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板垣大佐が、帰ってくるのを、皆がひたすら、待ちわびてました。
錦洲城占領の直前、東京より、召還の命令がきたんですね。
それだけでも身構えるところですけど、荒木陸相から、「心配しなくていい、正装も準備してくるように」なんて補足もあったものですから、一同、もっと身構えました。
察しの早い人は、いよいよ、くるべきものがきたか?と9月18日以来最大の正念場を覚悟したことでしょう。
板垣さん、死地へ赴く戦士として、皆に見送られて、内地へと出征。
早く帰ってこないかなあと、十日も、待ちくたびれさせられました。
その間、私は、これも4ヶ月近くぶりに、アパートへと戻ります。
すごかったですよ。部屋のカビ臭さ。
食べ物とか置いといたら、もっとおぞましきものが生まれていたと思います。
あの日、図書館から、片倉に拉致られて、そのままずっと帰れなかったからなあ。
よくもまあ。ひどい話だ。
浦島太郎どころじゃないですよ。
世界が変わってしまったんです。
玉手箱あっても開けませんけど。まだまだ、おじいちゃんになるのは早すぎます。
私の人生これからなんです。満洲の大地にヒトハナ咲かせてやりますぜ。
今年22歳でしょ。あと何年生きられるかなあ。
どこまでのことが、やれるかなあ。
手紙もね。山ほど、たまってたみたいですけど、これは大家さんがとっておいてくれてました。
一週間くらいで、私がずっと帰ってないと気づいてくれたんです。ありがたや。
ほとんどは、サノと、トーイチさんからですね。
宮本社長からの年賀状もあります。奉天へ帰ってからじっくり読もう。
お返事書くのも、ひと仕事だ。
大連の満鉄本社と、すでに古巣の図書館へも、挨拶を。
復職の手続きを一通りすませて、それでも2週間程度のお休みはこれからいただくことにして。
ゆっくり静養して、リフレッシュしてから戻ってきます。
うん、リフレッシュしたい。
緊張を解いて、全身の力を抜いて、のんびりしたいです。
そんな忙しい一日を過ごして、奉天司令部へ戻ってきました。
板垣さんの話に戻りますが。
1月8日に東京で、天皇陛下へ御拝謁。
関東軍代表として。
なぜか本庄さんじゃなく。
ユウアクなるチョクゴをカシされました。
優渥なる勅語を下賜。
皇室用語はよくわかりません。手厚いお褒めの言葉をいただきましたって意味です。
「皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セラレタルコト、朕深ク其ノ忠烈ヲ嘉ス」
その連絡が板垣さんから届いたときの我々の絶叫を動画にしておきたかったです。
どんだけアクセス稼げただろう。
いかん、今年に入ってからカネの話ばかりしてますね。いじきたない、いじきたない。
閣下は、皆を諫めました。
ホンモノをこの目で見るまでは、疑ってかかれと。
ほんと、パパったら、慎重すぎ。
そんでさあ。板垣さんが、帰ってきたわけですよ。
東京でも、各方面からの祝賀に招ばれまくって。そりゃ挨拶して回るところも一杯あるでしょうけど。
こっちは気が気じゃない状態で待ってんだよ!
早く帰ってこい!ツルッパゲ。
でまあ、やっと本日、1月13日になって、板垣さんがウソつきじゃないってことが、証明された次第なんです。
天皇陛下の勅語。ホンモノの正本。
旅順の総司令部へ持っていきますが、飾ることは厳禁だそうです。
日焼けしない、カビない、盗まれないところへ厳重に保管しておくこと、ですって。
変な理屈ですよねえ。毎日みんなで拝みゃいいじゃないですか。
それがアリガタミってもんじゃないでしょうか。
せめてコピーを貼らせてほしいものですよ。これは我々の誇りなんですから。
「我々は、勝った」
閣下のこの言葉で、私たちの満洲事変は、最高のトゥルーエンドを、締めくくりました。
そのあと、石原莞爾から、父モードで、話しかけられます。
「どうだった。驚いてもらえたか。感想が聞きたい」
前世今世通して二生ぶん。
どころかそれこそ時の輪の接するまで五劫の摺り切れるまでぶん、驚かせてもらいましたよ。
泣きませんよ。泣くもんか。
大悪党め。
あなたは、とんでもないものを盗んでいきやがりました。
私の心と、みんなの心と、世界の心と、未来も、ぜーんぶ。
新しい仕事が、山ほど必要になります。これから。
滿洲国の建国宣言は、春頃の予定です。
それまでに、やること、まだまだいっぱい、あるんですからね。
おっとその前に、休暇です。
東京へ行くと、板垣さんみたく、面倒なことになりそうですから。
今回はリフレッシュなので、上海でも、ぶらつこうかと。
一人で。のんびり。
思う存分、泣きはらしたい。