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錦洲を、爆撃してきました。
錦洲というのは、熱河省ですね。東三省の外です。北京へ一歩近づきます。
当然、大問題になってます。
いまさらですけど。
張学良には、芝山中佐という日本人顧問……良くいえば軍事大国日本からおいでいただいてる専属家庭教師、現実的には日本人との通訳でも雑用係としてでもおそばにおいてやってください的な人身御供。そんな方がいらっしゃるんですが。
この芝山氏。事変が起きた9.18には東京へ戻られてたんですね。
学良さんホラ阿片の吸い過ぎだか何だかで、北平で入院してたから。
26日ころ、芝山氏、北平へ戻ってきて学良と対面。
どんだけ怒られたことやら。何て弁明をしたのやら。
これもドキュメントで読んでみたい。生きて帰れたら手記書いてください、芝山さん。
ともあれ氏からのリークで「学良は北平より戻ってきており、いま錦洲の東北大学で臨時政府を準備中」という情報を関東軍は、つかみました。
内田総裁が日本へ旅立たれたあと。
「じゃあ行くか」と私、閣下から呼ばれます。
どこへ?
ドキドキしながらついていった先は、奉天城内飛行場。
一般の人は入れません。私も初めて入りました。
私の目には復刻骨董品の複葉機ばかりですが、この時代では最先端であろう航空機が、ズラッと並んでます。
「今すぐ飛べるのは何機ある?操縦士は何人いる?」
背筋に冷たいものを感じながら、ついて歩きました。
「11機が限界か。少ないな。いい。爆弾を積んでくれ」
「八八式は爆撃機じゃありません!」
「座席脇に押しこむか、胴体にくくりつけて紐を切ったら落ちるようにするとかしてくれ。大至急頼む。儂らは地図を確認してくる」
目標が錦洲東北大学であることを、ここで初めて知らされました。
天候、風向き、往復の所要時間に事故発生時の対応、などテキパキと求めていく閣下。
シミュレーションですよね?
訓練をやろうとしてるんですよね?
んなわけないかあ。
案の定、体重の軽い者が望ましいって理由で私が選ばれ、連れてこられた次第です。
兵隊になりたくなくてヤセッポチのままでいたのに、そんな落とし穴があったとは。
先頭の隊長機にベテラン操縦士と閣下が乗り込み、次のに私が乗らされます。パイロットさんよろしくね。
以下、掻き集められた兵士で編隊が組まれます。
飛び立って。
爆弾おとして。
戻ってきました。
奉天城へ着陸すると、先に戻っていた閣下が新聞記者たちに囲まれてフラッシュを浴びてます。
早すぎますよ手回しが。いくらなんでも。
「これは国際連盟への挑発であります。かれらに東洋の精神は理解できません。東亜の平定は東亜の人間によって築かれるべきです。そのための決意表明をたった今、してきました」
おそろしいこと言ってます。
でも一発も命中してるとは思えないし。
みんな前の機に倣って紐を切ったり放り投げたりしましたけど25kg爆弾を。あるだけ。
私もやっちゃいましたけど。
あんなのせいぜい威嚇です、イカク。
死傷者が、出てないことを、祈ります。
とはいえさすがにこれは、奉天司令部でも物議を醸しました。
閣下の突発的な思いつきだったらしく、板垣さんも片倉も三宅参謀長も土肥原のおっちゃんも、皆、あ然。
とりあえず状況報告まとめて、本庄さんから内地へ伝えてもらおうってことに。いつものように。
その報告書作成も私、手伝いました。
刺激的な言葉はなるべく使わず、穏和に、穏和に、心をこめた反省文を、書きました。
ゆるして。