※時系列は『リリカルなのは』の世界に来る前になります。
どこまでも広く広がる銀河に、汽笛を響かせる一台の列車があった。
まるで、かの宮沢賢治が描いた『銀河鉄道の夜』を思わせる銀河の中を走る列車。
その列車が一体どこから来てどこへ行くのかは、きっと誰も知りはしない。
そう、きっと『この二人』を除いて―――
「いやはや、素晴らしい眺めですねぇ」
「全くだな」
銀河の中を走る列車の座席の一角。
赤屍と間久部博士は列車の窓の外の景色の美しさに感嘆していた。
「色々な次元とセカイを渡り歩いてきましたが、こういう寄り道もたまに悪くは無いですね」
自称・神がばら撒いた転生者を狩るためにいくつもの世界を渡り歩いて来た二人。
そして、ある世界での転生者を狩りつくし、いざ次の世界へと移動しようという段階になったわけだが、その際、彼ら二人は観光のつもりで寄り道をしてみることにした。
それが赤屍と間久部博士の二人が銀河を走る列車に乗っている理由だった。
「そういえば、以前から気になっていたんですが…」
「…何かな?」
「主人公ジョバンニが持っていた切符は、何の比喩だったんでしょうかね?」
「ああ、あれか」
宮沢賢治が描いた『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニが持っていた緑色の切符。
作中においては彼が持っていた『切符』は、本人が希望すれば天上でもどこでも自由に行ける切符とされていた。
だが、ジョバンニは何故そんな切符を持っていたのだろうか。何かの比喩表現であるとしたら、それは一体何を意味しているのか。
「…そうだな。やはり、ジョバンニが『生者』だからだろう」
宮沢賢治が書いた『銀河鉄道の夜』という物語には様々な解釈がある。
博士は赤屍の問いに少し思案した後、自分なりの解釈を語り始めた。
「銀河鉄道は、死者を運ぶ列車だ。そして、鉄道から見た光景は、死後の世界の情景であり、文字通りこの世の物ではない美しさだ」
実際、鉄道の車窓から眺める景色はこの世のモノとは思えない程に美しかった。
金剛石の輝きのような、或いは草の露の煌めきのような、煌びやかな銀河の川底の上を凍てついた水が音もなく流れていく。
その川の真ん中に小さな島があり、そこには北極の雪を固めて作ったような美しい十字架が何かを見守るように静かに立っていた。
「死者の降りる駅は、彼らの生前の行ないに対して決まるもので各人が異なる。そして、銀河鉄道の乗客の中で死んでいないのが、主人公のジョバンニだ」
彼女は窓の外を流れて行く景色を眺めながら話を続ける。
「だから、彼は自分の降りる駅を知らない。彼が持っていた『切符』は、本人が希望すれば天上でもどこでも自由に行ける。つまり、生きているうちはどんな可能性でもあるということだ。天上へさえ行ける切符というのは、努力次第で天上に行けるほどのレベルまで自分が成長できるということでもある」
もっとも、多くの人間は自分がその切符を持っていることを知らない。
さらに、天上へ至るための切符を持っていても、そこに至るまでの道筋は切符にも描かれておらず、車掌にも分からない。
明確な記述は無いが、おそらく彼の持っていた緑色の切符とは宮沢賢治の理想『まことの幸い』という考え方の象徴の一つだったのだろう。
間久部博士の語った内容を聞き終えた赤屍は「ククッ」と愉快そうに笑うと、ポケットから一枚の切符を取り出した。
「…なるほど。それでは、私達の持っている『真っ黒い切符』はどうなんでしょうね?」
「さてな? 少なくとも、我々が宮沢賢治の理想『まことの幸い』という考え方の対極の存在であることは間違いなさそうだな」
「クス…ですよねえ」
彼ら二人の持つ切符は本当に『真っ黒』だった。
これ以上に黒い色はこの世に存在しないのではないかと思えるほどの漆黒。
通常の黒色の場合、光の反射で凹凸の有無などが確かめられるので、物質がどんな形をしているのかは目視で確認可能だが、この黒すぎる切符ではそれすら出来ない。
余りにも黒すぎる所為で、まるでそこに真っ黒な四角い穴が空いているだけに見えるほどだった。
「凄い! この列車、銀河を走ってる!」
「銀河を走ってる、じゃねえよ!? 『銀河鉄道』ってことは…。ああ、クソッ! やっぱり、また死んだのかよ、オレ達…」
その時、騒がしい二人の少年が前の車両の扉を開けて、赤屍と博士の座る車両に入って来た。
おそらく年齢は高校生くらいだろう。そして、高校生くらいの二人の少年は、通路を挟んで赤屍達の隣りの座席へと座った。
なんのことはない。四人掛けの席で空いてる席で、そこが一番近かっただけの話だ。
「おや…?」
「ん? キミ達は…」
ふと赤屍達が気付く。
通路を挟んで隣の座席に座った少年二人に赤屍と博士は見覚えがあった。
「「え?」」
赤屍達が気付くと同時に少年二人も同じように気付く。
「「ああああああああああああああああああああああああああ!?」」
赤屍と博士の存在に気付いた少年二人の絶叫が響いた。
少年二人のリアクションは当然だ。何故ならこの少年二人は、このセカイで赤屍が殺った転生者のうちの二人だからだ。
つまり、「殺し」「殺された」仲であり、自分たちを殺した相手が隣りの座席に座っていたら、こんな反応も当然だろう。
「テメェら、よくも俺らを殺ってくれたな!?」
少年のうちの一人が食って掛かる。
「死んだというのに元気ですねぇ、アナタ…」
若干の呆れが混じったような赤屍の言葉。
しかし、それはどう考えても、殺った張本人が、殺した相手に言って良い台詞じゃない。
「くそぉ、俺の仇だ! ここでぶっ殺す!」
俺の仇という傍目には訳の分からない台詞を吐きながら少年は、自分の『力』を発現させようとした。
転生の際に神を名乗る者から特典として貰ったチート能力だ。
しかし―――
「発動しない!?」
ここがそういう場所だからなのか。それとも、死んだ後だからなのか。
正確な理由は分からなかったが、全く力を発現出来なかった。そして、かつての自分の力を引き出せずに慌てている少年に『白い少女』は淡々と告げる。
「残念だが、キミ達の『力』はすでに回収させてもらっている。キミにあの『力』は二度と使えん」
「そ、そんな…」
力を失ったことに対して絶望的に落ち込む少年。
そんな少年に赤屍が理解できないという風に口を挟む。
「…何故、そんなに落ち込む必要があるんですか? 所詮、他人から与えられただけの『借り物』の力でしょう」
つまり、元の状態に戻っただけ。
それなのにどうしてそこまで落ち込むのか赤屍には分からなかった。
そして、赤屍は口の端を皮肉気に吊り上げながら、少年たちを挑発するように言った。
「さきほど私のことを殺すと仰っていましたが、出来るものならやってください。『力』を失った貴方に何が出来るのか、是非私に見せて下さいよ」
赤屍の挑発まじりの言葉にも少年は動けない。
なにしろ生前の『力』を持っていた時ですら、まるで歯が立たずにやられた相手だ。今の『力』を失った自分達では尚更、敵う訳がなかった。
赤屍は動けないでいる少年二人をしばらく見つめていたが、やがて失望したように溜め息を吐いて言った。
「…『力』を失ったらもう戦えませんか? 私が最も尊敬する好敵手のうちの少なくとも一人は、たとえ『力』を失っても十分に戦える人でしたがね」
そう言う赤屍が思い出すのは、奪還屋『GetBackers』の片割れの一人、天野銀次のことだった。
かつて『鬼里人』との戦いのとき、彼は一時的に『電撃』の力を失った。しかし、力を失ったからこそ、見つけることが出来た強さもある。
あのときの彼が見せた動きと強さは、赤屍をして美しさすら感じる程だった。もしも、あのまま彼が力を失ったままだったとしても、彼は決して己の戦いを途中で投げ出そうとはしなかっただろう。そういう確信が赤屍にはある。
だからこそ、『力』を失ったことで戦おうとする意思すら無くしてしまった目の前の少年二人のことが、赤屍には余りにも薄っぺらく見えた。
「貴方達では所詮、その程度ですよ。実力も、意思の強さも、何もかもが、私の知る好敵手たちには遥か遠く及ばない。所詮、貴方達は他人から与えられただけの『借り物』の力を振り回していい気になっていただけの連中です。だから、その『借り物』を失っただけで、もはや戦おうとする意思すら無くしてしまうんですよ」
失望と侮蔑を隠しもしない赤屍の言葉。
明らかに少年二人のことを格下に見た侮辱だったが、少年たちには赤屍の言葉を否定できなかった。
己の力を誇示するだけの者は、自分よりも強大な力を前にしただけで簡単に終わる。実際、赤屍と間久部博士が彼ら少年二人の前に現れた時、恐怖に竦んで碌に戦えずに殺されてしまった。
結局、赤屍に言わせれば、少年達は神様から貰っただけの『借り物』の力を誇示するだけの偽物の勇気しか持たない者でしかなかった。
「もしも違うというのなら、何か反論してみてください。もっとも、私達が現れたとき、恐怖に竦んで碌に戦えなくなるという無様を晒した貴方達が何を言っても説得力は皆無ですがね」
赤屍の容赦ない言葉が少年たちの胸を抉る。
やや極論に近い赤屍の物言いだったが、全く心当りがない訳ではない。
何より、この絶望的な化け物に面と向かって反論するだけの勇気を少年たちは、この場においても持てなかった。
「ククッ…そう苛めてやるな。ジャッカル」
苦笑まじりの少女の言葉が響く
言い返せないでいる少年と赤屍との間に間久部博士が割って入って来た。
「私の連れがすまんな」
「あ、いえ…」
一言だけ少年二人に謝罪の言葉を述べると、少女は赤屍に言った。
「ジャッカル、確かにキミの言い分にも一理ある。だが、キミのお気に入りの好敵手と同じように戦える者は、そうは居ないものだよ」
博士はそう言うが、そんなことは赤屍だって分かっている。
自分よりも強大な敵が現れた時、どんな絶望的な敵が相手であっても、心が折られずに戦い抜く勇気。
言葉にするのは簡単だが、実際にそんな勇気を持って戦い抜くことが出来るのは、ほんの一握りの人間のみだ。
「つまり、俺達の勇気は『偽物』だって言いたいのかよ…」
「『偽物』とまで言うつもりは私には無いがね…。実際、今回は相手も悪かった。『Dr.ジャッカル』が相手でも、心が折られずに立ち向かえる者など、セカイ中を探し巡っても果たして見つかるかどうかというレベルだからな」
赤屍の絶望的な強さを知った時、殆どの人間は心を折られる。
実際、これまでに渡り歩いてきた別のセカイで始末してきた転生者も、殆ど全てはそうだった。
「しかし、逆に言えばジャッカルが相手でも、心が折られずに戦い抜くことが出来る者ならば、たとえどんなに実力不足であったとしても英雄と呼んで差し支えは無い。そういう意味では、確かにキミ達は少々期待外れだったのは否めん。だが、英雄になれなかったからといって、そう気にする必要はない。キミ達は確かに凡人だったが、人類のほとんどの人間は凡人なのだ。キミ達はその大多数の一人だっただけに過ぎんよ」
無機質に淡々と語る少女。
その時、ちょうど汽車は月の端を貫通するトンネルを抜け、窓の外の景色がぱっと明るくなった。
まるで炎が酔うような、赤く煌々と灯る幻想的な光が遠い空の果てに光っている。
「あれは…?」
窓の外の赤い輝きをみた少年のうちの一人が疑問を口にする。
白い少女は赤い輝きの美しさにわずかに目を細めながら、少年に答えた。
「あれは『蠍の火』だ」
宮澤賢治の書いた『銀河鉄道の夜』には『焼けて死んだ蠍の火』のエピソードが存在する。
そのエピソードの蠍は最後まで自分の命に執着した結果、無駄死にと言うべき死に方をした。
この世は食べる者と食べられる者との依存関係で成り立っているのだから、自分が他の虫を食べているように、自分自身がイタチに食べられることは何の不思議も無い。
むしろその方が生命の連鎖にとっては自然なことであるのに、自分は命を惜しむばかりに、かえって無駄な死に方をしてしまった。そのように反省し、蠍は神様に祈ったのだという。
『―――どうか神さま。私の心をご覧ください。こんなに空しく命を捨てず、どうかこの次にはまことの幸いのために私のからだをお使い下さい』
その祈りが届いたのか、蠍は赤い美しい火となった。
そして、その蠍は自らの身体を燃やすことで、夜の闇を照らし続けている。
「…良く言われる解釈だが『銀河鉄道の夜』という作品は、『自己犠牲』がテーマの一つだと言われている」
中でも『蠍の火』は象徴的なエピソードの一つとして語られることが多い。
自己犠牲そのものを肯定すべきか否かという論点で語られることも多いが、彼女にしてみればそんなことはどちらでも良かった。
何故なら―――
「ただ、私に言わせれば自己犠牲というのは、本人の中での価値基準と優先順位の問題でしかないがね」
「ほう? それは一体どういう意味でしょうか」
間久部博士の「価値基準と優先順位の問題」という言葉に興味深そうに訊き返したのは赤屍だ。
そして、訊き返された博士は少し考えた後、こう答えることにした。
「単純な話だよ。つまり、物事の価値というのは、他人が決めるものではなく、結局、自分が決めるものだということだ。自己犠牲という行為は、単にその人が自分以上に優先するべき『何か』を持っているというだけの話だろう。自分の『命の価値』が安いのか。それとも『何かの価値』がそれ程までに高いのか。そのどちらなのかは分からんがね」
人は誰もが自分の中に物事の価値を測る物差しを持っている。
だが、ある一つの物事に対して、各人が自分の物差しを使って価値を測った時、全員が同じ数値が出るとは限らない。むしろ、人それぞれ違う数値が出るのが普通だ。
それどころか、人それぞれが己の命の価値を測ったとしても、出て来る数字は違うだろう。そして、全ての人間は無意識の内に物事の価値を自分の中で比較して、その価値の大きい方を優先しているだけだと間久部博士は言った。
「私に言わせれば、自己犠牲に限らず人間の全ての行動は、周囲からの評価ではなく、己の決めた価値基準に従った結果だ。人は、自分の命よりも大切だと思えることであれば、時に自己を犠牲にすることも厭わない。だが、己の命の価値がどのレベルにあるか。また、自分の命よりも尊いと思えるモノの価値がどのレベルにあるかによって、自己犠牲のハードルの高さは大きく変わってくる」
彼女は自己犠牲のハードルの高さという表現を使って持論を語る。
いちいち理論立っていて、いかにも学者である彼女らしい物言いだった。
「正直、ハードルの低い自己犠牲にそれ程の価値があるとは私は思わん。はっきり言って、ハードルの低い自己犠牲というのは単に自分の命を安く扱っているだけだ。つまり、自己犠牲というのは自分を大事にしている者がやってこそ意味がある行為だとも言えるかもしれんな」
車窓の外には、ちょうど蠍座の星の位置を象って三角標が並んでいるのが見える。
そして、蠍座のアンタレスに当たる部分―――『蠍の火』は音も無く、美しく燃え続けていた。
その赤く燃える火の輝きを見つめながら、白い少女は言葉を続ける。
「私やジャッカルには、自分を犠牲にしてまで守りたいモノなど何も無い。だが、自分の命の大切さを自覚して、それでもなお自分の命よりも大事なモノのために戦う者達の魂の輝きは、本当に美しいよ。それこそあの『蠍の火』と同じくね」
彼女が思い出すのは、無限城世界での『奪還屋』の二人と、その戦友たちだ。
決して己の命が安い訳ではなく、それが本当に命と引き換えにしても良いくらいに大切だと思うから、それを守る為には命すら賭けて戦える者達。
今回、博士と赤屍が始末対象とする転生者の中に、彼らに匹敵する魂の輝きを魅せてくれる者が一体何人存在するのかは分からない。
「彼らに匹敵する輝きを魅せてくれる英雄は、これまで始末してきた転生者の中には、まるで居なかったが―――…」
途中で言葉を切ると、間久部博士と赤屍は座席を立ち上がる。
立ち上がった彼女は、この上なく残酷な笑みを浮かべながら言った。
「―――次のセカイではどうかな」
そう言って、博士と赤屍は踵を返す。
すると、何もない空間に裂け目が出来たかと思えば、白い少女と黒い男はその裂け目へと吸い込まれる様に消えて行ったのだった。
「消えた…」
「一体何者だったんだよ、アイツらは…」
生と死の狭間にあるようなこの列車に、おそらく彼らは生身のままで乗っていたのだ。
この世の理(ことわり)から半ば逸脱しているような存在であることは間違いない。しかし、その場に残された少年二人の疑問に答えてくれる者は誰も居なかった。
あとがき:
直感的にも分かることですが、己の力を誇示するだけの者は、自分よりも強大な力を前にした時に簡単に終わります。
だから、ネット上に氾濫するチート転生者の連中が、本当のピンチや自分よりも強大な敵が現れた時に、本当に立ち向かって行ける勇気を持っている者なのか自分には疑問で仕方ありません。
自分が子供の頃に憧れたヒーローは、どんな絶望的な敵が相手でも戦い抜く本物の勇気を持った英雄達でした。チート転生者が自分の力を誇示するだけの半端な勇気しか持たない者でなく、絶望的な敵にも立ち向かって行ける本物の勇気を持った英雄だというのなら、是非その勇気を見せて欲しい。
そんな訳で今回の自分の作品では、転生者たちへの絶望的な敵として赤屍さんに登場してもらっている訳です。もしかしたら自分が子供の頃に憧れた英雄達も、赤屍を前にしたら心が折られるのかもしれません。ですが、逆に言えば、この絶望的な逆境の中でも心が折られずに雄々しく戦い抜くことが出来る者ならば、たとえ実力不足であったとしても英雄と呼んで差し支えは無いと思います。