「え、龍馬さんキレてるんすか?」
「あ”あ!? 俺キレさせたら大したもんだよ!!」
「めちゃめちゃキレてるじゃないですか……」
やぱり一発ネタは通じないか。がっでむ。
■
死国側の門前。
期日の時間に少し遅れてしまった祐輔はさっそく門を開き、死国の人間と会談をする事になった。
毛利に残してきた雪が気にならないではないが、それはそれ、これはこれ。
祐輔が手がけた以上、彼しかこの件を処理する事は出来なかった。
そんなわけで今回は明石から徴発した食料を兵士に持たせ、一応の事態に備えて一部隊を連れてきた祐輔。
ギギギと重厚な門を開いた先には、額に青筋を浮かび上がらせた龍馬が腕を組んで待っていた。
そんな龍馬を伺いながら質問したのが冒頭の会話だったというわけである。
「ああ、門は閉めなくていいよ。そのまま待機」
【了解でさぁ!!】
万が一を考えていた襲撃もなく、祐輔は門を閉める事なく待機を命じる。
後方で待機していたモヒカン達は威勢のよい叫びを上げ、その場で気をつけした。
「いえ、本当に遅れて申し訳ありません。
行軍の最中豪雨に見舞われまして、身動きが取れなくなりまして。
この通り謝りますので許してくれませんか?」
そう言って素直に龍馬達に頭を下げる祐輔。
そう、龍馬達である。門の先ではキャラバンは一纏まりになって遠巻きにこちらを見ている。
そして代表者と思しき人間達だけが門の前で待っていた。
身体の各所から刃が生え、灰色の固そうな皮膚の大男・ゴン。
軽装の鎧を肌に直接付けている眼帯の男、譲。
最後に隻腕の女である美禰と龍馬の四名が門の前で祐輔を待ち受けていたのである。
「へぇ…腰の低そうな男に見えるけどな。こいつそんなにヤバいの?」
眼帯の男、譲が祐輔を遠慮など欠片もなくジロジロ見て姉の美禰を見やる。
美禰は鋭い視線で祐輔を射抜きながら譲の疑問に答えた。
「豪雨、ね……どこまで本当なんだか。少なくとも、こっちは雨一滴降ってやしないけど」
「い、いやだなぁ。本当は間に合う予定だったんですって」
その譲に対するというよりも、詰問されるかのような声に祐輔は慌ててフォローを入れる。
確かに祐輔に美禰が考えていたような思惑があったのは事実だ。
しかし今後の可能性も考えてギリギリ期日には間に合わせようとしていたのである。
だが相変わらず美禰が祐輔を見る目は冷たい。
表情から言葉を読み取れば、このタヌキが! と言ったところだろうが。
とにかく胡散臭い物を発酵させ、煮詰めた何かを見る眼差しである。
「それでお答えを聞きたいのですが」
これ以上藪をつついて蛇が飛び出ては構わない。
美禰の頭の回転に冷や汗を掻きつつ、祐輔は代表である龍馬に訊ねる。
この一行のリーダーとは龍馬であるからして、龍馬の回答がグループの総意だ。
「…………」
水を向けられた龍馬だが、未だに祐輔に対する苛々はある。
そのためかこれから口にする言葉を発したくないらしく、むっつりと黙ったままだ。
「りょ、りょうま…」
「…わかってるよ、ゴン」
おずおずといったように龍馬に促すゴン。
ゴンに促された龍馬は頭を掻き毟りながら、むっつりとした顔で祐輔に向き直る。
そして祐輔と目を合わせてはっきりと言った。
「死国は毛利の申し出を受ける」
祐輔はその言葉に内心でガッツポーズを取る。
毛利が強力な奇兵隊を得た瞬間であった。
■
キコキコと車輪をこぎながら毛利へと帰路に着く祐輔。
その道中で死国との交渉を思い出していた。
「ただし条件がある、か」
それは死国からの同盟を認めるための条件の追加だった。
その条件とは簡単な物。
もう限界に近いゴンの呪い憑きをどうにかして欲しいという物である。
ゴンの呪いはかなり進行しており、彼の五感も半分ほどが既に失われているらしい。
そのため妖怪を探すための人員を毛利側で用意して欲しいとの事。
だからと言って龍馬達だけが門の外に出ては裏切り者の謗りを受けるため、苦肉の策と言えよう。
その時の龍馬達の苦渋の顔は中々見物であった。
またその表情は死国側の門のキャラバンのリーダーは龍馬に任せると一任した事からも続く。
龍馬達はリーダーから下ろされると考えていたらしく、鳩が豆鉄砲をくらったような間抜けな表情をしていた。
事前に失敗したとは言え、脱出計画を企てた彼等だ。継続して指揮権を持たされるとは思っていなかったのである。
しかし、祐輔の考えにおいて彼等は既に味方。
見ず知らずの人間、しかも人間から迫害を受けてきた呪い憑きの集団。
毛利側の人間が指揮するのは難しい事が目にみえているし、それならカリスマのある龍馬に纏めてもらったほうがいい。
そしてこれはあくまで無意識下の打算であるが、祐輔は龍馬達が謀反を企てないと悟っていた。
安全のため門の毛利側に女子供を避難させているので、企てたくとも不可能なのだ。
実行すれば非戦闘員に被害が出る。そんな作戦を強行するように龍馬は見えなかった。
そんな益体もない事をぼーっと考えながら龍馬は妖怪退治について思考を巡らせる。
「だからと言って人員を割くのもな……」
「!? や、やべぇ!? 今日はひょっとして!?」
なんだかなー、3Gなしで見つけるのは無理ぽいよなー。
そんな事を思いながら自転車を漕いでいると、祐輔の後ろについているモヒカン達が騒ぎだした。
どうした何事だと祐輔が後ろを振り返ると、そこには戦々恐々としているモヒカン達がいた。
「え、なに? どうかした?」
「ヤバいっすよアニキ!! ヤバいっすよアニキ!!」
「そうなんすよ! ヤバイっすよアニキ!!」
「超やべぇ!! ヤバイっすよアニキ!!」
あれか。お前らはヤバいとしか表現できない現代っ子か。
もっとボキャブラリーを増やせと頭を痛ませながら、祐輔は何がやばいのかと訊ねる。
「何がヤバイんだよ。そこんところを詳しく」
「え!? アニキ今日が何の日か知らないんすか!?」
「まぁアニキは毛利に来て日が浅いっすから仕方ないっすね」
「だとしてもヤバイっすよ。遅刻はむちうち100回の厳刑すからね」
「だから何がだよ!!!」
ちゃんと受け答えせずに「やべぇ」を連呼するモヒカン達に、ついに祐輔がキレた。
キキっと自転車のブレーキを握りストップし、モヒカン達を問いただす。
『今日はきくの姐御の大料理会なんすよ!!!』
大きく声を揃えて返事をするモヒカン達に、ああ、そう言えばそんな事もあったなと祐輔は思い出す。
毛利では定例的に毛利三姉妹がそれぞれ得意とする分野での、国を挙げての催し物がある。
それ即ち大掃除と大茶会、そして今回行われる大料理会。
「ああ、恐ろしい…!!! 遅れた者には体罰はモチロン、向こう一週間ご飯抜きに…!」
「嫌だあ!! もうウマそうな飯を横目に、犬の残飯を漁るのは嫌だー!」
「あべし!!」
「たわば!!」
ガクガクブルブルと震えながら自転車を止めるモヒカン達。
どうやら彼等にとって、ムチ打ちよりも飯抜きのほうが辛いらしい。
というか犬のエサですらなく残飯なのかよ、と祐輔は内心でツッコミを入れた。
『アニキ!! 早く、早くぅぅぅうう!!! 後生でさぁ!!』
「あぁ、うん、わかった…」
ごつい世紀末な男達が身体を震わせながら懇願する姿。
え、なにこいつらキモイ。祐輔はさっと目を逸らして、ブレーキを離す。
祐輔もご飯抜きにされるのは嫌なのでペダルに力を込めて自転車を漕ぎ出した。
「じゃ、行こうか」
「!? アニキ、その漕ぎ方は一体…!?」
「え、立ちこぎだけど? 急ぐんだったらこれじゃね?」
ごく普通にといった感じで立ちこぎをする祐輔。
だが自転車を操り出してから日が浅いモヒカン達にとっては衝撃的だったらしい。
「すげぇ、メチャクチャ早ぇ!?」
「流石アニキ!! アーニキ、アニキ、アーニキ!! フォフォ!!!」
「ヒャッハー!! これで夕飯に間に合いそうだぜ!!」
■
轟々と燃え上がる篝火。
炎の周りでは熱に浮かされた男共が狂ったように嘲笑を浮かべ、踊り狂う。
それはまるで悪魔を崇拝している邪教徒の儀式を具現化したかのような光景だった。
……信じられるか? これ、晩飯なんだぜ?
「バーベキューとは中々いい趣味してるじゃないか」
あの後なんとか晩飯の時間に間に合ったものの、時間はウルトラマンが地球でいられる時間くらいしか残されていなかった。
そのまま配下の野郎達と雪崩れるようにして会場に突入、今の騒ぎに至るというわけだ。
わー、すげぇ。豚の丸焼きとかマジ始めて見たわ。豪快すぎる。
「美味しくこんがり焼けたらこっちに持ってきな! 味付けは私がする!」
「へい! きくの姐御!!」
だがそのまま食べるわけでもないらしい。
表面がコンガリ焼けたらモヒカンが きくの所まで持って行って、きくがその場で切り分けて味付けをする。
豚の油が焼ける香ばしい香りにタレの甘い香りがこっちにまで漂ってくるのだから、俺でなくても腹が鳴ろうというものだ。
「馬鹿野郎!! まだ生焼けじゃねぇか!! 溺れて反省して来い!!」
「あああぁああぁぁああざぁああしっっっっっっっったぁあぁあああぁぁぁぁぁぁ――……」
だが生焼けの部分があったらしく、きくの怒りの鉄槌が振るわれる。
調理に使われ熱々に熱されたフライパンで叩かれたモヒカンは礼をいいながら吹っ飛び、城の外堀へと落ちて行った。
モヒカンが妙にいい笑顔だったのは気にしない方向がいいのだろう。
〈ぐぅ〉
「う…」
なので俺の腹の音が鳴り響こうと、それは仕方ない事なのだ。
そういえばあまりの光景に圧倒されて、食事をするという事が頭からスッポ抜けてしまっていた。
材料は過剰と思える程に積まれているが、モヒカン達にかかるとすぐに無くなってしまいそうだから急がないと。
よし、そうとなれば膳は急げだ。
「お、その焼き鳥旨s」
「ヒャッハー!! この焼き鳥最高だぜー!」
「…いやいや、実はそっちのねぎま串が食べたか」
「オラオラー! 雑菌は消毒だー!! そして燃えろ燃えろー!」
「……そ、そういえば きく特製のサラダがあるとか言ってたっけ。そっちに―」
「おらババァ!! サラダないぞ! サラダ寄越せ!!
…え、これ きくの姐御が作ったんすか? いやいや、俺、ババァなんて――あざっしたぁぁぁああああああああああああ――……」
全 然 食 え ね ぇ 。
これは晩飯じゃない。バンメシという名前の戦場だ!
しかも宴会では無礼講なのか、アニキアニキとうるさいモヒカンがちっとも敬意を示さない。
「いいだろう…なら俺も虎になってやる。
そうだ、俺は虎だ! 虎なのだ! だから筋骨隆々のモヒカンにも負けないんだ!
向こうの世界で病院食を食べていた草食系男子とは訳が違うんだ!!」
絶対に焼き鳥くってやらぁああ!!
俺は右手の箸を投げ捨て、モヒカン達が群れる中心へと飛び込んで行った。
狙うは至高の焼き鳥だけよ!!!
■
「…あー、このねぎま串、まだネギ残ってる勿体ないな」
串置き場に置いてあるねぎま串に、ねぎだけ器用に残された串があった。
俺はふらふらと串置き場まで歩いて行き、誰も見ていないのを確認して、その串を取る。
そしておもむろにねぎを食べる。
「あー、うめぇ…ネギが程良く焼けて、口の中でとろけ――――」
俺はそこまで言って、地面に泣き崩れた。
「惨め…! 圧倒的なまでの惨め…………!! あまりにも惨め…!」
俺は確かアニキと呼ばれてもてはやされていたはず…!
なのに何故…! どうして…! こんな事、あっていいはずが…!
内心少しいい気になっていた罰だというのか…ッ!?
ダン!ダン!と悔しさのあまり、地面に拳を打ち付ける。
俺はいざとなったら焼き鳥の一本さえ手に入れられないのか?
俺が静かに絶望している横でモヒカン達がマンガ肉片手に酒を飲みながら騒いでいるのが、俺の心を更に深く傷つける。
これは無礼講と言って、許していい恨みではない。
この恨み晴らさでおくべきか……無意識の内にブツブツと呟いていたのだが、サッと俺を中心に大きな影が差した。
もうとっくの昔に夜なのだが、篝火を焚いているので炎を中心に明るいのだ。
俺は不審に思い、泣き崩れた姿勢から顔をあげると―――
「ゆぅうすけえ! ワぁああああしィと一緒にィいイ飲まぬぅうかあぁぁあ?」
「親、父?」
そこにはこんがりと焼けた豚の丸焼きを軽々と持ち、片手に巨大な酒瓶を携えた親父・元就がいた。
■
ガツガツと貪るようにして豚の丸焼きを食らう祐輔。
元就は自分専用の盃に清酒をつぎながら、その様子を楽しそうに眺めていた。
「うぅまァいかああ?」
「旨い、旨すぎるよ親父!
塩胡椒の味付けが若干薄いけど、それを補える程の濃厚なタレ!
ここまで凄まじい程に旨い料理は始めてだ!!」
そうか、そうかと元就は豪快に笑う。
元就ほどの歳になると、自分が食べるよりも若者が元気に食べているのを見るほうが楽しい。
年齢不相応なまでの祐輔のがっつきっぷりに、元就は年甲斐もなく楽しげに笑った。
「ぉお前が、いつまぁでも毛利にィいてくれればぁあなぁあ……」
祐輔に悟られない程度にぽつりと呟く元就。
元就にさえ脇目もふらず豚を貪る祐輔は気付いていないようである。
だが元就は祐輔にいつまでも毛利にいて欲しいと考えていた。
祐輔が毛利に来てから、実に良く国が回っているのである。
今まで てるしかいなかった頭脳派(?)に参謀(?)とも言える祐輔が付いた。
てるが指示を出すことによって祐輔が動き、わかりやすく各方面に指示が出される。
そして きくの手綱の扱い方も心得ているように元就の目には映った。
時に馬鹿を演じ、時に知恵者を演じる。所謂器用貧乏タイプなのである。
ちぬからも好かれており、毛利の中核人物からの信頼は厚い。
「飲ォめえええ!!!」
「…え? これ、飲むんすか?」
ずいと出された元就専用の杯をマジマジと見る祐輔。
なみなみとつがれた盃には透き通るような清酒が輝いている。
祐輔はごくりと唾を飲んだ。
「日本酒、か…」
もう社会人の皆さんはご存知かと思われるが、現代日本で飲み会。
しかも大学生の飲み会となれば、主戦場は日本酒ではなくビールなのである。
祐輔もそれに漏れず、とりあえず一杯目は生中派なのだ。
だが断る事は出来ない。
祐輔は目の前でちゃぷんと揺れる盃に口をつける。
喉をつくアルコール度数の高さに、脳が一瞬にして揺れた。
「ちょ、休k」
「のぉめえええええええええええ!!! ガッハッハッハハッハハアアアアア!!!!」
ストップをかけようとした祐輔の盃を元就が支える。
目を白黒させる祐輔の意思と反して、喉へ怒涛のように注がれる清酒。
(ああ、もう駄目ぽ……)
ぐわんぐわんと視界が揺れ、元就の高笑いが響く中。
祐輔はゆっくりと意識を手放した。
■
【――よぉ、俺? ちょっと飲み過ぎじゃねぇか? くひゃひゃひゃ!!】
「俺…? これは、夢、か?」
【ユメ? 夢? 夢ねぇ? だが違うんだよ、俺。
オレはしっかりとてめぇの中に存在している、別の存在。
いや、寄生しているからてめぇ自身でもあるのか。クヒャヒャ! 厄介だねぇ】
「その鎖…そうか、お前はあの夢の。
ああ、もういいよ。もう大体わかったから。自分のラノベ知識が恨めしい。
こんな非現実的な事に対しても想像できるんだから、俺もいよいよオタクだなぁ」
【ならオレが誰か言ってみな。答え合わせといこうじゃないか】
「ああ、いいぞ―――――お前、狒々だろ? 正確には狒々化しつつある、俺の一部分か」
【クヒャ―――――大正解!!!】
夢か現か幻か。
祐輔と祐輔に瓜二つの存在以外何者も存在しない空間。
祐輔に瓜二つの存在は祐輔の言葉に、禍々しく口元を歪めて笑った。
■
「ざっと見る限り、精神世界ってとこか」
【理解が早くて助かるぜ。てめぇが馬鹿みたいに酒をかっくらうから、てめぇの意識が希薄になった。
本当ならオレがてめぇと出会うのは、もっと侵食が進んでからなんだがな。
だがてめぇの意識が希薄になったお陰でオレの意識との垣根が低くなったってわけだ】
「…で、お前が俺に話しかけてきた理由はなんだ?」
【なんだと思う?】
「わからないから聞いているんだよ。
どう考えても俺がお前だとしたら、俺とコンタクトを取るのは乗っ取れると確信した時だけだ。
不用意に接しても警戒して能力を使わなくなるかもしれないからな。
能力を使うのを控えれば当然、呪い憑きとしての侵食も遅くなる。メリットが見つからない」
【ケッケ、確かに! ああ、確かにその通りだ!!
てめぇのクソッタレな、吐き気がするような甘ちゃんには常に苛々させられる!
だがそれを今まで我慢してきた!! 虫唾が走りそうになるのをな! 歯がゆかったぜ? ただ指を咥えて見てるだけってのはよ?
てめぇに接するのは最後の最後、奪えると確信した時だけにしたかったさ!!】
「なら」
【てめぇに忠告するためだよ!!!
このままてめぇのやりたいようにやらせれば、何処かで必ずくたばる。
てめぇの能力があってもな!! それはオレの身体だ! てめぇがくたばれば、オレもお陀仏なんだよ!!!】
「ああ、そういうことか。なるほどな。
でもその心配は必要ない――――上手くやるし、お前に俺の身体をくれてやるつもりはない。
大人しく俺の中で燻ってろ。この戦が終われば、呪い憑きの根源を潰しに行くからな」
【そう上手くいくカネェ? くひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!】
■
「――ちゃん! ユウちゃん!」
「っあ…ちぬ、か?」
「そだよー。ちぬです☆」
あぁあ”ぁぁ…頭が割れるように痛い。
一体何があったのか、まるで何も思い出せない。
一体何が……ああ、そういえば親父に酒を飲まされたんだったか。
「ぅ…」
「気持ち悪いー?」
「ぎぼちわるい…」
ちぬに支えられて立ち上がると、猛烈な吐き気が。
ら、らめ! れちゃううううううううううううううう!! てな感じだ。
だが吐けそうで吐けないというジレンマ。成人で二日酔いを体験した奴はわかると思う。
「ならこれ飲むといいよー。ちぬ特製の酔い覚ましだよ☆」
「ありがとう‥」
ちぬから何かを手渡されると、掌にひんやりと冷たい感触。
ううう、ちぬは良い子だな…俺はそれをぐいっと飲み干そうとする。
「ああ、本当だな。首筋がグワングワンと警鐘を鳴らしてっぶぅぅうううううううううううううううううううううううううううう!!!!」
飲み干そうとした物を、そのままの勢いで吹き出す。
首筋にゾクゾクって駄目やないか! それ死亡フラグやないけ!!
思わず関西弁になってしまうほどに、それは正しく酔い覚ましではなかった。
「あ、これ神経毒だ☆ 間違っちゃった、てへ☆」
「それは間違うなよ!!」
でも許しちゃう。
何故かというと ちぬが可愛かったというのもあるが、吹き出した勢いで吐いたからだ。
おかげで随分と楽になった。これも二日酔いの人は良くわかってもらえると思う。
「あ”―、大分楽になった。ありがとう。
けど、まだ気持ち悪いから部屋に帰って寝る」
「そっかー。けど明日は早く起きてね?
今日の片付けするしー、起きないと きくおねたまに怒られるからねー?」
「おk。把握」
もうなんか返事をするのも億劫。
アルコールが脳に残っているせいか、未だにフワフワしている。
これはさっさと水を馬鹿みたいに飲んで、早く寝るほうがいいだろう。
俺はフラフラと千鳥足で自分の部屋へと向かう。
けど何か重要な事を忘れているような気がするんだよなぁ…? 何だったかな?
後になって思うが、確かにこの時の俺は重要な事を忘れていた。
しかもそれは最重要と言っていいような、人生を左右するような。
だけど俺は気付いていない。その重要な事は“一つ”ではなく、“二つ”だって事を。
■
自分の部屋に戻るのに、ノックをする人はいるだろうか。
普通はしないし、する人がいるというのなら珍しいと言わざるを得ないだろう。
たとえば自分の部屋に他人がいるというのなら、また話は別であるが。
「疲れた…もう今日は寝よう…」
それは祐輔も同じで、自分の部屋に入る前にノックなどしない。
疲れた身体を布団にそのまま投げ出そうとして、勢い良く戸を開ける。
「あ……」
「へ?」
アルコールのせいか、祐輔は重要な事を忘れていた。
そうなのである。祐輔の部屋は今、祐輔のみが使っているわけではない。
祐輔の部屋では今、【雪】が間借りするような形で住んでいたのである。
祐輔の目に飛び込んで来たのは、芸術品の陶磁器のような白い肌。
初雪を思わせる肌にはシミ一つなく、月の光りに照らされて幻想的な情緒を思わせる。
透き通るような蒼い髪は結えられ、一括りにされているが透き通るような蒼は艶やかに煌めいていた。
「あ、う?」
祐輔の脳は完全に思考停止していた。
それもそうだ。何故なら――自分の部屋には、服を脱いだ雪がいたのだから。
おそらく着替えをしていたのだろう。その現場にどんぴしゃりと居合わせてしまったのだ。
「………」
「………」
両者、無言の時間が過ぎる。
だが我に帰ったのは雪が早く、さっと身体を衣服で隠す。
そして真っ赤な顔で「申し訳ありませんが…」と祐輔に語りかけた。
「その、服を着たいので…後ろを向くか、部屋を出て頂けませんか?」
「はっ!? すすすすすすすす、すみません!!!」
ようやく現世に帰ってきた祐輔は酔いも覚めたのか、今までにない速さで部屋を出た。
その速さときたら、神速の逃げ足が発動している時にも劣らない速さ。
祐輔は今見た光景を脳に完全に焼き付けられ、正常な判断が出来ない程に動揺していた。
「qうぇrちゅいおp@あsdfghjkぉzxcvbんm,。・¥!?!?!?!」
失礼、人間を一時的に辞めていた。
もはや人間としての思考をとどめていない程に混乱している。
だがそれも当然か。今も淡い恋心を抱く人間の裸体を目撃したのだ。祐輔には衝撃が強すぎる。
〈しゅるしゅる〉
しかも現在進行形で布擦れの音が聞こえるのだ。
祐輔がその持ち前の妄想力で色んな事を想像しても、仕方ない事だろう。
祐輔が本日二回目の現実回帰を果たすには暫く時間がかかりそうだ。
「あの…森本、殿? どうぞ、中にお入り下さいませんか? お話が…あります」
「ひゃ、ひゃい!」
結局それはいつまでも部屋に戻らない祐輔を不審がった雪に声をかけられるまで、いつまでも続いた。
互いに少し気まずい雰囲気のまま、こうして雪と祐輔の物語は再開される。
一度は互いの行き違いからすれ違った二人。
だが今、二人には【過去】とは違う【現在】がある。
昔では知り得なかった事を知り、昔では無かった物もある。
二人の【今】がようやく始まった。
それは夜も更けた、毛利のとある一室で。
二人が描く未来とは、道筋とは。
あとがき
次回ようやく雪との対話です。
今雪はあの時知り得なかった事実を知っています。
雪と祐輔の思いが錯綜する次回、ご期待下さい。