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宮本光一と申します。
日本特殊工業株式会社の社長をやっております。
陸軍さんの下請け、ですね。開発補助とか、部品製造ですとか。
細かいものをいろいろ、やっております。
さて、今日はですね。
いきなり機関銃の話にいっちゃいますか、もう。
兵隊さんがよくやってる「捧げー銃」ありますな。あれは、小銃といいます。
国産では明治の初期に村田銃という、村田経芳先生の発明された小銃が登場しまして、これが今も改良に改良を重ねられつつ、日本陸軍の主力兵装のひとつとなっておりますな。
明治20年代に、無煙火薬というものが現れまして、連射ができるようになりました。
それまでは一発撃つごとに、煙とススをはらう必要がありましたが、これによって村田連発銃というのも作られるようになります。装填数は8発でした。
欧州では、もっと沢山連続して撃てるようにと、機関銃、というものが開発されます。
ちょっと大型になりますが、地面に据えて、ダダダダダ、って30発くらい、大口径の弾を撃てるんですな。
弾倉を交換しながら、連続して300発くらい撃つことができます。
それまでは、歩兵小隊は相手を威嚇しつつ、逃がさないよう、横一列に広がって向かっていくものだったんですが、機関銃が登場してからはそれだと一瞬でなぎ倒されますので、縦列が基本になったとか。
そのくらい、戦術に影響を及ぼしました。
日清戦争と前後して。
英国からマキシム式機関砲、仏国からホチキス式機関砲。
当初は機関砲と呼ばれてました。ヨーロッパを代表する二大機関砲を相次いで輸入して、検討がはじまるわけです。
これ、実物見ると一目瞭然なんですが、マキシムは大きくて、ホチキスは小さいんですね。
日本ではホチキスが採用されました。正式に許可をとって改良した、保式機関砲というのを、東京砲兵工廠で大量生産始めまして、日露戦争から使われます。
この時ロシア軍は、マキシム式を採用してたといいます。マキシムは銃腔とか大きいぶん、寒いとこにも強かったからですな。
村田先生のお弟子さん筋、ということになりますが、南部麒次郎先生という方が、機関銃の改良について、多大なる奮闘をされます。
日露戦争から2年後、三八式機関銃が登場します。この頃から機関銃、というようになりました。
さらに7年して、大正三年式機関銃が誕生。これは海軍からも使わせてほしいと依頼がくるほど人気でした。
寒冷地でも故障が少ないということで、大正七年から始まったシベリア出兵の前線でも大活躍だそうです。
しかしまだまだ大きいと。重いと。
三八式も三年式も、銃本体だけで30キログラム近くあります。
山砲や野砲は車輪ついてますけど、機関銃は歩兵が分解して担いでいかにゃならんので。
より小型化を、より軽量化をというのはどの国でも最優先の課題となっておるところでした。
そして。ついに昨年、それまでの常識を覆す、画期的な機関銃が完成したのであります。
その名も、十一年式軽機関銃。大正十一年ですから、まんまですが。「軽」がつきます。
なんと、10キログラム。
30キログラムから、一気に三分の一ですよ。どうですか。
従来の機関銃では、専用の弾丸を使っておりましたので、装弾帯やら保弾板やら弾倉などもいろいろ必要としたのですが、これを小銃と同じ三八式実包にして、外せるものは外しました。
他にも、ガス筒や銃身の放熱などにも新しく生み出した技術を導入してます。面白いところでは銃床を動かすと、塹壕、穴ボコですな、から銃口だけを覗かせて射つこともできます。
それでも決して、廉価版ではないのですぞ。
発射速度は分あたり500発。有効射程800メートル、最大射程は3700メートル。
一台ごとに予備銃身、専用麻袋に肩掛け紐、そしてなんと、対空攻撃用の三脚架乙を、一台ごとにお付けしとるんです。
この三脚は最高高さ1228ミリまで伸ばせまして、空に射てるんですな。もはや航空機の時代ですからな。弾幕も張れますし、一発でも翼に当たったら敵機は火だるまになります。すばらしいでしょう。
もちろん設計は南部麒次郎先生の手になりますが、我が社でも基礎研究や細かなところにいろいろ協力をさせていただきました。とりわけ殊勲賞に値するのが、コダマ君なのですな。
誰がどこをやった、という明確な線引きは不可能ですけど、うちの社員連中が、ときどき地下室へ図面持っていったり、食堂で話し込んでるのはよく見てました。
コダマ君は図面読めますし、簡単なものなら描けますからな。
あとは発想が豊かで、意外な着眼点をふっと思いついたりするみたいなんですわ。
だから困ったことがあるとコダマ君に聞いてみたらどうか、なんて感じだったみたいですよ。
そして昨年、制式採用されましたら、我々一同も喜びましたけどコダマ君も驚いていたようでしてね。
ああ色々やってたのがこんな形に結実したんだという手応えですな。を感じてか、最近それを更に更に改良しようと夢中になっておるみたいなんですね。
だから今年に入ってからは、コダマ君から社員に相談してくることも増えてるみたいです。面白いでしょう。
石原さんもいなくなったし、というと怒られますけど、しばらくは設計方面で、コダマ君を遊ばせておこうかなと思います。
もうちょっとしたら、正式に入社してもらいましょうねえ。
給料もちゃんと払って、びっちりいいもん作ってもらえたら面白いことになりますねえ。うひひひひひ。