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2591年9月19日。土曜日。お昼前。
道路はいたるところ、水たまり。
市民も、兵士も、私も、足もと泥だらけ。
奉天、もとい瀋陽市内は、関東軍が制圧し、目下、戒厳令が敷かれています。
市民の皆さん、驚いてます。
いつもより騒々しい砲音してるけど今夜の演習は派手だなあ、くらいに思ってたようです。
朝起きたら、街じゅうに、日本兵。
奉天城……現名称は瀋陽城ですけど、地元の人も奉天城って呼び続けてますね。その奉天城も、関東軍に制圧されました。
北平も、今でも北京っていう人います。ペキン、ペイピン、どっちもアリです。
張学良はいまその北平で阿片中毒かなんかの療養中なので、満洲にはいません。
聞くところによると、北大営でも奉天城でも、戦闘はほとんど起きなかったとか。
東北辺防軍の兵たちは、日本軍とは戦うべからず、と厳命されていたらしく、一部の小隊が抵抗はしたようですけど、おおむね一目散に退却、とか。
それでいいのか?
誰にも言いませんけど、矛盾してます。
昨夜、北大営と交戦始まって、圧倒的劣勢だから援軍要請したんじゃなかった?
そんな激戦のあとは、どこにもない。
市民も、気づいてさえいない。
それに旅順参謀本部の、あの、完全に準備されていたかのような、一糸乱れぬ統帥ぶりは、とても、偶発的事件への対応とは思えないように素人には感じられました。
そして、なにより。
閣下。知ってたんでしょ?
だから私を呼んでおいたんでしょ?
逃がさないぞって。
どこへも行くなよって。
そして、ここまで、連れてきた。
満鉄へも、しばらく預かるからと断って。
いつ帰してもらえるんでしょう。
ここが一番安全、とはわかってますけど、それにしても不安でいっぱいです。
せめて、何か教えてください。
いったい今、何をやろうとしてらっしゃるのですか。
このあとさらに、何をしでかすおつもりなんですか。
奉天市内を閣下たちと見て回ったあと、東拓ビルの一室で軟禁されている私は、俎板の鯉のように、脅えています。