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戦車、あったよ。
あ、宮本光一です。某、陸軍関係の会社の社長をやっております。
たしかにこれは面白いねえ。面白いというか、なんとしても、手に入れたいねえ。
去年、震災がありまして、我社も相当深刻な打撃を被りました。
工場自体は無傷と言ってもいいくらいなんですが、仕事がガクーっと減りましてな。
ただでさえ山梨軍縮で泣きそうになってたところへ、追い打ちですわ。
そこで、いろいろ手を尽くして、いろいろ、やっておったんですが。
これも最初は、コダマ君のひとことだったですかな。
欧州大戦で、戦車というものが、開発されたと。
開発というか、イギリスが最初に実戦投入して、ドイツとの戦線へ何台も送り込んどるんです。
ええもうある程度調べはついたんで今わかっとる情報で整理しますけど。
欧州大戦は、ひとことでいうと……ああ一言はさすがに無理やね。戦術、戦略、兵站に至るまで、ありとあらゆるものが進化しました。
たとえばその象徴のひとつが、塹壕です。
ドイツ、オーストリアなどの中央同盟軍と、フランス、イギリス、当時はロシアなどの連合軍。
この二大勢力が足かけ五年に亘って戦ったんですけど、前線は穴ボコだらけ。
延々と横に広がった長い穴を掘って、その中に兵士を待機させて、資材や司令部も穴の中に隠して、にらみ合っては時々突撃して、というので一進一退しておったわけです。
なんでこんな風になったかというと、機関銃、それから、ダイナマイト。
航空機も偵察、爆撃、銃撃など広く使われるようになってきてましたんで、のこのこ地上を密集して行進するだけでネギしょったカモです。
ときの声を上げて、威勢よく吶喊。日本はまだ正々堂々とこれやってますけど、欧州ではもはや、こんな時代は永遠に過去のものであると。
なんとも殺伐とした戦争ですなあ。これじゃ殺し合いのための殺し合いじゃないですか。
ともあれ、塹壕戦です。
これは、なかなか、進みません。鉄条網という、太い針金を先端とがらせて巻き付けた柵も至るところに張り巡らされておったので、事前にこれを切断しておかないと、突き刺さってえらいことになります。
これがまた厄介で、杭に命中させん限り爆風はすり抜けますんで、大砲でも排除できません。人間が切りに行く必要がある。
もちろん、相手が攻めこみやすい突破口をあえて作って、夜間それを切りにくる兵士を狙うように機関銃隊を配置しておくわけですな。
どうですか、憎ったらしいにもほどがありましょう。
さて、戦車です。
イギリスが、陸上軍艦として開発したようです。巨大な装甲車。八人乗りで、履帯で進みます。
履帯というのは、無限軌道とも言います。金属製の板を車輪に巻きつけてて、泥の上でもしっかりと地面を噛むので、どんな悪路でも走れます。
車体は全長10メートル。これが、鉄条網も、塹壕すらも乗り越えて、突き進むんですな。
うしろに歩兵が続きます。戦車が道をあけたところになだれ込みます。
同盟軍兵士にとっては恐怖の的で、それはもう悪魔と呼ばれて。機関銃でも歯が立ちませんからな。戦車が出てきたら逃げろと。いえ、もしドイツ軍が戦車を使ったらイギリス人も同じこと言うと思いますけどね。
とにかく、とんでもないもんが現れました。
まことに、とんでもないです。
石原大尉がドイツで、下宿のおばさん伝てで紹介してもらった帰還兵の方に、この戦車を生で見た方がいらっしゃって、それをコダマ君宛ての手紙で読ませてもらいましたが、私も興奮ひとしおでした。
大尉がいちばん興奮してたんですが。コダマ君はあいかわらず冷静でした。
ちなみに、攻略法としては、地雷が有効という結論ですねえ。
底側は装甲が薄いので、戦車が近づくまでのあいだに決死隊が地雷を置いてきて、踏ませられれば履帯を破壊できる。除けられそうなら地雷への狙撃を試みる。
いずれにせよ命がけですけどね。そんな話もいろいろ大尉伝てでわかりました。
大戦が続いてる間に、この戦車も進化していきまして。同じ連合国のフランスでも戦車が作られました。
こちらは塹壕越える用ではなく、指揮官が戦場を効率よく動き回れるようにという目的だったので、二人乗りで速度重視。
小回りがきくのと、主砲も前後左右に回して撃てると。
イギリスの悪魔とはうってかわって、かわいらしい戦術騎兵とでもいいますか。
悪魔より安価で、数もたくさん作られました。攻められる方からしたらどっちも恐怖ですけどね。
機関銃でも、イギリスのマキシムは大火力で、フランスのホチキスは小型軽量でしたけど、戦車も同じです。お国柄ですね。
さて、イギリスは戦車を国家戦略の要として門外不出としましたが、フランスは外貨獲得の必要もあってこの戦車の輸出を始めました。
我が日本も、これを購入しとるんですよ。しかも十数輛。四年前に。
ああ。軍縮前の、景気のよかった時代ですなあ。
営業部がなんとかして探り出したところによると、福岡の久留米で研究が進められておるそうです。あと、千葉にも。
震災がなければ、近々、陸軍内に戦車隊を創設するという計画も、かなり進んでおったようです。
フランスからの輸入で今後もまかなう、という気は陸軍でも、さらさらないようで。すでに国産化へ向けての開発に予算が出ておったみたいです。
おそらく、小石川の陸軍科学研究所か技術本部が総本山だったと思いますが、震災のときに砲兵工廠が吹っ飛んでしまいましたから、もしかしたら、研究資料も一切失われてしまったかも……なんですが。
ですが、これは災い転じて福と成す。そんな心構えでいきましょう。
私でも知らなかったくらいですから、戦車開発は極秘中の極秘事項でありましょう。
同業他社の参入も、されてないか、極めて限定的と見ます。そこへ今回の損失。
現場の開発者たちの落胆もさぞや大きいでしょう。
そこで我々の登場です。
我々には、技術力があります。
大きなものはまだ得意ではありませんが、もちろん車体とか砲塔とかエンジンを作るお手伝いはできませんが、いろいろ細々としたものをですな。照準ですとか操縦系とか。いろいろ創意工夫の余地はあると思うんです。
どうか、我々も、お国の未来のために、協力させていただけませんでしょうか。
コダマ君も、やってみたいですねと言うてくれてるんですよ。これはほんま、心強いことでね。
あとは、仕事をとってくるだけです。だけ、いうてこれが大変なんですけどね。
そういうわけで私もしばらく外回りが増えます。
やはり社長直々に、でないと、まとまるもんもまとまりませんからな。とくに陸軍さん相手では。
まあ、接待ですわ。がんばります。がんばりますとも。
社員を一人たりと路頭に迷わすようなことは致しません。
決死の覚悟で、仕事をとって参りますよってに。