大いに脱力させられたオレは、軽トラックのエンジンを停止させるとシートから降りた。そして腹立たしさを込めて乱暴にドアを閉める。
どーすんだ、これ……山頂に燃料が切れた軽トラックを放置とか、ハッキリ言って不法投棄にしか思えない。何考えているんだ記憶のある頃のオレ……ヤバすぎて吐きそう。
あまりにも酷い自身の行いに、頭を抱えて嘔吐感を堪えるしかなかった。
かくなる上は自分で尻ぬぐいをするしかないだろう。下山してガソリンを調達し、戻ってきて軽トラックを動かせる状態にするのだ。その間はこの山の管理人に迷惑を掛ける事になるが謝り倒すしかないだろう、何にしても不法投棄よりはマシなハズだ。
自分の葛藤にケリをつけると腹の虫が鳴った。
腕時計を見ると短針は16時を示しており、辺りはいつの間にか夕暮れの赤に染まっていた。思っていたよりも車内探索と葛藤に時間が掛かっていたようだ。
腹の虫は、ポケットに入っていた携帯食で何とするとして……今日は山頂で一泊するしかないだろう。夜に山へ入るなんて誰が考えても自殺行為だ。例え運良く下山できたとしても民家が見つからなければ野宿するしかない。此処なら軽トラックの中で夜を越せるから、野生動物に襲われる事は無いだろうし、夜露や気温の変化もある程度耐えられる。座ったまま寝るなんてエコノミー症候群が怖いけど、一日だけだったら大丈夫だと思いたい。
そうと決まれば準備をしないとな……とは言え、やることはそう多くない。
水場は近くに澄んだ池がある。恐らくは雨水が溜まったモノで、飲めないまでも手を洗う事はできるだろう。
トイレは……神前でするなんて後ろめたいが背に腹は代えられない。水場から離れたところに穴を掘って用を足すことにする。幸い軽トラックには大きめのシャベルが積んであったのでそれを使う。
後は寝床だが、ポケットの中にアルミのシートがあったから、軽トラの狭い座席でこれに包まるだけかな。
それにしてもこんなモノまで持っているなんて……まだ記憶は戻らないけど、オレって本当にキャンパーなんじゃなかろうか? それは軽トラを含めてこの持ち物が全部オレのモノであるという前提が合っていればの話だけど、疑う理由はない。
さて、一泊する準備は出来たし、メシにしようか。
持っていた携帯食はカロリーゼリーで、食べるのは本当に久しぶりだ。朝の時間が無い時に啜ったのはいつの事だったか。味気ないけど携帯食としては上等な部類だろう。これが乾パンだと絶対に水が必要で、飲める水はここにはない。
味気はないが、太陽が雲海に沈んでいく様子を見ながらの食事は爽快感があり、良い気分転換になった。
後は体力を温存するために早く寝るだけだ。山を下るのも、下った後に民家を探すのも体力が要るだろう。
そういえば……ガソリンを買うためのお金はあっただろうか? 明日陽が昇ったらもう一度ツナギのポケットを総点検しないと。いや、誰かオレを知っているヒトを探して貸してもらった方が良いか?
――とにかく明日だ、明日やるべき事をやろう。
ワケの解らない記憶喪失という状況と、周りに人が全く居ないという環境は想像以上に精神へストレスを課したようだ。軽トラの狭いシートに座っていると急速に眠気が襲ってきた。そういえば状況確認するのを優先して休憩していなかったな、疲れて眠くなるのも当然か……
強い眠気に誘われて目蓋を閉じようとした時、突如としてそれは起こった。左手に巻いていた腕時計が虹色に光り出したのだ。
後で考えれば混乱していたのだろう、突然すぎるその現象に驚いたオレは車のドアを開けて飛び出し、左手を激しく振って腕時計を取ろうとした。しかし隙間無く嵌まっている腕時計が腕を振った程度で外れる訳がない。それに気付いて留め具に右手を伸ばそうとしたとき、更なる変化が起こる。
文字盤に並ぶ12の時字(アワーマーク)からそれぞれ強い光を発すると、カバーグラスの上にパソコンのウィンドウのようなものを結像した。
「嘘だろ、光の相互干渉によるホログラフ! 実現されていたのか……しかも、腕時計サイズで!?」
オレが知る最先端の画像技術は蛍光体を電流などによって励起させるEL(エレクトロルミネッセンス)だった筈だ。もちろんホログラフも実現に向けて研究されてはいたが、エネルギー効率が悪すぎて開発が進んでいなかった。その最先端技術がオレの手の中にあるなんて……いや、何なんだこの腕時計!?
しかし、驚きはそれだけで済まなかった。
空中に結像したウィンドウには「これよりエネルギー補給を開始します」と表示されている。
……エネルギー補給? 内蔵電池じゃなく、外部から補給するタイプなのか。そういえばソーラー蓄電式の腕時計をどこかのメーカーが開発していた。確かに、こんなホログラフを出せる時計が内蔵電池だけで動くなんて事は考えられない。
しかし、今はもう太陽が沈んで月しか出ていないはずだけど……なんだ? 凄く周囲が明るいぞ。電灯も何も無いっていうのに、この明るさは……まさか月、か?
空を見上げると4つの月が白く輝いていた。
まるで昼間のように、ただし、太陽のようなギラギラとした光ではなく柔らかい光が周囲を照らしている。
その月の一つから光の塊が零れ、一直線にオレの腕時計に降り注いだ。
目の前で何が起こっているか解らず呆然としていると、再び腕時計が虹色に輝いて新しいウィンドウが表示された。
そこには「エネルギー補給が完了しました。これよりエネミーを召還しての実戦を開始します」とある。
エネミーって直訳すると「敵」だよな?
それを召還する? なんで?
いきなり実戦が……殺し合い始まる? ホワイ?
あまりにも理不尽な展開に頭がついていけない。オレはいつのまにか寝ていて、これは夢だったりするのだろうか?
そう思って頬を思いっきりつねってみると凄く痛い。どうやら現実のようだ……なら仕方がない、敵を迎え撃つ準備をしないと。
思考は停止したままだが、しかし、体は防衛本能が勝手に動かし軽トラに積んであったシャベルを取り出して槍のように構える。
そんな準備が整うのを待っていたかのように、再び腕時計が虹色に輝くとコヒーレント光ぽい指向性の強い光を発して空間に穴を創り出した。
穴……そう、一切の光を反射しないマットブラックのそれは穴としか言いようがないだろう。
ワープ技術!? ……いや、もしかしてマイクロブラックホールなのか?
そんな感想を頭の隅で吐き出していると、穴から一匹のクリーチャーとしか言いようのないおぞましい生き物が這い出してきた。
大きさは40~50cm程度。形はアレだ、昔の映画に出てきた12時に食事をして変わった後の方によく似ている。あと、なんていうか、初対面の筈なのに凄い敵意というか、殺意を向けられているのが判る。
――安心してくれ、オレも同じだ。お前とは絶対に相容れない。
勝負は一瞬だったと思う。
フェイントなんて用いずに一直線に飛びかかってきたそれを、シャベルの面を使って叩き落とし、あとは地面を刺すのと同じ要領で剣先をクリーチャーの体に差し込むだけ。
そいつは何も出来ずに緑色の血をまき散らして絶命した。何度も何度も刺し貫いてトドメを刺したから間違いない。
「なんじゃこりゃあ」
流石に一度に多くの事が起こりすぎた。
既に一杯一杯だったオレの脳味噌はクリーチャーを殺すという過負荷に耐えきれず、糸が切れるように気絶した。