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10月1日、リットン報告書が公開されました。
二週間ほどかかりましたが、英語版を手に入れました。あとは日本語版、中国語版の逐語訳が手元にあります。
ひととおり読みました。
たいへん勉強になりました。
レポートとは、こうあるべきか。
北平での、20分にも満たないティータイム。
そこで私は、プロの諜報員がどんな手強い連中なのかってことを、心から思い知りましたけどね。
あの人たちが一体、どんなレポートを書くのかと。
期待と恐怖に震えながら、過ごしてました。
感想を一言でいうなら、無味乾燥。
坦々と。満洲の地方史と、そこで起きた事件の顛末を。地球の反対側の西洋人たちへ向け、こまかく解説と数字を入れながら、整理して記述しているだけ。
中国の人たち、さぞやがっかりでしょうね。
単純にこれだけ読んでも、日本ヒドイ奴なんて感情は湧かない。同じくらい、中国かわいそうとも、思えない。
坦々と。ただ、坦々と。
そうか。レポートって、こんなんでいいんだ。
依頼を完璧にこなしつつ、どの陣営からも距離をとる。
見事だ。あらためて、脱帽です。
英語と中国語の新聞報道は、もっとちゃんと日本に裁きを下せと、調査団への憤りをぶちまけてるのが多いですね。
日本語の新聞は、そもそもリットン報告書が日本を断罪しているものと頭から決めてかかったダイジェストだけを参考に書いてるんで、的外れぶりを嗤うしかないものばかりですが。
せめてオリジナルを読んでから語れよお前ら。
ジュネーヴの連盟総会は12月から。この報告書をもとに、審議を始めるそうです。
それに出席するため、日本からも使節団が向かいますが、その中に。
閣下がいます。
いいんですか?
張本人ですよ。
リットン報告書には石原の名前、出てきません。
錦洲爆撃の指揮官、と一箇所だけ登場。
それ以外はモブ扱いですね。固有名では皆無。
ミステリで真犯人はこいつでしたと言われたら許しませんよ。
もし真相を見抜いてて、その上でこんなフザケタ報告書にしてるんだったら、リットンは私たちなんかよりよっぽど華麗な革命家か、犯罪者集団にも、なろうと思えば、たやすいはず。
ところで。
8月に関東軍のメンバーがフルチェンジされてから、私は機密へのアクセス権を失いました。
事変二日目から関東軍の中枢はずっと奉天東拓ビルへ移ったまま、現在もそこですけど、私はもう建物の入口にさえ近づけません。
協和会も、関東軍も。いつのまにか。一年前にいたメンバーが、どこにも、いません。
乗っ取られちゃいました。
ものの見事に。
なんて華麗な、入れ替わり劇。
それでね。
アップルの創業者、ジョブズさん。
虫プロをつくった、手塚先生。
コナミを大成長させた、小島プロデューサー。
青色ダイオードの発明者、中村博士。
前世の、いろんなノンフィクションを、ぐるぐる、思い出していたところです。
だがしかし。でもたぶん。
奪われたままでこの世から去って行った方なんて、もっと大勢いますよ。
一番がんばったのに、何もしてないヤツに手柄横取りされて。
地位も権利も報酬も、ささやかな名誉さえも踏みにじられて。
永遠に浮かばれない人は古今東西、それこそ星の数以上いると思うんですよ。
ジョブズ氏、手塚氏、小島氏、中村氏。
かれらは、取り戻した人たちです。やられたままでは終わらなかったです。
しかも第一黄金期を超える、さらにすごいことをやってのけて。
かつて自分を放逐した連中のことを、もっと高みから、存分に語りまくる特権まで手に入れて。
今、私の心に、希望を与えてくれてるんです。
私も取り返しますよ。取り戻してみせますよ。
もっとすごいこと、やってみせてやりますよ。
負けるもんか負けてたまるか。あんな奴らに。
今はこんな減らず口しか叩けませんけどアイルビーバックだ。
とりあえず、そんな、負け惜しみを、吐き捨てておきます。
おやすみ!