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2592年6月29日。雲のない青空。
コダマです。朝鮮の首都、京城へ来ています。
リットン調査団はいま、総督の宇垣さんと会見中。
そして私は、神田正種大佐と旧交を温めています。
「いったい今、きみは何者なの?」
タネさんからそんな風に言われるなんて、嬉しいです。
何者かと言われたら、満鉄職員ですね。大連の本社常勤で、用度部計画課の名刺をもらってます。
でも本当は、調査部。
関東軍でいうところの、特務です。
関東軍の特務機関が、満鉄所有の東拓ビルに間借りしている現実ひとつとっても、その力関係は歴然。
情報蒐集力に分析能力、なにより資金力が桁違いです。
関東軍はガリ版印刷機使ってますけど、満鉄には各部署にコピー機があります。
一台何十万円ていったっけ。この時代の価格でですよ。
鉄筋コンクリート造りの大連本社は、エアコンも完備です。
機密書庫も広くて。北満の地図も、関東軍のより充実してます。
上には上があるもんだ。
タネさんも、調査部室へ入ったことはないようです。満鉄図書館までが限界。
それでも軍の力不足を痛切に感じて、内地の参謀本部へ再調査を訴えた。満鉄へ、その地図をくださいっては、お願いできなかった。
関東軍の人にとっては面白いわけありません。だからタネさんにも、私は、本当のこと全部は言えません。
満洲国の全路線を乗り終えたので、次は朝鮮の視察に来ました。という設定で。
あくまで計画課という身分で、テツの話に終止します。
しかしまあ、さすがはタネさん。
「このタイミングで来鮮ということは、リットンを追ってるの?」
こう察した時点で、調査部の仕事だとピンときたようです。
スパイ同士の、肚のさぐりあいってこんなんだあ、と深い感慨を禁じ得ません。
タネさんからも、色々質問されました。
「満洲国、いま治安すごく悪いでしょう。いつどこから兵匪が飛びかかってくるかわからない。そんな四六時中気の休まるときもない日々で、みんなヘトヘトになってるって聞いてます。これから高粱が繁る季節だけど、今年はとくに、ひどかろうね。どんな対策してますかね?」
コーリャンは8月から9月にかけてが成長期。丈は2メートルを越えます。それが満洲では至るところに生えていて。大豆と並ぶ主生産物なんです。
この繁みに、いろんなものが身を隠すんですね。
当然ですよね。
満鉄沿線だと、数百人規模の匪賊が、一斉に飛び出してきたりするんですよ。
夏といえば匪賊、というのは以前から満洲の風物詩ですけど、9月18日の事変一周年をデンジャラスピークに、厳戒態勢が続いています。
具体的対策となると……私は警備方面には関係してないので、満鉄おじさんたちの気合いの入り方が半端ねえっす、という話だけしてきました。
タネさんて、先天性ステルス志向でスパイ気質の人だったはずなんですけど、朝鮮では出世コースに乗っちゃって。
今後は大隊長とか、旅団長とか、任される立場になりつつあるので、
「キュークツでたまらないよ。ガラじゃないんだよねえ、人の上に立つなんて」
みたいなボヤきを聞きました。サモアリナン。
わかります。私も、まだまだ、身軽でありたい。
どんな形で迎えようと、昭和20年を迎えられたら。
その先はしっかり足場を固めて、ゲーム会社を始めてみたいな、なんては思ってますけど。
それまでは、油断しないぞ。ってね。