File_1935-12-002D_hmos.
北平。北京。三年半ぶりかな。
中国の数ある都市の中でも、北京はきわめて独特です。言葉もだし、せわしなさもだし。危険度も。
上海も物騒ですけど、北京はモロに政治の街ですから。
ビリビリくる、このヤバさ。住みたいとは、思いませんね。今は特に。
日本兵がもっと街中をにらみつけて回ってるかと思ってましたが、日系の主要な建物の前にしかいません。
例外といえば、北京大学などは厳重に出入りチェックされてますけど。
近頃、学生デモがきわめて過激に繰り返されてます。日本では学生デモって、戦後かなり経ってからですよね。まさに今、街の壁は至るところ、アジテーションのビラで覆われてます。日本許すな。徹底抗戦。ここまで過激なのは、西洋列強に永年踏みつけられてきた中国の歴史上でも、初めてかもしれませんね。
冷戦終わり頃になると、戦車が出てきて、中国人の政府が中国人の学生を、ここで皆殺しにするんだっけ。何度も。
と天安門広場を歩きながら考える。
それでも学生たちは、純真な怒りから、政府にNOをつきつける。
今は、日本に対して。
傀儡の、冀東政府に対しても。
怒って、憤って、当然でしょう。
自分たちがどれだけ理不尽に踏みつけられ、ウソを教えこまれて、アキラメロアキラメテ奉仕セヨと押さえつけられて生きていたかを、勉強することによって、気付くんですよ。
気付いたら、立ち上がらずにおれようか。
黙ってなんぞ、いられるか。
そんなパワーが沸騰するんです。ああ、革命だ。革命なんだ。
北京の、騒然たる現実です。来てよかった。よくわかった。
情報もまた、上海とは異なるバイアスがかかりますが、数を読むことで篩にかけていきます。
たとえば北京では、廣田弘毅は明確に悪者。
関東軍と支那駐屯軍が正面から華北を叩いてるとしたら、裏から逃げ道を塞いでるのが廣田です。南京政府はすっかり廣田に騙されている。
北京は南京が嫌いなので。北平なんて名前で、自分たちを呼びたくないので。
上海は、南京寄りなんですよね。地理的にも。地政学的にも。
地方ごとに、そんな利害関係が存在する。
誰もが納得する報道の正解なんてもの有り得ないってこと、わざわざ説明しなくちゃいけませんか?
さて。廣田三原則というのが、密約なんで日本語記事では見たことないんですけど、どうやらホンモノらしい。
私なりに解説します。
9月頃。南京政府から、自分たちの理解者であるはずの廣田外相へ、華日協調のための三原則が提案されました。
1.華日両国は、互いを独立国として尊重し合う。
2.相手への破壊行為はしない。
3.事件が起きても、外交で結着をつける。
これを廣田は日本政府へ持ち帰り、陸海軍とも相談した上で、日本からの三原則を交換条件として突き出します。
1.欧米に助けてもらうべからず。中華民国も国際連盟から脱退しなさい。
2.日本・満洲国・中華民国の関係を、円滑に保持するために努力してください。
3.赤化に対しての徹底的防衛。日本と協調し、共産勢力を排斥しましょう。
この三要求を無条件受諾するなら、先の南京政府案をあらためて協議にかけましょうと。
ゲス外交、極まれり。
ほんとに廣田は、言ったのか?
酌量するならば、永田さん惨殺事件もあって軍に逆らうことがホントの命がけになってるのかなと思わなくもない。
しかしこんな条件、出しただけで日本の負けですよ。
日本には誠意の欠片すら無いことの表明でしかない。
しかし南京政府は呑むかもしれない。
北京なら、死を賭してでも戦うかもしれない。南京の軟弱ぶりを許せないし従えない。
南京でも、行政院長への暗殺未遂が起きてるし、今は法幣のコントロールで精一杯だとしても、決して手をこまねいているわけではないんですけどね。
はっきりと日本にNOをつきつけ、日本をこそ膺懲すべきなんだけど、武力体力に劣る。
国際連盟は頼りにならない。
ソ連の水面下での勢力拡大も、いずれ一気に花開くかもしれない。
ドイツはヒトラーが軍備にメチャメチャ予算をつぎこんでるし、イタリアもアフリカへ侵攻を開始した。
そんな2695年、民国24年、康徳2年、昭和10年、グレゴリオ暦1935年が、まもなく暮れます。
私は、生きのびることが、できるのか?