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支那へ来て一ヶ月経つが、さすがにそろそろ、切り上げねば。
3月12日。おいぼれリットン、上海へ上陸。
破壊され尽くした、呉淞要塞や閘北地区を見て回った。
被害は主として支那人居住区だが、日本軍の空爆は租界や港にも及んでおり、証言者の国籍/言語/年齢も万国博覧会並みの幅広さだ。
日本側と、支那側とで、発端からどういう段階を経てこうなったか、その証言は正反対だが、これはもとより想定内。
双方の言い分は、どちらもしっかり記録させていただいた。
ここからはチームを何班かにわけて、杭州/南京/漢口/武昌/九江/重慶/四川など各地を訪問する。
長江流域は昨年大水害に見舞われ、悪臭漂う河岸で今も過酷な復旧作業が続いている。
災害といえば、日本の荒木陸軍大臣についての情報が届いていたよ。15年前の欧州大戦中、ロシアに派遣されていたそうだ。
ロシアも自然災害については相当厳しいものがあるんだがね。
官舎で毎日、ズブロッカでも飲んでいたのかねえ。
私は南京を訪問した。過去いくたびも戦禍にまみれてきた都市だ。
広すぎる城内に、広漠たる荒野が広がっていたのは印象的だった。
水源も、今は長江から引いているため水質が悪いが、山地から取水する計画があるという。
不衛生なうちは蚊も多く、夏場はそうとう辛いだろう。4月でさえ、閉口した。
競技場は、ベルリンのものよりも大きかった。スポーツと文化に対する情熱は、並々ならぬと感じる。
林森=国家主席、汪精衛=行政院長、羅外=外交部長、蒋介石=軍事委員長らと会談。
誰もが日本の暴虐を激しく非難し、我々が正義の鉄槌を下すことを期待している。
間違ってもらっては困るのだが、我々は公正なる調査をしに来たのであって、支那の同盟軍として訪問しているわけではない。
日本へ処罰を下すとしてもそれは連盟の仕事であって、我々が決めたり実行することはない。
そんな我々に対して、正しく理解した上で批判するのは、共産主義者の方々だ。
共産党の巣窟となっている武漢地域へは軍歴を持つメンバーに行ってもらったが、ここで私たちの捜査を妨害するアジテーションを見つけてきたそうだ。
私が脅迫状コレクターだと皆知っているから、伯爵やっと手に入りましたよと、丁寧に保管して持ってきてくれた。
この旅初の、有益な収穫だね。
「警告する。あらゆる兆候からしてリットン調査団は平和の使節ではない。国際連盟とはプロレタリアを排除する世界規模の強盗組織であり、すべての被圧迫民族の敵である。かれらはその手先であり、支那の分割を狙うスパイなのだ。いかなる協力も許さない」
当たっている。
国際連盟にソ連は参加していないし、調査団にもロシア人はいない。
だからソ連政府やコミンテルンの意向を汲むことはできない。
なのに同じく非加盟国であるアメリカへは、わざわざ連盟から頼んで特別に参加してもらっているのだから、コミュニストたちが敵とみなすのも至極当然さ。
なんの不思議もない。
現実問題として、コミュニストたちは連盟を頼ることができないのだし、問題が起きたら自分たち自身で解決するしかないねとしか言えない。
その手段として国境を越えた犯罪に訴え、それを国際連盟が審議すべく探偵に依頼するとすれば、また私に声がかかるかもしれないが、その時はその時だ。
これもまた、道理だろう。
我々は、4月9日までに北平へ集結して、各地方での情報を報告し合った。
その後、この旧都へ身を寄せている、張学良元帥と会談。
彼は28歳の誕生日に父親を暗殺され、満洲の全覇権を相続することとなった。
それからの苦闘の日々は、あまりにもドラマティックであり、事変では日本から命を狙われる最重要人物として支那中の同情を一身に集めた。
張元帥は聡明な人物である。自分の言葉で一貫した説明をする。
父親のことや日本の話題に触れると激情を抑えられなくなる。
満洲での調査後、彼からはあらためて話を聞く必要があるだろう。
できるならばお父様の死の真相も暴きたいところだが、4年前の事件だ。
既に現場は、変わり果てておろうね。
北平。かつての首都・北京は、世界屈指の歴史と文化/学問/芸術の都であることを再認識した。
始皇帝が2100年前、あらゆる書物の焼却を禁じた。その精神が未だに保たれている。
きわめて驚異的なことだ。
この膨大な文化遺産が世界に対して開かれるとき、人類の歴史は現在知られているものとまったく違ったドラマに書き換えられるのではないかね。
エジプトの遺跡は現地では価値がないとみなされ、ロゼッタストーンが注目されるまでの間に多くが建築資材に使われてしまった。紫禁城ではそんな悲劇が起きないことを願ってやまない。
現存するすべての宝が、学問の徒によって守られることを願うよ。
今宵は格別に、よい夢を。