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康徳2年。民国24年。2月27日。
中華民国南京政府、行政院長・汪精衛氏が、全国の新聞に排日言論厳禁との命令を発す。
民国内外の日本人および満洲への排撃行為を、全国民に禁じる。違反者には厳罰を処す。
なんだなんだなんだなんだ一体???
恥ずかしながら、最近、日本の内閣に対してはウォッチングを怠ってました。
現在の岡田内閣。その前の斎藤内閣。
いずれも、テロを怖れて消極的になってしまった人たちの寄せ集め。
そんな偏見だけですませてました。
二期、外務大臣をつとめている、廣田弘毅氏がどうやらカギを握る人物です。
もと、駐ソ大使。内田康哉外相のピンチヒッターを務める形で、齋藤内閣の途中から閣僚に。
暗礁に乗り上げていた北満鉄路買収を、最終的に三国が合意する形で締結まで至らしめたのが、第一の大仕事。
ソ連との交渉については、陸軍内にも両極端な意見があったんですね。
満洲国内に浸透しているソ連権益。これを戦わずして手に入れられて、国境までソ連を完全に引き下がらせることができるなら願ったり叶ったりではないか。多少金額を融通してでも、買い取るべきだ。
というのが、プランA。
これに対するプランB。
ソ連との駆け引きに乗るべきではない。ソ連の経済は破綻しかけている。かれらはそのために外貨を欲しがっていて、これを援助するのは国益を損ねる愚策である。強気で押すか、あるいは力づくで奪い取るべし。
言うまでもなく、関東軍や内地皇道派にはプランBを主張する者が多い。
それを、廣田氏は撥ねつけたわけです。
すでに陸軍内強硬派から見て、廣田外相は国賊として、暗殺対象のトップランカーに入っているのではなかろうか。
そんな想像さえ、めぐらせます。
一里塚を打ち立てた廣田氏は、懸案の日華外交へ本腰を入れます。
廣田氏の名前は日本語新聞より中国語新聞の方に多く出てくるのですが、賛否両論あります。賛もあるのです。これは画期的なこと。
できる限り満遍なく目を通して、私なりのイメージを組み立ててみます。
中華民国では、満洲国をもとより認めておらず、東北問題と称します。古来からの中国固有の領土を日本が勝手に占領しているだけで、その失地回復を国の使命として訴えてます。これは大前提。
日本人はそれに対して、ケシカラン膺懲セヨ成敗セヨと言い続けているわけですが。
廣田外相はどうやら、南京政府に対し、陸海軍および日本内地での対華感情もじゅうぶんに説明した上で、
「今はひとまず東北問題を前面に出さないでほしい。かれらを刺激するだけなので。自分がいる限り戦争は起こさせないから。解決までは時間がかかることを諒解してもらえないだろうか」
という交渉をしているものと察します。
日本人全体はともかく、廣田氏は理解者だ。我々の味方かも。と考える民国国民が増えてきている印象。むしろ、今年に入ってからは共産系新聞による反日キャンペーンの方が過熱しています。国民政府と日本を仲違いさせ続けようと必死なのが、とてもわかりやすくてよい。明確な温度差が見てとれます。
その流れの先に、昨日の、排日禁止令ですよ。
これには全中華人民が驚いているんじゃないでしょうか。
当然、賛否両論、というか激しい議論が湧き起こってます。南京政府に憤っている人も多い。
私も驚いたので、半日かけて調べました。
そして、廣田外相に行き着いた。
最悪を想定するなら、今ここで廣田氏が暗殺されたら、日本軍は禁止令だけを既成事実にして、民国へ更なる圧力をかけるでしょうけどね。
廣田氏の努力を、ものの見事に乗っ取ってしまう。
関東軍特務連中なら、そのくらいのことは考えそうです。
させてたまるかよ。