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ハルビンの街並みは、ロシアそっくりだそうです。
中国領なので法律も中華民国に準じますが、中心街にはキリル文字の看板が並び、漢字は極めて少ないとか。
ソ連になってから逃げてきた白系ロシア人が多いのもあって、ソ連というよりもロシア帝国へタイムトリップしたかのよう。
古き良きロシア貴族たちの文化と香りを色濃く醸し出す。そんな異文化を味わえる、ユニークな街なのだそうです。
せっかく日本と友好都市になったのだから、是非一度行ってみたい。
そう思います。
2591年9月28日。
ハルビンにて、東省特別区治安維持会という行政組織が誕生。
現地中国人たちによる地方政府運動という体で、中華民国からの独立を宣言しました。
バレバレなんですが、裏で関東軍特務が手を引いてまして。吉林と同時に絶好のタイミングで決起。
無血クーデターとして親日政権による対ソ防衛拠点をつくってしまいました。
現地市民のみなさんも、これまたビックリ。
名前が堅苦しいのでハルビン政府と呼んじゃいますが、日本とは仲良くしたい、戦闘は望まないと表明してます。
みごとなまでの、外交的結着。
私も心からビックリしましたが、東京はもっとビックリしてるでしょうし、中華民国もソ連も、国際連盟だって皆さん唖然としておられるでしょう。張学良の裏切り以来のビックリ逆転劇です。
次のニュース。
同じく9月28日。東京から、早くも第三次の、関東軍を止めてこい派遣団の四名様、ご到着。
橋本虎之助参謀本部第二部長と、手下の方々。
台風で船便すら欠航が相次ぐ中、ようこそ。
現在、関東軍では、司令官・本庄シゲルくんが電報電話番。
彼は着任してまだ一ヶ月も経たず、今回の計画まったく何も知らされてなくて、でも肩書きは長なので、お飾りですが責任者させられてます。不憫なスケープゴートです。
奉天の司令部ですべてを仕切っているのが、我らの石原莞爾参謀中佐閣下。
部屋の隅にベッドを置いて、疲れたら着の身着のまま眠る。
すでにモーレツに臭いんですが、本人は着替える時間さえも惜しいらしい。
前線から列車が戻ってくると、部下が起こします。
閣下は負傷兵やご遺体を必ず自ら出迎えて、ご苦労だったと声をかけ、ひとりひとりをねぎらいます。
関東軍一万の兵は涙を流し、救護所へ向かいます。
この姿はすでに奉天市で大きな話題となっており、皇軍ガンバレと日本人居留民たちからの声援が鳴りやみません。
皇軍。
数日前から流行りだした言葉ですけど、関東軍が天皇陛下直隷であること、実はもう知れ渡ってます。
東京参謀本部の中の、関東軍とつるんでる一派が、かれらは尊き皇軍であるぞと主張し始め、内地の新聞で使われだしました。
じゃあ天皇陛下が止めろと言ってくださるかというと、まだ、きてません。
首相や政府や省庁が命令書出すのと違って、陛下のお言葉ってのは重いんです。
一度出したら取り消しもきかないし、手続きも複雑なんです。
おそらく枢密院や宮内省が政府へ、一体なにが起きているのかと正確な情勢報告を求めても、ワカツキがまともに答えられないでいるために、対策を進められないのでしょう。
シデハラが首相代理やってた時の失言も遠因のひとつです。「ロンドン軍縮条約は陛下もお認めになった」と発言して「天皇陛下に責任転嫁するつもりか」と叩かれたんですね。死期間近い濱口首相がそれをかばい続けました。
そんな事件もあったので、ここでも待ったがかかります。
だから、もうすこし、時間を稼げそうです。
話を戻しますが。
虎之助一行はひとまず瀋陽館へ案内され、一番手の建川くんと同じように酒池肉林でもてなされる……かと思いきや、今はもうお茶すら出さない扱いであるとか。
関東軍高級参謀の板垣大佐が接待担当してるんですが、虎之助少将は今までのよりひとクラス大物らしくて、「自信ないなー」てぼやいたみたいなんですね。
すると石原閣下、四人のなかに遠藤くんという同郷の後輩がいるっていうんで、儂が行ってきてやると、瀋陽館へ出向きました。
「三宅坂のドラ猫が何のお使いだ?」
そうまくし立て、こいつらの宿泊費は本人払いで、と受付にわざわざ言って戻ってきたそうです。
階級では虎之助さんより板垣さんが下だし、閣下はさらに下なんですけどね。普通はありえないことですが、閣下、普通じゃないから。
本国もねえ。チマチマ小物よこさないでもっとフツーじゃない大物よこしなさいよ。勝負にすらなってません。
でも大物っていうと誰だろう。
閣下と渡り合えるような人物。内地にいるかな。
存命人物では、思い浮かばないな。