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わが調査団は、東京とお別れだ。
明日から西部へ移動し、数日間、日本文化にもてなされて回る。
ここで一旦、東京での体験を整理しておこう。
大角海軍大臣と会談中、またテロで一人亡くなられた。
団男爵という、三井財閥の総帥だ。
白昼堂々、至近距離からの射殺。犯人は現行犯逮捕されたという。
詳細がわかれば教えてほしい。
我々も、気をつけよう。
大角氏は、フランス語を話せるようだが、印象は薄かった。
印象に残ったといえば、山本農林大臣や新渡戸博士が、これからの満洲への移民について入念に計画を進めていたのが面白かった。
なるほど。スウェーデンくらいの国が、フランスとドイツを合わせたほどの新天地を手に入れたわけだから、それはそれは、夢も膨らむだろうね。
そんな実感を得られたよ。
皇居で、日本国皇帝に拝謁した。
午餐会には、裕仁天皇陛下と皇后、その兄弟の秩父宮と妃殿下らも同席された。
調度はすべて西洋風で、宮中には英語を解する者が多かった。
傍系の朝香宮はドイツ語が堪能。
裕仁天皇は日本語のみ。優雅で上品ではあるが、俗世から隔絶しすぎている感もあった。
欧州一般とくらべて、まだ非常に男性上位であると感じた。
いまや皇帝を擁する国家は世界では少数派だが、日本では2600年近い歴史を持っており、民族の精神および文化における影響力もきわめて大きいことは考慮する必要がある。
今回の満洲事変でも、本国と現地とで指揮権をめぐって天皇の統帥権限が大きな鍵を握っていたらしい。
結論はまだ出せないが、それでもしかし、この皇室では、機能的な意思決定は難しかろうと思うのだ。
天皇あるいは皇族の誰かが現地へ直接指示していたとは考えにくい。
だが、その判断は、現時点では保留だね。
では、よい夢を。