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陝西省の西安というと、緯度だけは日本の四国地方と同じくらいですね。
内陸の山岳地帯だそうなので、12月の今は、相当に雪深いようです。
行って見てきた人の記事だと、そこまで書いてくれてある。
綏遠省の百霊廟も、緯度は新京と同じくらいなので、豪雪地帯でしょうね。
ここで、いったい、何が起きているのか。
想像力を駆使しなければ、近づくことさえ、ままなりません。
綏遠は、内蒙古に属します。
遊牧民族モンゴル人が生活を営んでいる、広大な内陸地帯のうち、ロシア寄りの北半分が外蒙古。支那寄りの南半分を内蒙古と通称します。
外蒙古はすでにかなりソ連の影響下で共産主義化してますが、内蒙古のチャハル・綏遠・寧夏はそれぞれ中華民国の一部として、国民政府に所属する省長を戴いてます。
今回はモンゴル族内での人種や、宗教的な区分はひとまず無視します。地理的条件のみで考えます。
数年前から民族自治が叫ばれ始め、内蒙古ではモンゴル人の歴史や文化を尊重し、モンゴル人自身によって統治していくべきだという要求が高まります。これに対して南京政府は、軍事と外交を除く大幅な自治権を、各省に与えてきました。
国境周辺警備および災害対応などの治安については、既存の軍にやってもらった方が早いので、現地には国民政府軍が常駐してますが、サーベルがちゃつかせて市民を脅し、強請りまくるなんてどこかの国みたいなことは、常識的に、しません。
さて、内蒙古三省のうち、満洲国熱河省および中華民国河北省に隣接するチャハル省は、すでに日本軍から相当の圧力をかけられ、政府としての機能を果たせない状態まで侵食されています。日本軍は次なる標的として、おひとつ隣の綏遠省にやってきました。
11月中旬、軍事衝突が起きます。現地の国民政府軍が、日本軍の火器で武装したモンゴル人戦闘団から、攻撃を受けました。
三者それぞれのコメントは以下のとおり。
戦闘団「私たちも満洲国のように独立したい!日本が武器を貸してくれるって!政治指導もしてくれるって!国民政府、いらない!」
日本「はっはっは、がんばりたまえ東亜の子よ」
南京政府「ふざけんな」
戦闘は一週間ほどで終結しました。北平や天津を出発する日本軍からの補給ルートが、絶たれたため。
前線に備蓄された、日本から提供された食糧や防寒具は、すべて国民政府軍が押収しました。
南京政府「ごくろうさま。よく戦ってくれた」
現地国民政府軍「なんのこれしき。ごちそうさま」
モンゴル戦闘団「ごめんなさい。もうしません」
現地一般市民「まったく日本人のやつらは」
日本政府「この度の事件は純粋なる支那の国内問題であり、吾国の関知するところではありません」
その翌月には、もっと不思議な、西安事変が現在進行中ですが、ちょっと休憩もらっていいですか。
次回、張学良リターンズ。そして蒋介石、絶体絶命。