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おそろしいほどの人出だった。
余裕をみてきたつもりだったが、東京駅が見えてきた頃には、もうすっかり陽が落ちていた。
なんとか人混みをかきわけかきわけ、駅へ向かう。
七時すぎだな。前方で歓声が上がった。
博士と、奥方と。あとは、学者や出版社の連中か。
群衆に取り巻かれて身動きがとれないようだ。という風に見えた。が、よくわからぬ。
前方でまばゆい光が煌めき続けている。
コダマを、肩車した。
儂も背は低い方だが、なんとか見えるか?そうか。
これ以上近づけなさそうだ。すまんなあ、勘弁してくれ。
陸大に、ドイツ製の双眼鏡があったので、こっそり持ち出してきたのだが、まさか本当に役立つとは思わなかった。
どうだ、コダマ。博士の顔が見えるか?
「閣下、あのビルの屋上に上がれれば、よく見えると思うのですが…」
ほう。そうだな。窓に灯りはともっていないが、ちょっと、行ってみるか。
入口に守衛がいた。
陸軍の大尉だが、この子と一緒にアインシュタイン博士を見たいので、上がらせてもらえないだろうかとお願いしてみたら、笑いながら鍵をあけてくれた。いい人だ。
人混みの中で汗をかいていたのだが、ここはさすがに風も吹いていて、寒いな。
しかし、よく見える。
なんという人の多さだ。
博士たちは、駅からちっとも進んでおらん。群衆の握手責めに遭っておる。
光の明滅も収まらぬ。まるで最前線の砲撃だ。あれでは目を潰されように。
コダマは、双眼鏡を覗きこんだまま、一心に博士を見つめている。
もともと口数の少ない子だが、それにしても、いったい今、なにを考えているのだろうな。
儂は群衆と、コダマを、交互に見つめながら、時折、体操をして体を温めていた。
「……閣下、ありがとうございます。もう、じゅうぶんです。どこか暖かいところへ寄りましょうか」
そうだな。その辺で、夕餉をとろう。
「さっきは肩車をしていただいて、恐縮でした。重くなかったですか?」
ははは。お前は軽いぞ。軍では十五貫くらいの装備を担いで一日中、行軍するくらいは普通だ。
「閣下には、お子様はいらっしゃらないのでしたよね?」
ああ。おらん。こればかりはな。
まあ授かるときには授かるだろうさ。
授からなければ、お前が養子にくればよい。
「宮本社長にも言われてます」
あいつには子供がおるじゃろうが。儂によこせ。
「私は、モノではありませんよ」
冗談のわからん奴だな。
なあお前、アインシュタイン博士がどんな研究をしたのか、儂に説明できるか?
「博士の論文を手に入れていただければ。相応のお時間をいただければ。まずは自分で理解して、そのあとでなんとか、言葉を尽くしてみたいです」
うむ。まあ。さすがにな、それは儂には専門外すぎる。そのうち、宮本に頼め。
儂は大盛の天丼を。コダマはかき揚げ丼を注文した。
旨かったな。ドイツから戻ってきたら、またここで食おうな。