量子コンピュータと言うモノがある。
量子もつれという物理現象に似せた論理ゲートを用いて演算処理を行うことから、従来のノイマン型とは一線を画する演算処理能力をもつコンピュータだ。
うん? よく分からない専門用語で誤魔化すな?
そうだな……コンピューターグラフィックス(CG)を例に挙げれば分かりやすいだろうか。
従来のノイマン型コンピュータはイチとゼロの、言わば「Yes or No」の論理ゲートに対して入力と出力を行うものだ。
CGの1画素は、あらかじめ用意された「色」と「明るさ」に対する数百数千の質疑から作り出される。よって、これが数百万もの画素で構成されたCGともなれば、与えた画像入力情報に対して膨大な数の質問と回答を繰り返す必要があるのだ。
一方、量子コンピュータは与えられた画像データに対し、すごく乱暴に言うなら「大体こんなもんだろ」で判別する。そこに膨大な質問と回答は必要なく、1回の質疑で処理が終わる。
ノイマン型と量子型では、そもそもの発想が違うのだ。
実現されたら世界の在り方を変える量子型コンピュータだが、この「大体」という論理ゲートがくせ者で、エラー発生率が高いために実現には至っていなかった。
そりゃあ、「大体こんなもんだろ」の論理ゲートで正確な演算結果が出るわけがない。オレとしては複数の量子コンピュータで相互に補って収束演算のプログラムを走らせるのが現実的だと思っているんだが、はてさて……。
なんで、いきなりこんな話をしているのかって?
いま目の前で起こった軽トラックの変形は量子コンピュータでも使わない限り、とても説明しきれないからだ。ノイマン型コンピュータの処理速度じゃ制御が追っつかなくて、確実に暴走していた。そうなったら行き場を失ったエネルギーによって恐らくは半径数百キロが消し飛んでいただろう。
これを作り出したヤツはトンでもないマッドサイエンティストだぜ。
「これは……明らかに大きくなっておるが、内部にパーツを隠しておったのか?」
「いいや、どう見てもそんなカワイイ変形じゃなかっただろ。モーフィング変形とか現実で見るもんじゃねぇな……恐らくは光情報を兼ねたエネルギーを直接物質に変換、つーか増殖、いやいや再構築……その全部か? フレームがレセプターを兼ねた流動性材料で、コイツの核である複数台の量子コンピュータが形態変形の指令と維持を担っているんだろう。たかが軽トラを2tトラックにするだけの事に…………阿呆だな! これを作ったヤツは真性のアホだ、ド畜生が!!」
「言っておることがさっぱりわからんし、いきなり大きな声を出すでないわ! まったく……何を怒っているのかしらぬが、この車もそのオメガデバイスもどきも其方のものであろう? 上手く使えれば問題ない。もう少し面白いモノが見られると思ったのに期待外れだ。我もそろそろ部屋に戻らねばならん、早く試運転を済ませるがよい」
変形を終えて大きくなったトラックを見て退屈そうに呟く大宮司に、オレは頭が沸騰しそうな感覚を覚えた。
こっっのコスプレ女! 目の前で起こった事の意味が判らないのか!?
オレだって全てを理解はしていないし推測だらけなんだが、この技術のヤバさ、そして再現できれば人類が得る恩恵が凄まじいモノだと容易に想像できる。
使用者と開発者の違いをまざまざと見せつけられた気分だぜ……。
まぁいい。
記憶喪失で異邦人、厄介事のタネであるオレに碌な研究設備が与えられることはないだろう。ならば今はより深く、目の前の超技術を理解するのがオレの技術者としての使命だ。ぜってーモノにしてやる。
目の前で理不尽なほどの超技術を見せられて脳味噌のキャパシティが越えそうになっていたが、何度も気絶してはいられない。ココロの棚に感情を無理矢理押し込んで、軽トラ改め、2tトラックに乗り込んだ。
人は成長するモノなのだ。
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「うん? もう良いのか、まだ1分も経っておらぬが」
「相変わらず、グローブボックスとかに変な機械――まぁ、量子コンピュータだろうが、それが入っていた以外は特に見るモノはなかったよ。軽トラに比べて少しは広くなっていただけで運転システムとか変わってなかった」
「つまらんな、先ほどの開封の儀の方が見応えもあったし、有用なモノも得られた。其方、出し惜しみをしておるのではなかろうな?」
「あ・の・な! …………はぁ、もういい。ところでコイツをこのまま此処に置いといていいのか? 随分とあの人達の関心を集めてたみたいだし、人目に付かない場所に移動させたいんだけど」
大宮司との技術的な遣り取りを断念したオレは、遠巻きに此方を診ている人達に顔を向ける。
老若男女、いずれも大宮司に対する畏敬と、2tトラックに対する興味をその表情に浮かべている。
あと、やはりというかオレに対する凄い敵意も感じる……大宮司サマに馴れ馴れしい態度を取っている所為か? 忠告を受けていたのに失敗したな。
「それ程までに気にする物か? 確かに馬も伴わない車は珍しいかもしれぬが、たかが動く箱だ。彼奴らの関心もすぐに薄れるだろう」
「……御神体には及ばないかもしれないが、それくらい貴重なモノだと理解してくれ。イタズラされて壊れたら人類の損失だ」
「ふーむ……まぁよかろう。宮殿の裏に廻るがよい、物資搬入口に入れば隠せる。この程度の大きさであれば隅に停めておけば問題なかろうよ、そうと決まれば」
喋っていた大宮司を遮るように、宮殿の上から大きなサイレン音が鳴り響いた。
あれだ、主に正午とか17時に単発で鳴らされるヤツで、うるさくもあり、便利でもある。
大宮司を見ると、邪魔をされたためか嫌な顔をしているものの、焦っている様子はないので時刻を知らせるサイレンと考えて良いようだ。
現代日本であればやめている地域の方が多くなったソレは、昭和の年代を知っているオレからすれば当たり前のモノで気にならない。逆に日本以外でもこんなのを鳴らす習慣があったことの方が驚きだ。
なんにしても、サイレンの発信元が直近の為に話声はかき消されてしまう。不機嫌な表情の大宮司を眺めつつ、音が収まるのを待っていると、再びサイレン音が鳴り響いた。
まさか、これは――!?
遠巻きにオレ達を見ていた人が、慌てた様子で散っていく。大宮司も素早くオレの腕を掴んで車に乗るように促してくる。
ヤバイ雰囲気を感じて車に乗り込み、助手席に大宮司が座ってドアを閉じるとサイレンの騒音が緩和された。
「敵襲だ。先ほど言った物資搬入口へ急げ、我が案内する」
「――判った」
大宮司の真剣な表情に問答の時間は無いと判断し、急いでエンジンをかけて、車を走らせる。
走らせると言っても建物の表と裏の間だ。
大きな宮殿ではあるが1分ほどで目的の場所に到着し、驚いている物資搬入の担当者を尻目にほぼ駆け足で大宮司と共に宮殿の中を駆ける。
到着したのは最近お世話になり続けている教祖の間、その隣にある幹部会議室だ。
既にそこには全ての宮司が揃っており、オレを伴った大宮司を出迎えた。
「『司』よ、状況を報告せい」
「はい。東の見張り台から集団が発すると思われる大きな土埃を確認したとの報告を受け、警戒態勢を引きました。その後、接近する集団を望遠鏡で確認、Y6=の氏族と判明したため、緊急避難警報を発令。集団が市街端に接近するまであと10分ほどです」
「判った。『護』よ、あと1分で防護壁を上げるように通達、実行せよ。他の者達はパターンDで各部署の指揮を執れ。今後、我からの指示は教祖の間より行う、連絡もそこへよこせ、よいな?」
「「「承りました!!」」」
大宮司の指示を受け、幹部達が会議室から出て行く。
全員が緊張に表情を固めており、何が起きているかを聞く余裕なかった。ただし――
「何をぼさっとしておる。其方は我と共に教祖の間へ行くのだ、急げ!」
連続して発せられているサイレン音の中、闘争心剥き出しで嗤う大宮司に状況を理解させられる。
戦争が、始まったのだ。