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11月17日。
いよいよ、連盟の期限も間近くなったので、前線では本日未明、多門師団による総攻撃が始まりました。
戦車隊に爆撃機まで出動しての、大捕物です。
奉天司令部で、固唾を飲んで見守っています。
私は現在、松木顧問が作成した満蒙自由国設立案大綱の検討作業に携わってます。
組織図の雛形はできたので、これを各関係機関へ配って、調整してる段階ですね。行政のステージです。
細かなところは私の出る幕ではないのですが、ものすごく根本的なところが気になってます。
満州国は、五族協和の民主国家。
はじめのうちは日本人が主導するけど、人口比ではとてつもなく多数派である中国人の方々が主役です。
満・漢・蒙・韓・和、ですね。
五族協和という言葉自体は、清王朝末期に生まれました。当時は朝鮮と日本が入ってなくて、モンゴル・チベット・回族が分かれてました。新しい五族では、この三民族をまとめて、蒙としています。
満洲族と漢民族って今は現実的に分けようがないんですけど、満洲という土地に立脚していることをアピールする必要から、分けてます。
要するに、あんまり厳密ではありません。
個人的には、白系ロシア人も入れたい。けど、語呂も悪いし、満洲を故郷と呼ぶにはまだ違和感も強いので、いずれ段階を踏んで、というところでしょうか。
話がそれました。
もっと根本的な問題として「この国、共和制のはずでしたよね?」てところが私の疑問です。
現在、東三省に住んでる民族は、これでもかというくらい、有象無象。
南京政府が頼りにならず、旧瀋陽政府もボロボロだった。そこへ新国家をつくるにあたり、何をもって国家の礎となすか。
国民をひとつに束ねることのできるシンボルとは何か。
確かに難しい課題です。
そこで、溥儀皇帝をお迎えしようという発想が生まれました。
アイデア自体は悪くないと思うんですが、皇帝を擁するってことは、すなわち帝国。
満洲帝国。
ムムム?
考えすぎかなあ。
確かに、いきなり共和制でスタートしてもパンチが弱いでしょう。だからひとまず帝国から出発する。現実的な政略かと思います。
南京政府・日本政府・国際連盟ほか世界各国と長期に亘り交渉していくにあたって、無名に近い趙欣伯氏よりも溥儀皇帝の方がはるかに足もと見られますまい。それは極めて重要なポイントです。
ただ、帝政でいくとなると建国宣言の中身がまるっきり変わってきちゃうんですよね。
これを詰めるには、やはりどうしても、溥儀陛下が来てくれてからじゃないと始められない。
聞くところによると、溥儀氏は復辟にこだわってて、皇帝という存在でなければ嫌だと。この一点を頑として譲らないそうです。
それさえ認められれば、政治には一切口出しをしないみたいな噂も聞くので、対外的には堂々たる絶対君主のイメージを示しつつ、中ではがっちりブレーンたちの意見を聞いてくれる、そんな関係が築ければいいですね。
ブレーンたちと言ってもアクの強い、始終言葉でも拳でも殴り合いをしているような人たちばかりですから、満洲青年連盟は。生半可にはつきあえません。毎日がプロレスです。
写真で見る限り、張学良よりずっとお坊ちゃま風な溥儀氏にそんな日常が堪えられるかな、というのも不安材料なので、早くご尊顔を拝したいものです。
溥儀がかわいそうになったら味方をするし、溥儀がワガママ言い始めたらブレーン側に就いて策を練ります。
いいポジションでしょ。
だから早くお会いしたいです。溥儀陛下。