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モテ期ってやつですかしら。一夜限りとはいえ。
上海のね、内山書店へ行ったんですよ。
私のこと、覚えてた人がいて。
「満洲から来てた人だよね?」と、目ざとく見つかります。
ああ。ええ。そうでしたかしら?
皆、事変のこと聞きたがる。そりゃそうか。
しかも私、モロ、中の人ですからね。この時点では、言ってないけど。
青年連盟に入ってて、奉天市内で雑用みたいなことやってましたけど~って適当にはぐらかしながら。
それでもアレヨアレヨという間にバーへ連れてかれて。
どんどんギャラリーが増えていって。
コップを置く暇もなく前から横から上からも注がれ続けながら。
根掘り葉掘り聞かれる。
うわあああやめてくれこういうの超苦手なのよ。帰りたい帰らせて。
なんて思ってるうちに、どんどん飲まされて、すっかり記憶がないのです。
やべえな。
自分が何をしゃべったか。うわ恐ろしい。
という落ち着かない一夜をなんとか生き延びて、逃げ延びて、二日目です。
フツカヨイでガンガンする頭をさすりながら、今日はホテルで寝転がったまま、新聞と雑誌を読みふけろうと思います。
んー。頭に入らねえ。
というか。
満洲内で、
特に奉天司令部とか、日本人居留地とかで読むことのできた新聞って、割とまあ、
「関東軍よくやった!」
「皇軍ガンバレ!」
的なものが多かったんですね。
土肥原さんとか、板垣さんとか、三宅さんとかは、そういうのばっか読んでは、ニヤニヤしてました。
そのあとで東京政府や陸軍省からの命令書読んで、文句言いまくるのが日常でした。
やや批判的な、英字系の新聞も届いてまして。
閣下や松木さんや私らなんかは、そっちの方を注意して読んでたんですけど。
それでも、認識が甘すぎましたね。
上海は、右も左も、保守も革新も、好戦家も非戦派も、誰もが発信できる、情報のスクランブル交差点です。
ざっと目を通しただけでも、その多くが、この4ヶ月間日本が満洲でしでかしてきたことを、猛烈に批難していることがわかります。
日本内地の新聞が、おそらく今でも、支那軍閥争乱時代にその各勢力のもつれ合いをきちんと把握できてなかったように。
今日の世界もまた、特に西洋の人たちには、ワカツキ政府から犬養政府へ代わったんだくらいは分かってても。
陸軍省参謀本部と皇室系機関との統帥権のモツレとか、
関東軍・朝鮮軍・天津軍などの相互関係とかを、
理解できてない記事がけっこうあります。無理もないんですけどね。
それにしてもヒドいのになると、ミカドすなわち天皇陛下の御一存が発端で、それに沿って日本の各地方軍組織が密接に協力し合ってこうなったのだ的な専門家分析まであります。
面白いけど。違うんです。
まったくそれ、間違いです。
旗も同じで、すべて日本人の兵隊ですけど、二大勢力が完全に敵対関係だったんです。途中までは。
うーむ。
マトモじゃないものは、間引いていきましょう。
きちんと構造を正確に捉えていて、なおかつ、看過できない示唆を与えてくれるものだけ、拾い上げます。
たとえば。
「日本はこれから、北満・北平・南京、そしてシベリアの順でまだまだ領土欲を満たし続けるであろう、その時期を予測する」なんて記事があります。
相当に先の先を読もうとしてますね。
日本の狡猾さを責めるよりそれ以上に、中華民国の弱さに憤ってる人たちもいます。
メイファーツメイファーツ言ってんじゃねえ、戦えと。
没法子。メイファーツ。
仕方ないんだ、っていう、諦めの言葉ですね。
列強に切り刻まれていた時代から、中国では常に誰もがつぶやく呪文です。
上海でも聞きますよ。上海発音では、ムメファーツです。
読み漁ってるうちに私自身も、やっと冷静になれてきましたけど、私たちはとんでもないことをやっちゃったんだなあと、反省しきりです。
のほほんと、バカンスなんて、してる場合じゃなかったかも。
いやしかし、来なければますます、わからなかったでしょう。
わからないままでいたでしょう。
答えを出せるまで、もうちょっと、います。