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熱河省。
旧・東三省と、万里の長城とに挟まれた一帯です。
長城を越えた先がすぐ北京なので、文化的にも行政的にもチャンポンで。
満洲というときは含めたり含めなかったり。
含めて東四省という場合もあります。
とくに満洲国が誕生してからは、中華民国政府との板挟みで。
省長の湯玉麟は、どっちに従うべきか悩みつつ、のらりくらりと漂っていた。
当然、どっちからも、つけこまれる。
お正月明けから、防衛陣地構築中の張学良軍に対し、関東軍がじりじりと雪をかきわけ、進軍中。
熱河はただいま、戦地です。
一ヶ月ほどかかって、ジュネーヴの石原パパからお手紙が届きました。
みっちり書いてくれてます。
シベリア鉄道で出発してモスクワ、ワルシャワ、ベルリン、ロンドン、パリを訪問しながら、
現地日本人たちに
「もう卑屈でいるのはよせ、これからアジアの未来は西洋主導ではなく我々の手で築いていくのだ!」
とか大演説で盛り上げてからの、堂々スイス入り。
12月24日の松岡演説は、超満員の会場で、割れんばかりの拍手をもって締めくくられ、あとは2月の総会票決まですることがないから、各自バラバラに遊び回っているそうです。
閣下はカメラ屋と古道具屋を片っ端から探索して、ナポレオンの石像まで買っちゃったとか。
いいなあ、最高のオタライフじゃんかよ。
国の金で。
松岡演説は、新聞で読みました。
「今は批判もあるだろうが、我々はナザレのイエスと同じだ。反逆者として磔の刑に処されたが、後世は彼を最大の偉人として讃えているだろう」
って英語で力強く言ってのけたんですってね。
松岡って若い頃ずっとアメリカで勉強してたんで英語ペラペラだし、西洋人を恐れないんですよ。
満鉄時代にも、誰にでも論争ふっかけて、チビっても逃がさないと恐れられてた人ですけど。
彼を連盟総会に派遣した日本の外交力ってのも、今までにはありえなかったレベルです。
満場の拍手、という記事は眉唾でしたが、閣下の手紙にも書いてあるので、事実なんでしょう。意外。
私のうろ覚え知識では、日本、総スカンくらって連盟脱退するんじゃなかったっけ。
もしかして歴史、変わった?
変わってくれた?
連盟が満洲国を認めてくれるとなると、これは大きな後ろ盾です。
ただ、喜べません。
いまの満洲国は建国理念とかけ離れすぎた日本の植民地であり、それを牛耳っている乗っ取り犯連中を、ますます調子に乗らせることになります。
満洲を独立国とは呼べない、簡単な指摘をひとつ。
満洲に、国籍法って、ないんです。
いろんな法律が未整備ではあるんですけど、中国本土出身者や白系ロシア人、西洋人の入国には、パスポートとかビザとか、要るわけですね。
でも日本人および、日本国籍を有する朝鮮人や台湾人はフリーパス。
日本国内を旅行するのと同じ感覚で行き来できますし、住所を移すのにも、手続き迅速です。
外国人はいちいち足止めされるのに。
これは圧倒的な格差ですし、日本企業とそうでない企業との進出速度には絶対的な開きが生まれます。
そんな不公平な国の経済が、まともに発展するわけがないでしょう。
つまり満洲はあくまで日本の専有物であり、ただの植民地であるという批判をかわせません。
その通りの事実です。証明完了。
今後とも日本にだけ有利なこの制度が変更される見込みはなさそうですが、それに乗っかったウハウハな儲け話が、内地では盛んに投資欲と移民熱を煽る形でフィーバーしています。
バスに乗り遅れるな!とか、特需景気!とか、いうヤツです。
天から金が降ってくるのに拾わないお前はバカ!勉強も修行もしなくていい!くらいの勢いです。
そのノリで、今度の熱河侵略も、イケイケオセオセヨーチョーだ!と内地も現地も大にぎわい。
これは戦争ではない、事変だ、膺懲なのだ、というおためごかしが、申し訳程度に添えられてたこともありますけど。
満洲国独立支持を謳う日本語新聞132紙による共同宣言あたりから、そんな言い訳もいらなくなりました。
日本人があくまでこれを、侵略ではない、戦争ではないと言い張るならそれもいいでしょう。
なら、今は平時なんだよな?
戦時中か戦間期かでいうなら、平和の時代なんだよな?
その平時において、マスコミが何を報じてるか。何を書いているか。
誰を讃え、誰を蔑み、何をなすべきだと叫んでいるか。
お前たちの浮かれようは、未来永劫、記録に残る。
お前たち自身によってな。
残しておけよ。
常に勝ち馬に乗り、美味な分け前にあずかることへのみ、全身全霊全力を注ぎこむ。
その目的のため、脇目も振らず、記事を書きまくる。
戦時だろうが平時だろうが、それがお前たちの本性だ。
永遠に、信条にしてるがいいさ。
クソクラエにもほどがある。
これ以上のことを、まだ私に言わせたいかね?
言わせなきゃ、わからない、つもりかね?