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2月10日。太陰暦でのお正月ですね。
支那では、今日から新年です。春節といいます。
过年好!
私も近所の子供たちと爆竹鳴らしてきましたよ。お祭りは楽しいもんですね。
汗かいたので、ゴロリと部屋で横になります。
ふー。
昨日行ってきた、満鉄図書館の話でもしますか。
タネさんこと神田正種大佐から、スゴイよと紹介されて以来、ずっと行ってみたかったんです。
昨日やっと、訪問がかないました。
といっても、誰でも入れる開架図書のエリアではなくて、地下書庫の、さらに奥の倉庫です。
タネさんは今、朝鮮にいるので、紹介状を書いてもらって、一人で行ってきました。
どんだけレアかというと、24年前にロシアからぶんどって満鉄が誕生したときの押収史料がそのまま保管されている部屋なんです。
タネさんが満鉄職員の肩書きでトクムやってた時に、この部屋へ通い詰め、ロシア製の北満地図が日本軍のものより格段に詳細なことを発見して「関東軍の総力を挙げてチチハルとかホロンバイルとかマンチューリとかの北方辺境を再調査すべし」と参謀本部へ掛け合った、なんて逸話が語りぐさになってるほどですよ。
私もワクワクしながら、鍵あけてもらって、入るとですね。
カビくさいの。
埃っぽいの。
図書館のひとでも滅多に入らないんだろうなあってホントよくわかる。
虫干しくらいしてよね。
その資料庫に、半日いました。
床にも一面の埃。
身をかがめると、うっすら、足跡が見えます。タネさんのかな?
跡をたどると、地図がまとめてある棚に辿りつきます。
鼻歌まじりに、一冊ずつ手にとってみます。
しばらく見てると、気づくことありますね。
ロシア、怖い。
前世では、ソ連は失敗国家だと教えられてきました。
ペレストロイカは私が生まれる前に終わってて、ロシア連邦と周辺諸国の時代でしたけど。
ソ連では、たとえば兵隊には地図の読み方を教えなかった。地図を理解できるようになると脱走されるから。なんてジョークをまことしやかに信じていたほどです。
今世でもね。日本陸軍が制式採用している様々な地図見てきましたけど。
支那の租界や、満鉄付属地周辺の地図には、警備巡回路に加えて、都市封鎖作戦用の交通遮断要衝なんかも併記されていて、面白いんですけどね。
でも、ロシアの地図は、それらよりはるかに効率的で、職人芸の極致を感じさせるものだったんです。
日本の地図って大半がモノクロですけど、ロシアのはフルカラーがデフォ。
加えて、用途に応じて何種類も作る。
書体も境界線も、何種類も何色も使ってて、視覚的にもわかりやすい。
デジタルじゃない時代ですよ、このヒト手間ヒト手間がどれだけハンパないか。
21世紀の東京都内鉄道路線図も平面デザインの最高点だと思ってますけど、あれに匹敵するクオリティの集積を、北満という辺境で100年も前にやっちゃってるんです。
極めつけは、日本各地の地図でした。ロシア人、江戸時代の日本も調べてたんです。背筋が凍りつきました。
かれらは、半端ない観察眼と視覚化能力を持つ、超高度な文明人ですよ。
タネさんも、同じ恐怖を味わったに違いありません。この部屋で。
日本がシベリアに4年間、駐留している間に作った地図を、関東軍司令部で見ていますが。
都市間の位置関係が辛うじてわかる程度で、縮尺は大雑把でした。
ロシアでは、夏と冬とで地形が全然変わります。日本での地図づくりノウハウは、通用しません。
支那だって、相当にだだっ広くて、全土ぶんの地図を作るのには何十年もかかりそうですが。
相手の土地で戦うってことを本気で考えましょう。この差は決定的です。
私は、ソ連が、第二次大戦中に、世界一の戦車大国へと成長する歴史を知っています。
広大な雪解け後の泥濘を何日も走破できるよう特殊化した重戦車の群れが、無双状態で迫り来る映画を沢山観てきました。好きでしたから。
日本の戦車なんて、かれらの前では紙くず同然。
圧倒的に量も足りない。これに加えて。
地形を読み利用する技術においても、かれらの方が断然、ハイレベル。
実はまだ、そのショックから立ち直れないでいるわけなんです。
戦争は、しちゃダメです。
こんな相手に勢いだけでとびかかるなんて、絶対に、ダメですよ。