File_1922-02-002D_hmos.
ウラジミル・レーニン。
今回は、彼を主人公にして語ります。
革命により政権を奪取すべし、と叫ぶ人はいっぱいいますが、ロシアを舞台にそれを為しえたのがレーニンです。
ロシアではお尋ね者で、ヨーロッパを渡り歩いてました。
マルクス主義の信奉者です。
カール・マルクスとは、資本主義の誕生とその成長過程を研究し、これに異を唱え、人類が目指すべき究極の社会は共産主義であるという理論を宣言した人です。
紡績と重工業の巨大化。様々な機械の発展。植民地経営。
今日までの二百年足らずで世界は大きく変わりましたが、巨大資本が世界を動かしていくこの資本主義体制では、極一部の資本家と、大多数の搾取される人たちしか生まれない。
これはおかしい。
搾取される人=プロレタリアートは立ち上がり、資本家=ブルジョアジーにとってかわるべきである。
そして、プロレタリアートによる国家を築く。
すべての人に平等に仕事を与え、個人財産は持たせず、国家がそれを公平に分配する。
プロレタリアートのプロレタリアートによるプロレタリアートの世界を目指そう。
お断りしておきますが、私はマルクスを実際に読んではおりません。閣下からお借りした本を読んだだけです。マルクスを否定する内容ばかりでしたので、そこから逆算して、マルクスとはこういうものではないか、と推測して書いております。ご寛容ください。
そこで主人公レーニンですが。
彼はこの理想社会を実現させるために、徹底的に武力闘争をせねばならぬ、と腹をくくっているところが、おそらく革命を成功させた最大の特異性なのではないかと考えます。
彼は精力的に議論をし、相手を攻撃することをためらわず、力強い筆致で著書も多く書き、そして人を束ね動かす指導者としての資質を磨き上げつつ、権力と戦い続けました。
欧州大戦が始まってからも、様々な国を渡り歩いていたようです。
長引く戦乱にヨーロッパ中が絶望と怒りをたぎらせておりました。
いつまでも戦争を終わらせられない政府と王族と資本家たちを打ち倒すべし、という彼の言葉は、遍歴中にますます研ぎ澄まされていったものと想像できます。
レーニンは全欧州のプロレタリアートが団結することで戦争は終わらせられる、その時は間近い、と考えていたようです。
ヨーロッパに続いて米国、アジア、中東、アフリカへと共産主義革命の波が広がっていくであろうと。
そのための私兵集団=ボリシェヴィキを組織して、積極的な破壊活動を行うのが、彼の戦法でした。
欧州大戦4年目。祖国ロシアで、食料を求める市民の群れが、警官隊との乱闘、発砲による流血騒ぎに発展。
鎮圧を命じられた軍の中でも上官を撃ち殺す者が現れたりなどの、無秩序状態となります。
労働者と連帯する将校たちが国会議員団へ働きかけ、すでに弱体化していた皇帝のニコライ2世へ退位を勧告して、放逐します。
かくしてロシア帝国は終焉を迎えました。
この段階でまだレーニンは係わっておりません。
2月に帝政を終わらせた革命家たちは、議員たちを中心に臨時政府を打ち立てますが、その運営は大変にデタラメだったようです。
戦争も継続したまま、泥沼でもがき続けていました。
レーニンはボリシェヴィキを率いてここへ乗り込み、11月に政権を乗っ取ります。
ここからがレーニンの真骨頂です。
レーニンはボリシェヴィキを中心とした議会を瞬く間につくりあげ、公正なる投票によって、様々な問題を巧みに片付けていきます。
ペトログラード・ソヴィエトと呼ばれるこの政治委員会は世情をひとまず安定させ、反対派を封じ込めることにも容赦なく迅速でした。
そして欧州大戦についても即時講和を発表し、年内に戦争から一抜けたのです。
翌年、国名を「ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国」と正式に宣言。
世界初の共産主義国家として世界の注目を浴びました。
しかしレーニンは、過労や暗殺未遂で重傷を負ったりして、その政治手腕を発揮できなくなっていきます。
国内ではそれからも数年間、内戦状態が続きます。
欧米の資本主義列強諸国も、共産主義化することなく大戦が終了してしまいます。
資本主義をあしざまに罵ってきたソ連は、未だ多くの国から国家承認さえされておらず、孤立の状態にあります。
昨年、国内経済を立て直すため、レーニンは新経済政策=ネップという改革を行いました。
これは共産主義を緩和して、資本主義的な自由経済を部分的に導入するという、現実に即した方向転換と目されています。
まだまだ予断は許せませんが、ネップは資本主義諸国との貿易を再開したことで、好意的な評価を得ているようです。