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帰れなくなりました。
ギリギリまで上海の騒乱をこの目で見て、それから満洲へ帰るつもりでいたのですが。
いま、港は避難民であふれ返ってます。とても、帰れません。
やむをえないので、満鉄と軍へ連絡だけ入れて、落ち着くまで上海にいます。
落ち着くまでっていつまでだ。
誰にもわかりませんよね。
2592年1月24日。
私は今、共同租界のホテルにいるんですけど。
上海北部の日本人居住区と中国人居住区。地名ではそれぞれ虹口、閘北。
この境界で、激しいデモが続いています。
住民同士の殴り合いのレベルを超えて、投石・破壊・掠奪の嵐。
流血を伴う、罵詈雑言。
これに、日本の上海駐屯軍および海軍による威嚇射撃・艦砲撃・航空支援まで加わってます。
炸裂音がここまで轟いてます。
この上さらに日本本国から二個師団を派遣決定、というのはマジなのか。
誤報であってほしいですが。
あなたたちは皇軍じゃないでしょう。
犬養さん、それから荒木さん、大角さんの仕業なんでしょうけど。やりすぎ。
12月に犬養内閣が誕生したとき、満洲へ派遣するべく師団へも出撃の準備をさせていた。
関東軍は手持ちの駒だけで錦洲占領して事変を完結させちゃった。
そこへ上海で暴動が発生。
現地駐屯軍からは応援の要請。
よしきた。
準備が整ったばかりの過剰な戦力を即、転用。
安直だけど、ありえます。
そして、悪手だ。
ボケ老人と、陽気な太鼓持ち共。
誰も止めようとしないか。命令権を持つ総本山ですからね。
この状況はしかし、ダメでしょ。
満洲事変の張本人の一味が、えらそうに言えることでもないんですけど。
夜になったら、いつものように支那服で偵察に行ってくるつもりですけど、ここまで街中が殺気立ってると、近づくことすら容易でないかな。
くれぐれも、安全第一を心がけます。
今は動けないので、ちょっとしたコネタを。
五年前に33時間半かけて大西洋を単独無着陸横断した、チャールズ・リンドバーグさんという飛行士をご存知でしょうか。
私が大連図書館から連れ去られたあの日。9月18日に、リンドバーグさん、奥様と日本へ来てたらしいんです。復座水上機でアメリカから遠路はるばる。
翌19日には南京を訪問してるんですが、その前に上海へもちょっと寄ってくれるということで、カメラマンたちが取材のため待機してたんですね。
そこへ事変が勃発。
上海立ち寄りは中止。急遽、記者たちは満洲へ行けと振り回されました。
ここでも関東軍怨まれちゃって。ゴメンナサイ。
もっと哀しい話。
同時期、世界一周最短記録を賭けて7月にニューヨークを出発した、二人組の飛行士もいたそうなんです。
10月に日本の、青森へ来てたんですが、ここで記念写真を撮ってたら、官憲に捕まって、二週間ほど勾留されたので記録達成がおじゃんになったそうです。
事変のせいとまでは言えませんが、国際社会をピリピリさせていた私たちにも何らかの責任はあったかもしれません。申し訳ありません。
以上、内山書店の常連衆に飲まされながら聞いた話です。記憶を失う前の記憶です。
今も、自分が機密を喋っちゃったんじゃないか怖い。
あれ以来、内山書店へは行ってないし、ホテルも替えました。
こそこそ、びくびく、脅えながら生きてます。
スパイはつらいよ。