File_1931-11-002D_hmos.
帰ってきました。奉天へ。
もともと長くても一週間しかいないつもりだったそうです。言ってよ閣下。不安だったじゃないですか。
多門中将によろしく後事を託して、我々はあたたかい鉄道へ乗り込み、戦場をあとにしました。
「天皇陛下の統帥権を一時的に東京参謀本部が委任されることが決定した、今後は参謀本部の命令に従うべし、よって直ちに兵を退くべし」と強い調子の電文が、奉天司令部へ届いたそうです。
ついに来るべきものが来た、我々は今までのウラミヲハラサレルゾ。
板垣さんが取り乱して、泣きそうになってますという、連絡でした。
それで急遽戻ってきたのですが、閣下、内地からの通達を確認するなり、一蹴。
「ホンモノなら、勅書の正本が下賜されてくるはずである。それが無い以上、陛下からこのような御下命があったなどと勝手に認めるわけにはいかぬ。惑わされるな!」
さすがというか。肝の据わった大悪党。
真偽はともあれ、三宅坂も考えましたね。
本当に統帥権委任が行われると、我々はめいっぱい報復されるでしょうね。
そのときはすみやかに独立宣言します。
日本から我々に命令できる権限を、完全に排除する。そのタイミングを早めることになります。
もし、奉勅がウソッパチであれば。
正規の手続きを踏まず、参謀本部が思いつきだけでこの指令を作成し送ってきたのであれば。
君たちも反逆罪です。
陸軍省から何人のクビが飛ぶでしょうね。
閣下と私は、ありえるパターンを五つほど出してみて、それぞれの対策を立てました。
もちろん東京になんか教えてやりません。
さあ、ライアーゲームの行く末はいかに。
一週間前線にいたので、世情にすっかり疎くなってました。
国際連盟からも、強い調子で即時撤退を言ってきてます。
あれ?19日まで待っててくれる約束じゃなかったでしょうか。
ちなみに理事会では、本来連盟に入ってないはずの米国オブザーバーを加えて決をとったそうなんですが、13対1という票数で日本への制裁を決議。
これに対して外相シデハラ。
「理事会は全会一致が原則のはず、この決議は無効である、もっと話し合うべきです」とゴネてるんだってさ。
そんな法廷ドラマ、ありましたねー。
正義を貫く、たった一人が、残りの全員に対し粘り強く説得を重ねて、総意を覆すんですよね。
日本大使の芳澤さんには出来るかな。一票でも逆転させられたら凄いですけどね。
我々にとっては、東京が緩衝地帯になってくれて、せいぜい粘ってくれる今の状況はありがたいので、放っておきます。
あとはですねえ。
これもチチハルから一週間で戻ってくる段取りの一要素だったんですが。
天津にいる溥儀陛下との交渉が進んでいて。明日あたり、満洲へお引っ越しされる予定らしいんですね。
ただ、元皇帝ですし、現在政局的に彼の身柄は特A級の保護対象になってるんで、夜逃げのような形で連れ出さなくてはならない。
いま閣下はその打ち合わせを、特務の人たちとやってます。
特務絡みの会議に私は参加できないんで、あとからこっそり教えてもらいますけど。
本格的なスパイ大作戦みたいなことをやるようですよ。
私はちょっと休憩をいただきます。
青年連盟創立時メンバーのお医者さんで、ヴァイオリンの名手がいて、リクエストで時々弾いてくださるんですが、今もそれが隣室から聴こえてきます。
曲名はわかりませんけど、とても癒やされます。
その調べに浸りながら飲む、たっぷりミルクを入れたコーヒーが、たまらなくおいしいのです。