客船「間宮」は、犬吠埼バイパスへと突入しようとしている。犬吠埼バイパスのあるところは、やや明るく輝いている。灯台がそうさせているのだ。灯台の近くにバイパスが存在するため、バイパスはやや光っているように見える。実際は球体状の時空の接点が存在し、その球体に突入することで高次元空間へと転移、高次元空間という「バイパス」を通して、キューバ湾のもう一つの時空の接点へと近道をすることができ、その時空の接点は別に光っているわけでも、特段暗いわけでもない。
ただ単に、その球体が非常に小さいがために、その誘導のために光をつけているだけに過ぎない。しかも、その光にしても最近はあまり活用されることもない。この「時空歪曲機関バイパス」開発初期に、その位置が分かりにくかったがために灯台を作ったに過ぎず、最近はその代わりに航行制御システムが使われている。
「にしても、このバイパスが開発される前はワシントンまで二五日近くかかったとはな…。今では想像もできない」
「その頃のことは知らないが、母は丁度このバイパスが開発された頃に成人したらしいから、むしろ今の世の中が便利すぎると言っていたな…」
澪の話を聞きながら、優雅に海を眺めている。高次元空間に突入すると無限に続く海しか眺められないので、今のうちに海を眺めておきたいという欲望だった。澪達は特に興奮しているわけではないのだが、近くの子はかなり興奮している。
「ママ!あの光何?」
「あれは、遠いところを繋ぐ魔法の光よ」
「へぇ!!」
父母子の三人家族だった。いわゆる核家族だろう。最近多いらしいが、二人とも日本の事情にはそこまで詳しいわけではない。日本暮らしであるとはいえ、澪は最近来た身、ヤンはそもそも外国人で、しかも防護船勤務だからそこまで詳しいわけでもないのだ。
特に澪に至っては、ハーフだから日本人らしい風貌をしているにも関わらず、長いこと外国で暮らしていたものだから、質が悪い。傍目には日本人に見えるのに、日本人とは言い難いのだ。
『「間宮」は、只今より高次元バイパス第一号、別名犬吠埼バイパスを通過いたします。お立ちの方は席にお座りいただき、シートベルトをお締めください』
アナウンスが流れる。シードベルトをつけるのは、球体であるため─船体の突入する区画の違いから最初に前後に揺られるのだ。(艦首部分だけは高次元空間に先に突入してしまうことによって艦首部分から大きく引き込まれ、それによって揺れが生じる)
「さてと、バイパス事故はそう最近聞くものでもないが、起こったら凄惨だからな…。できれば、怒らないことを望みたい」
「全く同感だ。私としても、ここでお陀仏というのは尺に合わないからね」
バイパス建造直後は、再三にわたり事故に見舞われた。特に、三笠造船の「御船」号事件では、高次元に巻き込まれた影響で肉体を散々に切り裂かれた死体や、高次元に取り残された死体など、もはや見るに耐えない死体まみれになり、一時は犬吠埼バイパスの閉鎖まで噂された。
件の「御船」号の時には、バイパス維持のための時空歪曲機関によるエネルギー生産機関が停止しており、丁度「御船」号は高次元空間が縮退する時に巻き込まれて船体をズタズタにされたのが問題だった。最近はそんな事故もめっきり少なくなり、ついでにいうと事故が起こったとしてもバイパスを経由することのできる船舶を「時空歪曲機関」搭載艦に限ることによって高次元空間から「弾かれる」ようになっているから、特に問題もない。
もっとも、客船の「時空歪曲機関」は、バイパス維持のために使われる「時空歪曲機関」とは異なり、高次元空間を圧縮させることによってエネルギーを得ているわけではなく、高次元に対してもともと保有している「時空の接点」に対してエネルギーを不規則に与えることによって、空間を歪曲させているだけである。だから、バイパス維持の為の「時空歪曲機関」とは異なり、特にエネルギーを生み出せるわけではない。
「そろそろだね…」
「そうだな…。僕としては、無限に続く海を見るよりも、水平線の見える現実の海のほうが良いな…」
「一応忠告…、アドバイスしておくが、無限に続く海にしても、高次元であるがゆえにそう見えているだけで、実際は有限だ。それに、高次元空間も現実だからね」
ハハハ、と澪は一頻り笑った。そして、「間宮」は犬吠埼バイパスを通過した。