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支那の広さって、こういうことか。
そんなこと、つい考える春うらら。
コダマです。
三全大会という、支那における全国会議が今、南京で開催されています。
その内容なんですが、政府機関紙と地方の新聞、さらに英字新聞を各種読み比べると、その内容のバラバラさにめんくらいます。
ですが、それを踏まえた上での、私なりの分析を述べます。
蒋介石くん。
君は軍人であって、同じノリで政治やっちゃいかんと思うよ。
そもそも中華民国というのは孫中山先生が提唱した三民主義を国家憲章としています。そのはずです。
支那民衆の総意にもとづく合議制。
すなわち民主主義ですね。
議題を論じあった上、投票で採決をとりましょうという、きわめて公正なルールが原則としてあるハズ、なんでした。
蒋介石は、孫中山の軍事面での後継者の一人ではあるのですが、同じように政治面・文化面での後継者だって、大勢います。
孫中山先生の最期を看取った思い出と合わせて三民主義の理念を語ってる人も実に多いんですが、蒋は孫中山が死んだその日もずっと、戦場にいました。
孫先生悲願の北伐を完成させたのは確かに蒋です。
しかしそれを根拠として「私こそ国家なり、私に従うことが孫先生のご遺志に沿うことである」と言い始めるとなると、これはちょっとヒドい。
実際のところ蒋は、ナゼ自分が猛批判されているのか理解できないようで。
「国を統一した英雄に対してお前ら陰謀を企ててるな?望むところだ」って戦時体制を解こうとしません。
んーとこれ、袁世凱が陥ったのと同じパターンではないですか。
袁のトチ狂った末期が頭をよぎって仕方ない。
ズバリ同じこと言ってる人もいるんですが。
その指摘を蒋は意に介そうともしない。
市民レベルでいえば、あらゆるものに税金かけられて、しかもまともな計算もされないで国府の役人が幅をきかせてる生活をいまだに強いられてる上、集会の自由がありません。
届け出無しで……ってこれもザル法ですけど、3人以上が集まって政治の話をしてるだけで即、刑事罰対象となります。
官憲はそんなのを見つけてはワイロを要求するし、できるし、してるし。
平和からはほど遠い世情なんです。
とはいえ。
南京ではそうみたいですけど地方へ行くほど、そんなのはユルくなってて、これが支那の広さを実感させるって意味なんですけど、私のいる関東州を含む東北では、ひとまず戦争の危機は去ったと、市民の表情は明るいです。
支那人街へ入れば、次から次へと元気いっぱいの呼び込みに声をかけられます。
蒋さんには国防という大任を今後つとめてもらいたい。
これは国民政府の未来を考える皆さんの総意だと思います。
決して、蒋なんてもう用済みだってことではないはずです。
けど、蒋にとっては「ナゼ俺が、ナゼ俺が最高権力者であることに異論が出るのだ」ってとこなんでしょうなあ。
誰か機転の利く人がちゃんと説明して、納得させてあげてほしい。
それが政治ってものじゃないんでしょうか。
なんて、他力本願なことを、あいかわらず考えています。
トーイチさんになら、できますか?
もうちょっと整理したら、お手紙書くつもりです。
私はこう思ってますけど、どうでしょうか?
トーイチさんの意見もお聞きしたいです。
それにつけても南京て物理的にほんと、遠いのです。
手紙届くまでに一週間以上かかるっていうね。新聞だって。
電脳時代が、はるかはるか未来の最果てに思えてきます。
タメイキ。