎が石原莞爾の言いなりなのであれば、もっと長く続けさせて、使いようもあったように思うのですが。そうはいってもこの陣容では、続きようもないかあ。
林が、逃げ出したのかもしれません。やってられんわってね。
6月4日。その後継として誕生したのが、近衛内閣。
総理大臣、近衛フミマロ。
貴族ですね。軍歴は無いようです。石原とどういう繋がりがあるのかは不明。
外務大臣に廣田さん返り咲き。
すでに南京政府からの期待度も地を這ってますが、石原にとっては利用しやすい人物なのかどうなのか。敵か味方かも、正直もはや、わかりません。
陸軍大臣、杉山ハジメ。
名前はよく見る人ですが、ピンときませんね。
以上です。知らない名前ばかりだし、所信表明なんて新聞屋向けには誰だって当たり障りのないことしか言いませんし求められませんから、判断がつきません。
何かおかしなことをし始めたら、気をつけます。それまでは、経過観察。
内地の情報は、とくに政治と軍部の動向についてはこれまでハルさんを頼ってたところあるんですが、今後はちょっと気をつけなくちゃいけない。
となると、到一さんか、小林をうまく使って探ることになりますけど、かれらも日本の内情を私以上に知ってはいないし、知りたいことをダイレクトに突っ込めないんですよねえ。
困ったなあ。どうしたものだろう。
日本にいるジャーナリストといえばシュトラウスしか思い浮かびません。彼だけは日本の行く末を正確に見抜いていると思うのですが、ドイツ人向けにはそこまで書きません。日本人には言っても無駄だから言わないでしょう。
せめてファンレターを書きます。匿名で。
もっと語ってほしい。あなたの分析を読みたいと。そんな、エールを。