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6月はずっと、北平を巡り、種を播いていた。
有益な情報提供者に目をつけ、連絡をとりつつ、記録と証拠を手に入れながら、全体像を彫造していく段階だ。
リットン報告書、いよいよ本番制作開始さ。
工房として当初、風光明媚な青島を薦められたのだが、今の季節は霧が濃くて湿気がひどい。
書類には大敵なので、かつてドイツが作りあげた、鉄道沿線の見事なアカシア並木を眺めただけで、戻ってきたよ。
骨組みができあがったところで、更に知るべき要点を検証しあった上で、もう一度我々は旅に出た。
6月29日。朝鮮の京城へ着いた。我々の地図ではソウルだ。
朝鮮は22年前から日本の領土で、それを象徴するように鉄道が時刻表通りに動く。
総督の宇垣大将に出迎えられる。燕尾服がきつそうだ。この暑いのに無理をして。
今までのどの日本人よりも話が長く、かつ内容が空疎だった。
彼は満洲事変には関わっていないと確信した。
朝鮮では、日本は同化政策を採用している。
被征服者にも日本国籍を与え、日本名を付けさせ、日本語を学ばせ、日本人と同じように躾ける。
ただし日本人と同じ待遇は手に入れることができない。
この点を将来修正する予定は、無いようだ。
朝鮮民族はあくまで日本語を理解する忠実な下僕として生き続けるべしというわけだね。
ローマ帝国に範をとることもできる。今のところ、朝鮮民族に大きな反抗の兆しは見えない。興味深いところだが、ソ連の同化政策よりもずっと効率的に、うまくやっているのではないかね。
満洲国はこれとまったく異なる形態だ。
日本人というのは、なかなかどうして、チャレンジャーなのかもしれないよ。
成功体験を持ちながら、新たな方法も試そうと、意図的にやっているのならばね。
美は細部に宿るという格言をここで持ち出すのは気がひけるが、徹底的に細部にこだわる民族には恐ろしい力が宿っているものかもしれない。ドイツを見ていてもそう思うからね。心しておきたいものだ。
朝鮮半島を横断して、我々は日本へ向かい、下関から東京へ戻った。
日本ではこの4ヶ月の間に、おどろくべき変化があった。
我々が会見した犬養総理大臣が5月に暗殺され、今は齋藤子爵が総理になっている。
外務大臣は芳澤氏から、満鉄総裁だった内田氏に交代した。
国内国外問わず軍の士官たちをこれ以上刺激しないよう意思の統一が図られ、満洲国承認と条約締結への準備も急ピッチで進められている。
3月にあれだけ居丈高だった荒木陸軍大臣は留任だが、見る影もなくやつれていた。
日本では昨年から、陸海軍の若手士官によるクーデターが相次いでいるが、実行/未遂含めて首謀者の多くが、荒木氏を新政権の首班にと推しているのだ。
ただ人気があるからなのか?
本人は、どこまで関与しているのか?
事前に相談もされていると考えるべきだが、さすがに「やれ」とは言わないだろう。
それでも、5月のクーデターは決行されてしまった。
世論は実行犯たちに同情的であり、毅然とした態度をとれない政府への批判を強める一方のようだ。
とはいえ軍隊のトップに政治も任せていいものではあるまい。
荒木氏も、自分に総理大臣が務まらないことは理解している。
陸軍大臣だってどうかと思うが、そこには留まりたいようだ。
戦争論では常識なのだが、ここで、軍隊が政治を兼務することで生じる不都合について述べておく。
軍隊というのは有史以来どこでも、予算との戦いだ。
平時には邪魔者扱いだし、戦争が始まると貯蓄を一気に使い果たす。
国庫から借金して、可能な限り早期勝利を求められるが、当然みんなが勝てるわけではない。
この国庫も軍隊が管理することになると、どうなるか。
カジノで、プレイヤー自身がその場でいくらでもお金を刷れる機械を持っているようなものだ。
刷りまくるに決まってる。
誰がやっても必ず、なる。
張学良元帥のお父様も北京時代にそれを盛大にやってしまったらしいが、古来多くの国が、戦争をきっかけに国家の経済と資産を自ら破壊することによって、滅んだものだ。
軍隊は戦闘でのみ責任を果たすものであって、限られた予算/人員/期間の範囲内で結果を出すべきであることを、最初に学ばねばならぬのだ。
これはビジネスでも通じることだが、その通り。
戦争はビジネスだよ。
それ以上でもそれ以外でもない。
荒木氏を推す軍人たちには、そういう教育もしてやるべきだと思うが、日本には人材がいないのかな。
いたとしても、ここまでこじらせた後では、熱を冷ますのに時間も必要だろうがね。
それは我々の仕事ではない。
今の契約が終わったあとなら、コンサルタントを引き受けてもいいが。
必要ならドルリー・レーンまで連絡してくれたまえ。
仕事がある限り、老骨に鞭打って、働くよ。
そんなことを考えながら、我々は東京を発ち、支那へ戻ってきた。
各地のチームも合流して、今また、北平に集まってきたところだ。
7月19日か。そろそろ夏休みだね。
今日は陽射しが強い。
ちょっと、休憩しようか。
いつもの妖精さんが、私たちの後ろを尾けているね。
つかまえてくれ。この先の店で、待っているよ。
あの子のぶんも、注文しておく。
アイスティーでいいかな?