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大連へ来てます。今日は、三船さんのお見舞いと、到一さんのお迎え。
まずは、連鎖街のスター写真館へ。
徳造さん、負傷して従軍カメラマンを引退しました。
杖をつくようになったのも理由ではありますけど、話した感じでは、心の病も相当に深いようでした。
新聞や出版社が欲しがる、華々しい正義の皇軍をデッチ上げ続けられるほど、徳造さんは鬼でも悪魔でもなかったってことです。
お店は奥様と、中学生になった敏郎くんとで切り盛りしてました。
夏だけど、お年玉フンパツだ。
お父さんを大事にしろよ。そして、いろんなことを学べ。
船のつく時間にあわせて、港へ行きます。
到一さんは正月に吐血して入院しましたが、その後、胃癌と診断され、6月から九州の大学病院で手術してたんです。
発見が早かったので、治療も順調で、しかも8月いっぱい、旅順の官舎で静養の許可までいただいてます。
自称内縁の妻としては、あらまあ日本の陸軍て福利厚生しっかりしてますのねって、見直してるところです。
とはいえ私には仕事があるので、一泊したらハルビンへ戻るんですけどね。
その前に、せっかく内地で過ごしてた到一さんから、陸軍省の裏話を、聞けるだけ聞き出したいと思います。
7月に岡田内閣が誕生して、陸相は林さんが留任してますけど、どちらも妥協の産物。
小畑敏四郎を中心とした皇道派グループは、荒木首相&眞崎陸相案を強硬に主張していたらしい。
オバタトシロウ。おなじトシロウでも、三船さん家とは大違いだ。
満洲だけじゃ飽き足らず、中国、その前に日本そのものを乗っ取る気なんだなテメエら。なんてわかりやすい悪党だろう。
このグループに、事実上ひとりで対抗しているのが、陸軍省軍務局長の永田テツザン少将。
到一さんとは昔、陸大で教官同士だったことがあるそうで、人となりも御存知でした。
粘り強く相手の話を聞き、なんとか妥協点を探し出す。名前はいかついくせに性格は細かくて、頑固者。
お友達をつくるのは苦手そうです。
悩みは一人で抱え込んじゃうタイプかなと感じました。
皇道派は常に群れて愚痴ってるので、永田への嫌がらせもすさまじいそうです。
荒木も陰では相当にネチっこい性格で、若手将校に永田の悪口ふきこんでいるとか。
久里浜に豪華な別荘をもっててそれは財閥から賄賂として贈られたものだ、とかね。
「行って見てみるといい。中古で買った、八畳二間のバラックだから」
と到一さんは言ってますが、不況の怨みを首相暗殺へぶつけたがる過激派さんたちには、そんな声も届きゃあしないと。
ただ永田さんも不器用で、軍務局長になったとたん経理を細かくチェックして、集会費や通信費として請求されていた将校たちの飲み会を徹底取締りとかしちゃって、ますます怨みを買ってるって。せつない。
林陸相は、対立の構図でいうと永田の味方なんですが、争いを避けたがるおじいちゃんなので、極力穏便に、という姿勢で皇道派を挑発はしない。
ただそれでも荒木が二年にわたって陸軍の主要ポストをお仲間で固めてきたのを今じわじわと交代させてて、そこでアイツ実は敵なんじゃね?的なターゲットに変わりつつあるところだそうです。
なんだ荒木もけっこうドス黒い策略家じゃないですか。しかも陰湿だ。
新聞記者の前でだけはとことん陽気にふるまうところが、ますます鼻持ちなりませんな。
フーム。かなりわかってきました。やはり、知ることは力ですね。
あとは、小畑と眞崎ってののプロフィールが欲しいな。
閣下なら、多分そこまで探りを入れてるとは思うのですが……
あ。関東軍のフルチェンジにも、荒木が絡んでなかったわけないじゃないですか。
ゆるせん。皇道派。おまえたち、許さねえ。