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石原閣下から、キツいお言葉を賜りました。
エヴァに乗らないなら用は無い、帰れと。
原文ママではありません。最もしっくりとくる、意訳です。
昭和といえば。スポ根か、モーレツ社員しか認めてもらえない時代。でしたかね。
残念ながら私は、じゃあ乗りませんと言って、さっさと逃げていく世代の子供なんです。
当たり前でしょアンタバカァ?って脊髄反射で答えちゃう。これが私のアイデンティティ。
そりゃ閣下も呆れるでしょうし、怒るのも当然でしょうが。
死にたがるのは、まっぴらです。
石原が三宅坂の参謀本部に着任後、まず驚いたのは、陸軍の頭脳にあたる、まさにその中枢でありネルフでありぜーレであり人類補完計画を担う参謀本部が、救いようもないポンコツ集団であったこと。
ソ連の兵力はいかほどか、と情況を求めると、金庫から和綴じの、日露戦争当時の報告書を恭しく出してきて、目の前に置かれたそうです。
正種さんが満鉄図書館でロシアの研究精度に畏れをなし、満洲辺境の再調査をさせた話もどこへやら。
現在の参謀本部最前線では、ソ連など恐るるに足らずという神話が、骨の髄まで染み渡っていらっしゃったと。
外務省から最新の資料を取り寄せた結果、すでに極東ソ連軍と在満日本軍の兵力比は3倍差以上。
満洲事変の前々年、張学良軍は北満で、ソ連にフルボッコされましたが、そのソ連軍が、満洲事変のときには、終始、不動でした。
便乗して、北満を奪ってもよかったはず。なのに頑として、一兵も、動かさなかった。
国家統制が見事なまでに完璧である。これが、石原の分析。
ソ連なんざビビってやがる皇軍に。と考えるのが参謀本部。
満洲国成立後も、ソ連の側から中東鉄路売却を提案し、最後には完全に満洲から撤退。
オセロゲームで喩えるならば、角だけ押さえて中央はすべて相手の色に染め抜いておく戦略ですかね。
土肥原たちが満洲で、華北で、サーベルがちゃつかせて中国人をいじめてる間に、国境の向こうではシベリア鉄道複線化の工事も完了。
いまやソ連は、極東へ一気に大兵団を送りこめる輸送力を整えました。
広軌で複線ですよ。
特急あじあ如きを自慢している日本人とは、視野の広さが違いすぎる。
更にはモスクワで、先月のコミンテルン大会において、中国共産党および極東方面への支援と戦力増強が今後の重要課題だと謳われたそうです。
そんな情報も、三宅坂にはそもそも届いてすら、いなかった。
こんな状況下で。
永田の死などにいつまでこだわっている気だと。
容赦ない言葉を投げつけられました。
一刻の猶予もならぬ。満洲を日本の前進基地として速やかに仕立て上げなければならぬ。そのための研究会をつくり、今後五年間で満洲の産業界を現在の2倍から5倍に発展させるべし、と大号令する石原莞爾。
お前も商売を始めたのなら、このプロジェクトに乗れ。
重工業部門の育成には適任者が少ない。コネで商工省に入れてやるから満洲でコンツェルンを作れ、と言われて。
断りました。
罵られました。
お前は昔からそうだった。頭はいいくせに、わかっているくせに。動こうとせぬ。
それでも男か。意地はないのか。
ここまで言われてなお、好きに遊んで暮らしたいならもう用は無い。二度と顔を見せるな。
そこまで、言われました。
それでも、乗りますとは、言いませんでした。
悩みは、今も、ありません。
言えないけど。
悩んでなんか、いないんです。
僕は、エヴァには、乗りません。