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メリークリスマス。
私は良い子じゃないので、サンタさんは今年も来てくれませんでした。
南京には、蒋介石が帰ってきました。とりあえず、おかえりなさい。ちょうど、二週間ですか。監禁されてから。
世界中が見守ってたんですよ。どうなることかと。
いまだ真偽の見境つかない、いろんな情報が飛び交っているので、レポートは落ち着いてきてからにします。
それでも、現時点で想像できる、今後の展開を黙々と模索。
張学良が一緒についてきて、南京で即逮捕され判決待ち。ってのはコレ、マジなんですかね。
お咎め無しなわけないだろ。君のしたことは立派な反逆罪だからね。獄中でじっくり反省したまい。
学良配下の旧・東北軍は西安に残ってますが、かれらが学良以外の新司令官に従うとは思えません。学良が中共とつながってたっていうのもどうやら疑いないところなので、手下どもは延安の共産党に合流するんじゃないでしょうか。
蒋が共産党への憎悪をこれまで以上に爆発させたとしても、こうなると、殲滅は難しいでしょう。
合流しないにしても、東北軍を今のまま国府軍下で配置につけることは危険です。戦力として期待できない。
共産党からしたら、蒋を黙って南京へ帰すわけもありません。必ず、何らかの条件をつけたはずです。弱みを握るとかして。その条件とは、何だろう。
孫中山先生の時代に、国共合作というのがありましたが、あれを、蒋ができるとは、思えないんですよね。日本と戦うために内戦を一旦終結させるくらいが関の山かと。
あるいは、いったん蒋が政府から下野する。しかし蒋に代わって国府軍を統帥できる人材がいるかといえば、正直おぼつかない。
もし中共が蒋を殺してたら、それは日本の思う壺でもあったわけです。それをしなかった中共はほんと、切り札の使い方をわかってると思う。どこかの不干渉国と違って。
中国軍の現状について、ちょっと整理しておきますか。
国民政府の黎明期。支那国家にとっては、大英帝国を筆頭とする西洋列強を排除することが最大の課題でした。
当時は日本が軍事顧問や武器提供の一部を担ってましたが、張作霖や段祺瑞といった北京政府側へもガッツリ支援をしていたので、孫先生は新興国家ソ連に助けを求めたわけです。
ソ連は国民政府軍をまたたくまに精鋭の戦闘集団へと改革します。
そして政府そのものも乗っ取ろうとしますが、孫先生が亡くなって、一度コミンテルンへ殺されかけた蒋介石が徹底的に共産系を排除。そのまま蒋が権力を掌握し、現在の南京政府へとつながっていくわけです。
南京を首都にしたのと同時に、蒋は国府軍の軍事指導をドイツに求めます。
日本イラネ、です。
というか日本はそんな流れを一切学習する気配もなく、今に至るまで、支那人なんて黙って自分たちのあとをついてきて飯つくって洗濯してやりたい時にやらせて外で遊んできても文句も言わず笑顔で亭主を立てて暮らせ、という態度を貫いているわけです。DVも年々烈しくなる一方です。
脱線しましたね。
爾来八年間、国民政府軍に戦術指導をしてきたのはドイツですが、目に見えた成果が出ているかというと、正直、ありません。
具体的情報が得にくいので、あくまでミリオタのはしくれとして、大雑把に解説します。
WW1で敗戦したドイツはマイナスからの再出発を強いられました。その逆境がヒトラーという英雄の擡頭を生み、近年になって軍事力の拡大に国費を注ぎ込めるようにまでなってやっと、自己肯定感に火が灯された段階です。
共産主義は極右と相容れる思想ではなく、ヒトラーは今のところ、ユダヤ人よりもコミュニストへの悪口を声高に叫んでいます。
共産主義を徹底的に嫌う蒋介石とはこの点でウマが合うと思うのですが、そうはいってもドイツの対外支援はまだまだ余力に乏しく、中華民国への影響力は限定的。
加えて、反共という点では日本も相当に極右陣営です。日独は防共協定を結んでいます。これも、ドイツが国民政府への支援に本腰を入れることを鈍らせる理由のひとつといえるでしょう。
なんだか今日は、話が飛びすぎましたね。
飛ぶといえば、サンタさんはそろそろ、プレゼントの配り方、変えた方がいいかもですよ。
これからの時代、なにか飛んでるぞと発見されたら、それはほぼ、偵察機か爆撃機です。
撃ち落とされても、文句はいえません。ご自愛くださりませ。