オレは体に掛けられていた毛布をはだけて飛び起きた。
息は荒く、体毛は全て逆立ち、体温は全身が汗で濡れるほど高い。
急いで周りを見渡して誰も居ないことを確認し、着ているモノがいつものツナギである事に安堵のため息を吐く。
流石に寝ている所までは直に監視はされないらしく、客間とおぼしき部屋に一人で寝かされたようだ。
オレは今置かれている状況を認識して、もう一度ため息を吐いた。
とても酷く永い夢を見ていたのだ。
ヒトに話せば、絶対に精神鑑定を受けろと言われそうな酷い内容だ。
夢の中でのオレは、幼い子供がおめかしするような――いわゆる『星の王子様』的な格好でベッドに寝かされており、どうやっても体が動かせない金縛り状態だった。
そんな無防備なオレに対し、大宮司とよく似た顔の女が、三日月型に開いた口から涎を垂らしつつ、甲高い奇声を上げながら写真を撮りまくっていた。
最後には感極まったのか、持っていたポライドカメラを放り出し、女は自分の服を引きちぎりながら動けないオレ覆い被さって……
そんな間一髪のタイミングで目が覚めた。
オレって襲われ願望でもあるのだろうか? それとも記憶を無くしているだけでアレは実体験だとか? ……記憶を取り戻すのが滅茶苦茶怖くなってきた。
どことなくエキゾチックな部屋にも当然カーテンはあって、開けるとちょうど太陽が顔を出したところだった。
やはり太陽の光は偉大で、ホラーな夢の名残を全て洗い流していく。
そういえば、昨日はいつ寝たんだっけか…………あー、えっと、たしか姉さんの前で素っ裸のまま仁王立ちした記憶があるな(汗)。
あのときは自分の言葉に舞い上がって羞恥心とか倫理観が吹っ飛んでいたけど、冷静に思い返せば婦女子に裸体を晒すなんて事案だ。しかも昨日は妙な上げテンションでアレが完全体になっていた。
足払いされるのも当然だな、去勢されなかっただけマシか。
そうやって一人反省会をしていると、扉が開いて件の人物が部屋に入ってきた。
手に持つトレイからは湯気が立ち上っているので、食事が乗っているようだった。
「昨日はよく眠れましたか? 食事をお持ちしました」
「えっと、恐縮です……姉さん、昨日は、その」
「まずは食事にしましょう。これからの話はその後で」
表面上は怒っていないようではある。しかし、このあと引導を渡される可能性もあるし、無礼がないように心して食事を頂こう。
ちゃぶ台にトレイを置き正座する姉さんに、オレも正座して相対する。
見ると、パンにバター、ホットミルク、スクランブルエッグとソーセージ、サラダといったよくあるホテルの朝食が並んでいた。
異文化料理でないことに少し落胆するも、ハズレで無いことに安心した感もある。
やっぱり此処は地球の何処かなんだろうかと疑問を抱きつつも、久しぶりのゼリー以外の食べ物に腹が大きく鳴る。
「頂きます!」
「はい、どうぞ召し上がれ」
久方ぶりに味わうまともな食事に、舌が、胃腸が、そして脳が喜んでいる。
そりゃあヒールゼリーは不味くないし、『医』の宮司の言葉を信じるなら、ヒトが生きていく上で必要な全ての栄養素を含み、体調も整え、怪我も治してくれるという完全食なのだから文句を云ったらバチが当たる。
けれども人間はサプリメントだけで生きていけるようには出来ていないし、どんな美味いモノでも同じモノを食べ続けたら飽きる。
極限状態とはいえ、一ヶ月同じモノを食べ続けるのは本当にキツかったのだ。
そうやって夢中で食事を摂るオレを姉さんは嬉しそうに見つめている。
マナーを忘れてがっついた事を恥ずかしく思い、手に持ったパンを一旦置こうとするも、姉さんが悲しそうな表情になるので勢いのまま完食した。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「えっと、一人で食べておいて申し訳ないのですが、姉さんの朝食は」
「私のことはいいの。昨日、遅くまで仕事をしていて夜食を摂ったから……それはもう十分に、ね。今もおなかに残っているから必要ないの」
そう言って何故か下腹を愛おしそうに擦る姉さんに、夢の中の三日月女が被った。
いやいやいやいや……何を馬鹿な妄想をしているのか。
教団ナンバー2の武力と司法を一手に引き受ける姉さんには、仕事が出来るヒト特有の雰囲気を纏っており、表情には内面を映すように理知的で慈愛に溢れていて、彼女が人格者で無ければ誰がそうなんだと思う。
しかしなんだろう、この体の震えは。勝手に頭に浮かんだ賢者タイム、這い寄る姉とは一体……。
「さて、弟クンのこれからの話をしましょうか」
オレが変な妄想をしている間に食器は片付けたようで、ちゃぶ台は綺麗になっていた。
その前で改めて正座した姉さんに、オレも姿勢を正して向き合う。
「最初に断っておきます。今の状況で教団に関する知識を貴方に与える事はできません。昨日はあの子が強く願い、私や『医』、『進』、『商』の主張もあって放逐は免れましたが、今も厳しい立場にあることを自覚してください」
「それはまあ、当然でしょうね……昨日のアレは強烈でしたから」
「報告にあったオルトロス・チャイルドを容易く屠る怪人ですね、心当たりは?」
「昨日もお伝えしたとおり、オレは記憶喪失でして。鍵を握るコイツについても全く判りません」
「オメガデバイス……そう呼んでいいのかも疑問ね。私達が知るものと同じであれば、魔獣を召喚する機能はない筈なのよ。腕時計としての基本機能の他に、言葉の翻訳、付けている人のメンタル情報の表示、自身の地図情報、そしてデバイス間の通話。$&“*氏族が独占する秀逸なパーソナルデバイスなのだけど、弟クンのそれは全く違う。それに比べたら$&“*氏族のオメガデバイスは玩具にしか思えないわ」
なにせワープゲートを作ったり、モンスターの核を物質変換したりの超技術が詰まった妖怪時計だからなぁ。
車のキーくらいは理解の範疇だけど、ホログラフ投影とか普通にするし、あらゆる周囲環境を探知するセンサーも、その全てをフルに利用する超高性能人工知能も確実に積んでいる。
スマートウォッチが進化したらなんて程度の発想では行き着かない。一万年ぐらい未来の、超高性能アンドロイドが時計になって腕に張り付いていると考えた方が良いだろう。厄介でもあり、生命線でもあり……複雑な思いを抱かざるを得ない。
「それを着けていなければ大歓迎だったのよ。『進』によれば私達の氏族は遺伝子的に$“K&Gで、H」”%*、もうJ#9Jなのだから、D#5)$2頼るしか無いの」
「は、はぁ。そのゴメンナサイ、ちょっと言葉を翻訳しきれて無くて……気を悪くしないで貰えると助かるのですが」
「あら、そうなのですか?」
相変わらず固有名詞、動詞が翻訳されず、せっかくの情報も無為にしている。
なんちゃら氏族のパーソナルデバイスを越えるスペシャルデバイスってんなら、もっと優秀な翻訳機能があってもいいのに。
もっとも、オレの行動を誘導するために妖怪時計が言葉を取捨選択している可能性もある。一部はなんかの条件を満たしたことで解除されたようだけど、コイツ自体に関する情報は殆ど得られていない。下手に聞くと脳味噌を揺さぶってくるので要注意だし、状況を見極めながら確認していくしかないだろう。
「そうね、そのパーソナルデバイスについては追々解明していけばいいわ。兎にも角にも、今日の夜、空に月が浮かんだ時の対応が弟クンの未来を左右するのだから、今はそれに集中するのがいいと思う」
「忠言ありがたく、姉上」
「!!」
オレが茶化してそう言うと、姉さんは胸を押さえてちゃぶ台に突っ伏した。
慌てて体を抱き起こそうとするも、顔の下から聞こえてくる『我慢我慢、夜まで我慢』とか『刷り込む言葉を間違えちゃった』とかの小声に身の危険を感じ、姉さんが自然快復するのを待った。