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トンキンレアメタル社長をやっております、コダマです。数えで23歳です。
いま満洲ではこの程度の肩書きもってる日本人の若造、掃いて捨てるほどいますけどね。
満鉄調査課の肩書きもまだ持ってますよ。名刺では用度部計画課です。
ペーパーカンパニー作りたいって言ったら許可出ました。中国人の事務員二人とそれぞれの家族を養ってますけど電話番くらいしかさせてません。かれらのお給料を払える程度のお金を、毎月ちびりちびりと稼いでます。
9月にゴルゴ東郷がいよいよ満洲へ赴任してきて、例のアジトで研究始めました。
とりあえずそこから備品だの清掃用具だの日用品だのゴミ処分だのの御用があれば、一切秘密厳守で手配しますよ。みたいな、超ヌルい雑用を、独占的に請け負ってます。
日特とのパイプも先刻ご承知なので、東京でフル生産中の石井式濾過器についてのアレヤコレヤな連絡係も兼ねてます。
工業製品だし軍需品なので、日々改良すべき点もなかなか特殊で、面白いんですけどね。
手荒な衝撃にも耐えられるよう、中にスプリングを入れて衝撃を緩和したらとか。
どのくらいの弾力性が適切かは東京で試験してもらいましょう。とかそんな感じ。
東郷が転生者かどうかは今はおいときます。
あんまりそこにだけこだわってると、大事なところを聞き逃しそうで。
コイツ、やっぱりマッドサイエンティストなんでね。考え方がそもそもキテレツ。
「2585年6月17日、ジュネーヴ条約で化学兵器および細菌兵器の使用が禁止されたんだフフフン。正式名は、窒素性ガス・毒性ガスまたはこれに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書というんだけどねフフフ。ただし日本と米国はその場で調印はしたけれども批准はしてない。国へ持ち帰って協議した結果承認が得られませんでしたと、調印の無効を主張した訳だね。上手くやったよねムフフフフ」
確認はしてませんけど、日付とか正式名だとか批准の意味だとか、いちいち細かい説明入れてくれるから相手にとってはわかりやすくてありがたい面もあるのかしら。異例の出世もさもありなん。
しかし、怖えんですよ。
こいつが日本と世界の歴史を年表レベルで全部暗記してるような転生者だったらチートの中のチートじゃないですか。
ちなみに関東大震災の日付は2583年9月1日と即答されました。東郷平八郎の生年月日と年齢もスラスラ言ってたけど、私が覚えきれなかった。
ヤバすぎて、引く。
「でもだからって、大っぴらにやっていいというわけにはいかない。国際的人道主義に逆らうときは慎重に。フフフフフ。たとえ軍隊の中だけでやるとしても、秘密は徹底されなくてはならんのです。臨床試験もね。国内では現実的に大変。難しい。無理かも。健康な被験体で、秘密を永遠に守ってくれる人材なんていないよね。いないでしょ。コダマ君、手に入れられる?」
うわ、いきなり名前呼ばれるとビクッときます。こういう時が一番危ないんですよ。
何の話だったっけ、てなりますから。
医学用献体は、いままで扱ったことありませんね。
「ある程度まではね。培地観察、動物実験で充分なんだけど。その先がね。サルでも特に人間に近い種類がいい。頼むときがきたら相談すると思う。よろしくねコダマ君」
こんな調子で進んでいきます。
マッドでしょ?マッドだよ。
それを気味悪いと思う私はマッドじゃないと結論していいですか。させてほしい。私はまだ正常だ。私はまだ正常だ。あ、いかん。このエコーチェンバーはまずい。やめる。
閣下はこいつとどういう知り合いだったんだろうか。
石原がこういうのと楽しくつきあえるとは思えないので、石井からコンタクトしてきたんでしょう。たぶん。タネさん紹介されたときみたいな、人物評もなかったし。よく知ってたら絶対、変なヤツだからみたいな注意事項も付けてくれてたと思うんですよね。
その石原ですが、8月から仙台の第2師団へ異動となりました。連隊長として。
第2師団といえば、満洲事変で活躍した多門師団はまるっとここから移駐してきたんですね、満洲へ。
多門さんは今年の1月、仙台へ凱旋しましたが、このときも何万人て市民が歓喜してお出迎えしたそうです。
その多門中将も8月で予備役となり、後任として、東久邇宮稔彦王という皇族の中将が師団長となりました。
秩父宮殿下は今上天皇の弟さんですけど、ナルヒコ王はもうちょっと遠縁みたいです。
石原大佐はその下に配属されます。
満洲へ戻ってくる可能性は、最初からゼロだったようです。
内地でさえも、誰も、石原の上官にはなりたがらない。
ああ、それはわかる。ものすごくわかる。私だって、イヤだ。
で、引き受け手のなかったところに、ナルヒコ王が、儂と一緒に行こうやないかと、仙台へ連れてったそうです。
仙台事変を、ちょっぴり楽しみにしてる私です。