季節は色を変えて通り過ぎていく。
連日ルアーズ大陸中が大騒ぎだった。
突然神々の燈火が空を覆った後、聖人と呼ばれた者達は聖痕を失い聖遺物が使用できなくなった。
ただの人間に戻ったのだ。
そうして人間の英知を超えたモノがガラクタとなった結果、独裁者と言われた聖人王がいたある国では聖遺物という絶対的力が消えたため謀反が起きたり、はたまたある国では抑止力としての聖人がいなくなったので隣国に攻め滅ぼされたり、聖人以前にそもそも王となる者として器があった者が治める国では何も起きなかったりと、国々の情勢は聖遺物が現世に出現した時より混沌としつつあった。
大陸制覇に一番近かったガルナン王国――圧倒的戦力の象徴であった多数の聖人を擁していた大国も例外ではない。
他国と立場は同じくなった、かの大国がとった次なる一手――此度の動乱収束後に「犠牲となったミルン女王」の遺言で急遽即位したというアンジェ新女王は、デューン王国へと訪問したのだった。
デューンの国王とアンジェ女王は「ミルンが招いた望まれぬ摩擦と精神発狂からのご乱心」という全聖遺物が無力化したきっかけとなる出来事について会談し、結果として双方の誤解を氷解して正式に国交を正常化したのだ。
そして更に混迷極める大陸情勢を正すべく後日、ガルナン王国とデューン王国の二国間が中心となり一つの案が作成された。
ルアーズ大陸の平和維持を目的とした国際組織を設立すると――
聖人は存在しない、人間は大きな意味で平等となったのだ。
欲の塊を求めて大陸中が血を流していた時代の反省を踏まえて、国々が協力し合い平和安寧を目指していくと。
人間達は終わらない戦の時代に疲弊しきっていた。
神が欲望にまみれた世界には怒りの業火を注ぎ込むというなら、自分達も争いは望まぬ。
皆が協力して生きていく世界を願うと。
この壮大な構想はルアーズ大陸中の多数の国家から歓迎をもって迎えられる。
今、ルアーズ大陸は新たな時代への第一歩を踏み出そうとしていた。
そしてまた、月日が経って――
夕暮れ時。人々が一日の営みを終え、岐路につこうとする頃。
一人の屈強な男が希望に満ちた雰囲気を纏い、名前を変えた神殿へ辿る一本道を歩いていた。
足取りは曇が感じられぬまでに軽やかである。
いくらもしないうちに到着。
カリウス・ガリィ、二十歳。神官へと会釈を交わし、神殿の扉を開ける。
「あれ、ユウさん?」
「お、カリウスじゃないか」
戦いの術を彼に教えてくれた師匠的存在である童顔赤髪女騎士ユウ、二十一歳。
女神エリアル像の隣に置かれた新しい神の像の前で、祈りを捧げていた。
少女の頃から容姿も背丈もあまり変わらず。近年は彼女自身気にしていた胸の成長について、諦めに近いスタンスでいた。
カリウスは普段着のユウの隣へ並び、目を閉じて彼女と同じように手を合わせた。
「今日はお祈りの日ですもんね」
「だね。あたしはいつもこの時間帯さ。カリウスはいつもより早いね」
「えぇ、ガルナン王国には明日出発ですから」
「あ、そうか明日行くんだったか」
「以前の会議で作成した原案を再度審議する会議だそうです。俺とルイは国王の護衛ですけどね」
「な~んだ。酒に付き合ってもらおうと思ったのに。王直属の近衛騎士サマは大変だねぇ」
「へへ、帰ってきたらまたお付き合いしますよ。で、国王とアンジェさんが言うにはどの国も反応がいいみたいで。きっと賛同して署名してくれます」
カリウスと妹分のルイは二年前のミルン討伐が高く評価され、ユウの推薦もあって騎士団の中でのエリート集団――王の身辺警護をする近衛騎士団へと入団したのだ。日々奮闘中である。
「しても大きくなったね、カリウス。ルイもだけどさ、あっという間に強くなってあたしを追い越していくんだろなぁ」
ユウの脳裏に浮かぶかつての悲愴感に支配された二人の姿は、目の前の力強い姿に塗り替えられていった。
「いやいやいや、騎士団本隊を統べる団長が何を言ってるんですか!」
カリウスが手を振って本心で否定する。
「謙遜しないで。今に越しちゃうよ、君ならね」
ユウが穏やかな笑みを浮かべながら言った。
カリウス同様に世界を変える助力を尽くした彼女もまた、国家中枢部の賞賛の声と騎士団内の署名活動の結果に押される形で重い腰を上げ、父親の後を継ぎ騎士団長に就任したのだった。
「一生かかっても越せるかどうかだなぁ。ずっと小さいままなのにメガトン強いんだからユウさんは」
ユウの笑顔が固まる。
そして「うぅッ」と項垂れてカリウスの言葉にショックを受け胸を押さえた後、飛び上がった。
「かーりーうすッ。その一言が、余計だッ―」
「うわぁッ!?」
一方的蹂躙。
大人気なくカリウスをぼかすか叩いていたところ、扉が開く音がした。
二人揃って振り向くと、
「カリウスにユウさん、こっそり聞いていましたとも。私の乳房のサイズがユウさんを僅かに上回っているという揺るぎなき事実を!」
得意げな表情で自身の慎ましやかな胸を強調するように触る二十歳になったルイ――特殊性癖持ちの愛らしい顔をした銀髪女性が立っていた。
カリウスはあきれてため息を吐く。何年経とうがこのやりとりも続いていた。
「んな話一言もしてねぇ。それにお前、対して変わんな――あでっ!」
ユウが手刀をカリウスの鳩尾に入れることにより、強制的に喋りを中断させる。
顔を赤らめながらの一撃は手加減が一切ない。成長した彼でさえも、ずるずると落ちていった。
「んもう、デリカシーないんだから。結構気にしてるんだからね」
「あははっ、カリウス撃沈ですね――はうっ!」
愉快痛快と言わんばかりに笑い声をあげる破廉恥娘にも、こつんと頭を叩いてやる。
「君もだよルイ。そろそろ一人の女性としての常識や恥じらいってもんを覚えなさい」
「常識に縛られるのも考え物だと思います。ユウさん、現実を逃避しても背は伸びないし胸も大きくなりませんよ」
ルイが頭を抑えてながら不服そうな目をユウに向けた。
「逃避してなんかしてないやい! というかねー、ルイに言われたくないよっ。あたしよりデカいとか言ってるけど大して変わらないじゃんかッ!?」
ユウが必死すぎる主張を返す。墓穴を掘ったことに気づいていない。
「それでもユウさんよりは少しながら勝っています。これから先も揺らいだりしませんっ」
「女の魅力は胸だけじゃないんだよ。仮にルイが勝ってるのはそれだけだとして、料理の腕、気遣い、優しさ、総合的に見ればあたしの圧勝だよ」
「う……くっ、目ぼしい相手もいない人が魅力を語らないで下さい!」
「ルイもでしょうが!」
「年下と張り合って何が楽しいんですか!」
「先につっかかってきた人が何を言うかッ!」
生々しい言い争いが続く中、もはや無視されていたカリウスが、その話が余りにもくだらなさ過ぎて「くくく……」と腹を抱えて笑い始めた。
声が耳に入ったユウとルイも何故だか面白くなり、彼に釣られて微笑んだ。
笑い終えた三人は一様に新しい神、光の女神エレナのまっさらな銅像を眺める。
「凄い時代に生まれてきたんだ、あたし達。出会いという奇跡か、忘れないよエレナ」
「胸張って報告ができる日が楽しみだ。難しいけど、平和な時代を空の上にいるエレナさんに見せてやるんだ」
「なんだか不思議ですね。こうしている間にも、私達を見守ってくれているんですもの」
ユウ、カリウス、ルイが感慨にふけりながらしみじみと呟いた。
各々の胸中には彼女の残した言葉が深く刻まれている。
彼女が旅立ってからも、聖遺物がなくなろうが依然として争いを望む国家が存在しているのは事実だ。
全てを望むのは無理かもしれない。それでも、誓った志が生きている限りは足掻き続ける。
「そうだ。カリウス、君に聞きたいことがあったんだ」
ふいにユウから声を掛けられたカリウス。
「何でしょうか」
ユウはニヤニヤとしている、人をからかう際の顔だ。
カリウスは嫌な予感を感じた。
「違うよ。大した話じゃないんだけど、カリウスの初恋の話なんだけどね」
「うっ、またですか。何回話したか数え切れないですよ。さっきの仕返しすか……今更聞くことはないはずですよね」
予感的中。それだけでは終わらない。
「えぇッ、カリウスがお別れ間際にまさかの告白をした結果、ファーストキッスを奪ってくれた憧れの女性、おっぴーが大きくて色白でキュッと引き締まったウエストかつ神がデザインしたには美人過ぎるエレナさんがどうしたんでしょうか?」
ルイも便乗してきたのである。
二年間、この二人には何回弄られてきたことか。
「そこまで言わなくてもわかるわ!? ったく、毎度毎度と飽きないよな全く」
勢いだったと言ってしまえばそれまでだが、あの時のカリウスは激情を抑えれなかった。
思い切って素直な想いを伝えたのは今でも後悔などしていない。
悲恋に終わったとしても、かけがえのない記憶の糧であるに違いないのだ。
「ゴメンゴメン。今回はそうじゃなくて、エレナに惚れるだろうなってのは最初から若干予想はできてたけどなんというか二人、さ。まるでずっと昔から一緒にいたみたいにしっくりと合うってか。ずっと頭の隅に引っかかってさ。気のせいとも言いがたいんだよね」
「ふぇッ!?」
鋭すぎるユウの勘にカリウスがドキリとした。声が上擦り冷や汗が流れる。
「ユウさんもですか? 実は私もなんです。最初は私も気のせいだと思ってたんですが、また違う感じなんですよね」
またも妹分が反応する。
彼女達の察しの良さに、カリウスはあんぐりと口を開けて脱帽した。
(マジかよ。ミルンやエレナの言ってた輪廻の件を聞かれてもわからないってはぐらかしてたのにッ。何で今更になって本能で確信に近づいてんだこの二人はッ!?)
女性陣が不思議だと互いの顔を見交わした後、共にカリウスへと怪訝な視線を寄せた。
「あたし、男女間の直感だけは外したことがないんだよ。どうなの、実際キスまでしてくれてたんじゃん。もしや何か隠し事とかしてるんじゃないの、二人だけの秘密とかさ、ねぇそうでしょ!」
ユウがそのままカリウスの目と鼻の先まで顔を近づける。
思わず後ずさるしかない。
「この違和感、読めたかもしれないです。カリウス、もしかしてガルナン王国の酒場から帰った後、酔ったエレナさんに襲われて溜まりに溜まった性欲の捌け口にされたのでは――いやそうですよ、だって私の部屋にエレナさんはいなかった。うん、それしかありえません。アレを済ませている男女が醸し出す特有の雰囲気を二人は持っていたんですっ」
ルイは顔を紅潮させて一人で卑猥な妄想をぶちまけている。思い込みが激しいのも変わらずだった。
「うぐ、考えすぎですってユウさん。嬉しいですけど、流石に誇張してます。ルイも早くこっちの世界に返ってこい!」
暴走する女性陣に必死の説得を試みるが、
「う~ん、ルイの考えの線が意外にも正しいか。大丈夫だよカリウス、包み隠さずあたしに一から説明してごらん。成長したと思ったらそっちも進歩していたんだね。なんだか自分のことのように嬉しいよ」
同調する師匠的存在も、
「カリウスッ、私を置いて先に大人の階段を上ってしまうなんて。あなたは薄情者です、大きくなったらしてみようって言ったのはそっちじゃないですか!」
変態妹分も話を聞いてくれない。
カリウスはこの状況から逃げ出したくなり、苦し紛れにエレナの像を仰いだ。
(エレナさん、どうか今だけ降りてきてきて下さい。そして説教という名の天罰をルイとユウさんに与えて下さいませ――)
像が物言うはずがない。
けれども、一瞬だけ笑顔になったようにカリウスには見えた。
何はともあれ、尊くもある何気ない日常を過ごすルアーズ大陸の救世主達は、今日も賑やかだった。時が許す限り彼らは喜び、怒り、哀しみ、笑いながら生きていくのだろう。
無から生まれ、留まることなく拡大し続ける天上天下。
これは、世界管理者試験を終了したある世界でのお話し――