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コダマです。康徳3年の夏。満洲は悪天候続きです。
4年前の北満大洪水には及びませんが、それでも京濱線で橋梁が流されたりして。あじあ、運休。
ベルリンへ向かう日本のオリンピック選手団が足止めを食らったりなどのトラブルで、連日賑わってますコンチクショウ。
満洲国からの五輪参加は今のところ、ありません。国としての参加資格、満たしてないもの。
建国五年目。
最初の頃は、諸外国へ国交開設希望書などを送りまくったりしてたんですが、年々日本の植民地感が強まっていくにつれ、中の人たちも、
「そのうちでいいんじゃね?」
て気になっているのか。
最近は、独り立ちへ向けての努力すら、してなさげ。
ああそうか、鄭孝胥初代総理はそれ言っちゃって馘にされたんだった。無職になっても、関東軍の監視下で軟禁生活してるという噂です。
そんな話ばっかりで、超ウンザリ。
華北では5月から、またぞろ怪しい動きが始まってます。
緩衝地帯内での、冀東・冀察2つの独立政府はあいかわらず猫パンチを繰り出し合っておりますが、すでに日本の野望はその先の、天津・北平攻略へと狙いを定めています。
支那駐屯軍は2561年、天津を拠点に創設されましたが、その議定書は清王朝との間で交わされたものを今も引き継いでいます。ここでは兵力の上限が規定されているんですね。具体的には10個中隊、2000人まで。
関東軍からも応援を回してもらってるとはいえ、こんな規模で河北省を丸ごと脅かし続けていたというのは驚きです。
それでも、国民政府の現地守備隊である第29軍の戦力では抵抗できない。
これもまた、恐るべき現実です。
廣田内閣によって、ということになっちゃいますが、現地からの度重なる増援要求に応えて、増兵が閣議決定されたのが、4月17日。
一ヶ月後、冀東政府の支配地域を経由して3000名の陸軍兵が天津と北平へ送りこまれました。二杯目三杯目のおかわりも、準備中のようです。
国民政府は条約違反を批難してますが、廣田首相も、4月から外相に就いた有田という大臣も、治安維持のためやむを得ず、と答えるばかり。
四億歩譲って治安維持が必要なら、国民政府や現地警察に任せその管轄下へ入るべきですし、日本軍が出しゃばるにしても先に相手側の了承をとるべきでしょう。そんな道理も知らないのですか。
なんて言っても始まらない。
無法者に理を説くのは無意味ですし、そんなことしてる間に押し倒され、なぶり殺されるだけの話です。
さて、どうしたものか。
南京政府としての動きなのですが。
二年近く前になりますね。江西省瑞金の共産党本部を壊滅させ、毛澤東もついにお陀仏かと思われてたんですが、どうやら生き延びてました。いつのまにやら、陝西省の延安という、砂漠の奥の奥のさいはての秘境の彼方らしいんですが、古城にこもって、そこが現在、中国共産党の一大拠点となっているそうです。
蒋介石の戦闘団は、目下そちらへ全兵力を集中させているという。
私は思う。
中国は、統一しなくてもいいんじゃないか。
無理に統一すべきじゃ、ないんじゃないか。
だって南京からは北京てほんとに、目が届かないですもん。北米大陸やロシアの国土に憧れを抱くのもわかるんですが、中国が今から同じようにはなれない。むしろ中央集権化すればするほど、地方の力が弱体化して、日本みたいな国に、端からどんどん奪われちゃう。せめて、素早い意思決定と、地元の踏ん張りを引き出すには、政府は各地に置くべきで、状況に応じて兵力などを融通しあう。こうしないと、難局は乗り切れないんじゃないですかね。どうでしょう。
もっと、こじらせてからでないと、気づいてはもらえないかしら。
人類は、まだそこまで、お互いを信じ合えるようにはなっていないのかしら。