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到一さんから、小遣いをせびられました。
いつものことですけど、加えて今夜は、新京ヤマトホテルまで、車で送ってくれと。
永田少将のお見舞いに行くそうです。
林陸軍大臣御一行が視察で来満してるのは知ってましたが、永田さんも同行してて、しかし体調崩して今夜は一人先にホテルで休養してるらしいです。部屋は教えてもらってあるから、そこへ行くと。
永田テツザン氏といえば、陸軍省軍務局長。
たった一人で皇道派と渡り合っている、渦中の人物ではないですか。
私も同席させてもらえるなら、という条件でOKしました。
お聞きしたいことが、やまほどあります。
「佐々木よう。胃を切除したと聞いたが。すっかり元気そうだな。その子は?」
「コダマといって、俺の世話を焼いてくれている、ありがたい孫悟空だ。お前のファンだそうだ」
はじめまして。
満洲で商売をやっております。コダマです。到一さんとは八年来のお付き合いです。
「あれ?君は、会ったことあるぞ。……石原大佐と一緒にいたんじゃなかったかな、事変の前の年。関東軍で」
え?そうでしたか?おぼえて……ないけど。お会いしたことありました?
はい石原閣下とも、十年以上の腐れ縁です。私の親代わりですけどね。
事変前だと中佐だった頃かな。
「まったく、去年の春より更にやつれてるぞ。ほら、飲んで治せ」
「これでも、今は、かなりいいんだ。省内では、四六時中気を張り詰めているからな。今夜はぐっすり眠れそうだ」
皇道派にお一人で立ち向かわれていると伺っております。味方は、いないんですか?
「ブフッ。勘弁してほしいなあ。我々はそんな、敵と味方に分かれてるわけじゃない。ええと、僕のことをどこまで?」
荒木氏、小畑氏、眞崎氏、秦氏、山岡氏ら皇道派が陸軍内で青年将校たちの不満を煽っている。林陸相のもとで永田氏が、その連携を解体せしめている。という風に聞き及んでおります。
「ハア。たしかに正義派とか皇道派と呼ばれる一連の思想傾向はあるけれどもね。でも誰がそうだとハッキリ分けられるものではないし、日本のために旧弊を改革せねばならないという一意は共通なんだ。私は軍務局長として、その調整をしている。軍務局の仕事は、御存知ですか?」
陸軍人事を担当する部署?でしたかしら。
「違います。人事権はない。軍務局は、内閣と他の省部局との連携をとる部署です。たとえば参謀本部が作戦と計画を立てますが、その遂行に必要な備品調達や、役所との調整は軍務局の仕事です」
失礼いたしました。軍政ということですね。人事ってどこが担当するんでしたかしら。
「人事局は、別にあります。将官級の人事については、三長官の合意で決定されます。陸軍大臣・参謀総長・教育総監ですね」
えーと現在はそれぞれ、林銑十郎氏・カンインノミヤコトヒト親王・眞崎甚三郎氏ですよね。ここには深刻な対立は見受けられませんか?
「……そこまで御存知か。じゃあ、もう、わかってるんだ」
ええまあ。皇道派、キライなんですよ。
「フウ。宮殿下は、眞崎大将を、大変嫌われておられます。その対立の狭間で、林大臣が、宮殿下の側に就くという状況が最近は強まってきていますね」
そして眞崎氏は、仲良くつるみあう皇道派の、中核のひとり。皇族である閑院宮殿下に楯突くことは許されないから、林陸相を憎む。ですが、皇道派との対立を望んでない林氏自身へは容赦もある。そこで、裏で糸を引く黒幕は永田軍務局長だと、わかりやすい構図を描いて青年将校たちに吹き込んでいる。どうですか?
「……佐々木ぃ。なんて答えたらいいんだ、俺は」
「思ってること言っちまえ。吐き出しちまえ。コダマが分析してくれる。進むべき道が拓けるさ。安心しろ。この子の口の堅さは俺が保証する」
ナイス援護射撃です。到一さん。
その後、永田氏は徐々に、重い口を開いてくれていきます。
思ってた通り、深刻なイジメの構図が隠れてました。
日々、永田憎しの怪文書が陸軍内外に撒き散らされているそうです。
スケバン刑事かよ。大映ドラマかよ。オレンジイズニューブラックかよ。
そもそも軍隊って閉鎖的になりやすい組織なんです。日本なんて特にね。学校もしかり。
その中で軍務局は政府機関や財閥など外の世界と接する部門なので、自然と雰囲気にも差が生じてきます。
永田さんが久里浜に豪邸持ってる噂というのも、それなりの信憑性をもって流布されているようです。
私には意外だった新事実をいくつか。
荒木貞夫は、メディア受けがいいので陸相時代は広告塔として絶大な人気を誇ってましたが、すぐ飽きられたのと、結局言ってることが観念論ばかりなので、高橋是清蔵相から、要するに何がしたいのかねってあしらわれて、閣内でのステータスを失い、肺炎で辞任てのも、実際には鬱によるもの、って側面が少なからず。昔ほどの脅威ではなくなっている模様。
あとは皇道派の重鎮のひとり、小畑トシロウ。永田氏とは陸軍士官学校の同期で、若かりし頃ドイツ留学中に、薩長閥に独占されていた日本陸軍の改革をと固く誓い合った仲だそうです。それが今では不倶戴天の敵同士になってしまった。ドラマだと盛り上がるキャラづけですけどね。昨日の友は、今日の敵。
続いて陸軍内のクーデター遍歴。
満洲事変の年の3月……といえば若槻内閣の時代ですね。この頃やはり政治への不満が爆発しかけて、大きなクーデター未遂事件が起きていたそうです。通称、三月事件。
当時の軍務局長は、小磯クニアキ氏。永田さんはその下のブレーンだったそうです。
ひとつ確認させてください。小磯さんて、皇道派なんですか?
荒木陸相とコンビで語られることが多い、というかシュトラウスがこの二人をセットにしてるんですが、今ひとつ表情の見えないキャラクターです。翌年8月の大異動で石原大佐と入れ替わりに関東軍へ来た人ですが、同時に私は関東軍から閉め出されたので、よくわからずじまいです。
「小磯中将かあ。あの人は、色がないね。政治的信条は持たない、持ちたくない、考えない。事務屋だけど、計算は苦手で、何といったらいいか、荒木陸相にもいいように使われていただけだと思う」
計算が苦手、とはどういう意味ですか?
「三月事件では、大川周明博士が宇垣一茂陸軍大臣へ、首相の座を約束するからクーデターに協力してくれと持ちかけた。その仲介をしたのが小磯局長だ。宇垣大臣がおそれをなして大川氏と桜会を裏切る形で未遂に終わったんだが、私は小磯局長から、事前にそのクーデター計画書をどう思うかといって見せられた」
ええと。どこからつっこんだらいいものやら。
「私はその計画があまりにも杜撰かつ稚拙だったので、やるならこうしないとダメでしょうと作り直して、翌日提出した。小磯局長は、そんなつもりじゃなかったのにと言いながら受け取られた。あとできいた噂では、私の作った修正計画書をもとにしてクーデターの準備が進められていたらしい」
うーん。永田さんは、計算だけが得意な秀才の典型のような。
「世間には公表されていないが、陸軍内ではその事件以来、疑心暗鬼の空気が生じた。そこへ、9月の、満洲事変だ。政府も、参謀本部も、国内の全師団も大混乱に陥ってるさなか、10月にまた大規模なクーデターが計画されていて、これも、未遂に終わった」
あああ。そんなことありましたねえ。石原閣下から、首相誰がいいか考えておいてくれって言われた。十月事件も、いまだにまったく公表されてませんよね?
「翌年5月15日、今度は海軍の青年将校が中心となって犬養首相を殺害した。新政府樹立までは至らなかったが、世間に与えた影響はきわめて大きかった。青年将校の一途な思いから発したもので、しかもすぐ自首し、態度も弁舌も堂々としていたため、広範な同情さえ集めた」
そうでした。濱口首相銃撃事件の頃とは明らかに世風そのものが変わってきてます。おかしな方向に。
「その後しばらくは荒木陸相の黄金時代で、陸軍内皇道派は不満を漏らさなくなった。満洲組凱旋の好景気も手伝って、世情は一時的にせよ、安定した」
そのとき不満分子は中国へやってきて、手柄立てずにおらりょうかって暴れ回ってたんですよ。日本国内でのテロが減ったからって根本的な問題は何ひとつ片付いてないですよ。
「ところが昨年秋、またクーデター未遂事件が起きた。内部告発により首謀者を検挙したが、当人たちは濡れ衣で陰謀だと事実無根を主張し、再審理を、やや過激なやり方で訴えている。林大臣の人事も皇道派には評判が悪いし、また、一波乱起きそうな気配を感じている。ひしひしとね」
……ひとしきり語り終えた永田氏の顔色は、二時間前よりも、ずっと、穏やかになっていました。
相当たまってらしたんでしょうねえ。
誰にも、言えずに。
ひとりで、悩んで。
永田少将?内地へ戻られたら、第二師団の石原莞爾を訪ねてみてください。
仙台では今、兵営内で野菜やウサギを育て、教条よりも勤労と読書を重んじ、下士官がなんでも上官に相談できる、そんな改革を実らせています。
軍人は、戦って死ぬことばかりが華じゃない。
市民とたすけあい、その協力者となって国を支える。
そんな在りようだって、可能なはずです。
皇道派の青年たちに、こんな生き方もあるんだぞって。
不満は土にぶつけろ。畑から石を取り除き、道路を歩きやすくし、台風から人家を守れ。そんな力に変えて汗を流せと。
こんな風に導いていければどうでしょう。
石原は、たぶん力になってくれますよ。
日本内地に土地がないなら、満洲国へいらっしゃい。武器は持たずにね。私たちは、歓迎します。
今の私に考えつくのは、そんなところです。
ひとりで飲み続けてとっとと寝ちゃった到一さんを抱きかかえて、ホテルから帰りました。
私は永田さんとお会いするまで、皇道派が憎くて憎くてたまらなかったんですけど。
ふしぎと、今は、そうでもないんですね。なぜだろう。
永田さんは、皇道派にも、小僧の私にも、終始、敬語を使ってました。もしかして、その効果だろうか。
結論。
永田さんは、いい人です。