こうして正体不明の人型兵器、後に『有機的基礎を持つ機体(OrganicFoundationMachinery)』、略称を『OFM』とされた兵器による事件は一旦、幕を閉じることになる。 あれがなんであったのか、どこの勢力の戦力だったのか、そして、その目的はなんだったのか……それらの謎を多く残したまま、その一切の活動が見られなくなったからだ。 部隊長が個人的調査ルートを使って探りをいれても、件のOFMが駐屯地襲撃の数ヶ月前、東南アジアなどの紛争地帯でそれらしき姿が目撃されていた……という情報は手に入れられたが、新たに戦場に出没しているという情報は、等々出てこなかったのである。 回収された破片なども、満足に調査を終える前に風化――まるで砂細工のように崩れ去ってしまい、その正体を暴くには至らなかったことも大きい。『たかが駐屯地と研究所を襲撃するのに、あれだけの被害を受けた影響もあるのだろうが』と部隊長は推測していたが、その真実は闇の中である。 また、部隊長から直接、今回の件を報告された上層部こと国防省は、その対策と処理について延々と会議を積み重ねて頭を悩ませることになった。 結果、この駐屯地襲撃の実行犯についてのメディアなどへの露出は一切封じられることになる。 現状、“ただのテロリスト”だけでも一般市民は強い不安を覚えているのに、それを封じる自衛隊ですら手に余る敵が現れたなどと世間に知れたら、それこそパニックを起こしかねない……という判断の基だった。 その上、それを機に国外から戦力を引き込もうとする一部野党に格好の餌を与えてしまうからである。 断固としてPMC導入法案を守ろうとする野党に対して、与党側は国防の手前、そこがテロリストにとって有効な進入手段に成りうるとして廃案に持ち込まなければならない。 未だに外患誘致の適用がされたことはないが、それも時間の問題なのではないか……とこの話題がテレビに上がる度、ネット界隈ではしめやかに話題になったりしている。 また、政治的なこと以外にも、AMWの開発関係にも今回の件は大きく影響することになった。 次期主力機が、機能的欠陥部分が原因で撃破された……となっては、そのまま正式採用するわけにはいかなくなったからである。 これにより、現主力機であるTk-7からその座を譲り受ける予定であった正式量産版Tk-9のロールアウトがかなり遅れることになってしまい、国防白書には新しく『既存主力人型歩行戦車である三〇式の近代化改修、並びに強化の必要性有』と記されることになった。 このように、世間の裏側が大なり小なりと揺れ動いていたが、リハビリに取り組む比之の周囲、第三師団はこれまでとあまり変わりなく活動を続けていた。 空港を乗っ取ろうとした不届き物がいれば飛んでいって叩き潰し、製品工場に爆発物を仕掛けられたとなれば大急ぎで駆けつけてAMWで物理的に排除し、武装したデモ隊が暴れだせば武力を持って制圧する。 いつも通り、世も末だと言わんばかりの忙しさであった。 しかし、その忙しい合間にも、比之の見舞いには同僚や駐屯地所属の機士、整備員などの顔見知りの自衛官達が、ほぼ毎日訪れていた。 心視や志度に至っては泊まり込みの看病を慣行しようとして看護士と格闘したり、安久や宇佐美が暇を見つけては訪れて、リハビリ中にできる上半身の訓練法を伝授したりした。 この他にも、Tk-9担当の整備班とその長である整備班長が勢揃いで病室に訪れたかと思うと、一斉に土下座をして比之を困らせて謝罪合戦になったり。 同じ防衛戦で軽症を負っていた筋肉コンビがプロテインと『寝たきりでもできるエクササイズ指南書』なる本を置いていったり。 部隊長の副官とパシられた森が定期的に差し入れのお菓子を持ち込むついでに愚痴を話したり。あまり顔を合わせない他小隊の機士ですらやってきたりと、その騒がしさは怪我をする以前よりも増していて、比之はてんてこ舞いになりそうであった。 こうした騒ぎの中でも、懸命にリハビリを続けた比之は、白崎による送受信装置埋設手術を受けて装着した義足の性能もあって、無事に歩行能力を取り戻すに至った。それを聞きつけた自衛官達によって駐屯地の一角で、その祝いを称してどんちゃん騒ぎが行われたりしたが……今回は割愛する。 そして、駐屯地襲撃からほぼ一年経った時、比之の現場復帰とほぼ同じくして、事態は再び動き出す。 この国を脅かす存在は『OFM』だけではないということを、自衛隊に警告するように―― 〈第一章 了〉