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九段の戒厳司令部から、しょぼくれた男が出てきました。
おや、なつかしい。遠藤くんではないですか。
声をかけます。コダマですよ。二年半ぶりですかね。
今は、陸大で、教官をやってるんだそうです。
歩きながら、話をします。
遠藤三郎中佐は、皇道派とか統制派とか呼ぶには中途半端な、どっちつかずですけど、日頃、学校で青年将校たちと触れあっているだけに、革新を求める気運もよくわかる。
なんとかこの一大事を平和的に解決できないかと、いても立ってもいられなくなり、司令部までやって来たんだそうです。
司令部では、石原参謀が一人、気炎を上げていたって。
手ぬるい。全国に戒厳令を敷き、直ちに逆徒を鎮圧するべし。後継内閣もすぐ組織して平穏を取り戻し、対ソ戦への準備に一日も早く立ち戻るべし。
遠藤お前もこんな所へノコノコ来てる暇があったら教え子から不満分子をあぶり出してクーデターごっこなど二度と起こさせないよう叩きこめ、と。
すっかりやりこめられて、出てきたそうです。
遠藤君が司令部で、地図をチラリと覗き見したところ、すでに第一師団管区周辺より続々と鎮圧部隊を集結させており、戦車隊や化学戦部隊までが揃いつつある状況とのこと。
オヤジさんらしいや。ほんと。まったくもう。
私も、勘当された身なので。会えば、同じように怒鳴りたおされるだけだと思います。
遠藤君の自宅は牛込台町だそうです。円タクに乗って帰ります。お邪魔します。
奥様と三人のお子さんたちに、おかまいなく静かにしてますからとお断りして、放送再開したラジオを聞きながら、最近の満洲事情などを語る。
「東郷特務、その後どうなってる?」
あいかわらずですけど、ちょっとした事故があって、今は南崗区へ移転しました。小林が仕切ってます。人体実験やりたい放題で酒池肉林ですよ。
「こんど正式に部隊認可されるみたいよ。東郷軍医正も、満洲へ戻るって」
へえ。小林に教えといてやろ。
ラジオでは、岡田首相は死亡のまま。よしよし。根拠もなく落ち着いて落ち着いてと煽り続ける報道ごっこも、いつもと変わんねえなあ。
遠藤くんは、そんなラジオに騙されて、またぞろ不安を募らせて、もう一度永田町へ行ってみようと立ち上がります。つきあいます。もうすっかり暗くなってます。
新議事堂前広場、がらーんとしてました。
原隊復帰したのかな?
帝国議事堂。これねー、私が東京へ出てきた頃からここに建設中でした。
震災で中断したりとかはありましたけど、それにしても十何年かかってんだよ。
見た目は、21世紀でもよく見慣れてた、あの、国会議事堂です。外見は完全に、あのままです。周辺にこれより高い建造物無いのが違和感でしたが、私はもう、こっちの風景に慣れました。
先週、衆議院総選挙あったんですが、今年の国会からはここが使われる予定です。
このまま、2・26が終わってくれればね。
お昼までは、ここの広場に、兵隊がひしめいてたんですよ。
そのまま立てこもってたら、鎮圧側にはいい標的ですね。
昭和20年の東京大空襲から生き延びるはずの議事堂を、昭和11年に石原がぶっ壊してたかもしれないのか。
シュールだな。
蹶起部隊総司令部になっている、陸相官邸まで来ました。
参謀本部と同じ敷地ですが、ここにはまだ兵隊がわんさか宿営してます。遠藤は、官邸へ行ってくるという。
私は民間人なので、外で待ってます。行ってらっしゃい。
戻ってきました。磯部と話してきたそうです。磯部、ここにいるのか。
磯部アサイチ。
ビラや新聞にもよく名前の出てくる男です。現在は無職のはず。仲間同士かばい合う皇道派の中にいて軍籍を剥奪されるほど凶暴って、どんなやねん。
一体どんな話を?
口が達者で言い負かされてきたけど、でも言うべきことは言ってやったと。
いやお前が何を言ったかはいいから、磯部が何て言ったかを教えてくれよ。
覚えてないってか。
ダメだこりゃ。
そこから西へ抜けます。
ドイツ大使館の窓に人影が見えます。
シュトラウスはドイツ人で、東京在住なんだよな。あれだけの諜報力持ってんだから、大使館へも出入りしてるんだろうな。案外、身元割りやすいかもな。
その道沿いに、蔵相官邸。
是清さんはここに泊まることも多かったです。今は蹶起部隊に占拠されており、歩哨がいました。
遠藤、懲りずにまた説得行ってくるって。ハイハイ。
今度は、野中って将校と話してきたそうです。こっちは、よく話を聞いてくれて、来たことを感謝してくれたそうです。いやだから、お前の情熱はいいから。
相手のことを探ってこなくちゃダメだっつってんのに。学習できねえ奴だなあ。
その先のクランクを抜ける手前に、幸楽という、デカい料亭があるんですが、山王ホテルと並んでここも蹶起部隊の根城となっているようです。
中で酒宴が盛り上がってます。一般客ではないですね。あるわけがない。
遠藤が、ブルブルと、肩を震わせています。
「維新を目指して、今も、兵が、この寒い中、宿営して、ひもじい思いに耐えているのに、上官たちは国士気取りで浮かれ騒いでやがる。こいつらの正体見たり!私は間違っていた。こんなやつらは討伐されて然るべきだ!」
やっと気付いたか。おめでとう。
ちなみに、蹶起部隊だけじゃないからな。陸軍全体、こんなだからな。華北来てみろ。君が関東軍にいた頃より、はるかにひどいことになってるから。
「俺、もう一度、戒厳司令部へ行ってくる。昼間、石原大佐に言ってきたことを、取り消してくる!」
んー。必要ないと思うし、更に迷惑なだけだと思うよ。でも行くの?いいけど。知らんけど。じゃあ、僕はここで。
こいつとこれ以上いても、得るもの何もないし。
サノハウスへ帰ります。
今日は、疲れました。明日は、休もうかな。