小次郎探偵日記
『南沙諸島沖地震』の発生から1ヵ月が経過した。
南沙諸島海域は海底火山の噴火によって金と水銀を主成分とした重金属汚染が問題となり、現在は米軍を中心とした多国籍軍によって海上封鎖されている。
そんな最悪の事故現場から、我が『あまぎ探偵事務所』の所長は生還を果たしたのだった。
「果たしたのだった……まる、っと。ハァ~、ちょっと休憩しよっと。よっこらしょ」
「よっこらしょ、じゃねぇよ。入社するなり何でお前はずっと小説ばっかり書いてるんだよ。ええ、茜」
「えー、だって、ボク向きの仕事が中々無いんだもん。モチベーションが上がらくてさァ。なんとかしてヨ、小次郎」
「社長は俺だよな?何で俺が文句言われてるんだ?しかも一番の下っ端に?しかも病み上がりなのに?」
「下っ端って、ボクの下は雫ちゃんでしょ?あの子、アイドル活動もあるし基本、朝と夜しか来ないじゃない」
「入社時期はお前の方が後なんだよ……それにしても、何で常にお前はナース姿なんだ?最初、誰だか分からなかったぞ。眼鏡もかけてないし。コンタクトか?」
「人に会うのが怖い時期があった話はしたよね?で、三年くらい前くらいかな。通院先がこれまた、昔ながらのナース服のまんまでさ。このご時世にある意味凄いよね。で、ボクの担当医がこれまたヘンタイでさ。ナース服を愛するあまり医者になったという…そして患者にナース服を着せてカウンセリングを行う、という一種のアブノーマルなプレイを楽しんでいたのさ…でも、これが何でなのか効果があったから、さァ大変」
「ほう…ナースものと言えば学生時代、『あぶないナース』シリーズ、略して『あぶナス』が人気でな…何故かナース役の女優より男優の方が目立つ作品だった。主人公の鷹と相棒の竜二がこれまた個性的でな。鷹は超絶テクの持ち主で、秘技『シャイニングゴッドフィンガー』の達人だ。一方の竜二は通称『世界一うんこを食べている男』とまで言われるスカトロマニアだ。作品中では何故か女優を前に突発性の下痢になるのがお約束でな…トイレへと駆け込むその独特の走りは『竜二走り』と呼ばれていた」
「そうそう、続編の『たまたまあぶないナース』とか『おっとあぶないナース』とか『まだまだこれからあぶないナース』とか、最終作の『さらば愛しきあぶないナース』とか……って、古ッ!」
「知ってるんじゃねえか!」
「ルポライターなんてものを目指してたから、映画監督とか脚本家とかに興味があってさ…それにしてもよく生きてたよね、子次郎」
「うむ。実は今回は本当に死ぬと思ったが、あの世の一歩手前で髭のオッサンが立ちはだかってな。俺に葉巻の煙を吹きかけながら、娘を泣かせるのは許さんとか何とか言って殴られて追い返された」
「何回泣かせたら気が済むの」
「いや別に泣かせたくて泣かせてるわけじゃなくてだな……そもそもあのオヤジ、自分の事は棚に上げてよく言うぜ」
「雫ちゃんのオリジナルのシリアさんのお姉さんが弥生さんなんだもんね」
「そうだぞ。そこら中に種をばら撒いてた癖に、『私はいいんだ。お前と違ってすべての女性を幸せにしたと自負しておる』とか言い放ちやがったからな。んな訳あるかご都合主義者め。アンタはどこぞの中東のハーレムの王様か?」
「ウソ、小次郎がマトモな事言ってる…熱でもあるの?まだ本調子じゃないのかな?」
「そりゃこちとら腹に穴は開くわ、全身血塗れになるわ、出血多量で低体温になってたところに海水流入でコールドスリープ状態ときたもんだ。そこへ潜水艇に乗ったフィリピン系マフィアの運び屋シスター婆さんが通り掛かってな…どうせ金にはならんが、まあ金塊運ぶ代わりに世界有数の探偵を運ぶのも何かの足しになるかも知れん、とか何とか言ってな」
「そのお婆さんはどうしたのさ。まさか小次郎。とうとう誰でもよくなったんだね…」
「…お前は俺を一体何だと思ってるんだ」
「ケダモノだと思ってるけど?」
「なにおう」
「反論できるの?」
「ふっ、知性のある獣とは俺の事さ…銭ゲバメガネ女にこの俺様のハードボイルドな魅力は伝わらんか」
「銭ゲバで悪かったね…じゃあ所長。お給料上げて」
「それなら小説なんて書いてないで依頼を取ってこい」
「ふっふっふ。甘いなァ、小次郎。このボクが、このパソコンの前でずっと小説を書いてるだけだと思ってたんだ?」
「おうおう、違うってのか。せっかく氷室の隣にもう一台PCを入れたってのに、お前にずっと占拠されてるもんだから、この俺様は相変わらずPCに触れない毎日だぞ」
「ボクもただコスプレしてる訳じゃないんだよなぁ。実は、とんでもない大きな仕事かも知れない」
「ほほう、一体何だそれは。先に言っておくが、迷い犬探しは一切やらないからな」
「何だよソレ…実は『すしぜんまい』の社長がアフリカ諸国に投資してるんだけどさ。その投資が原因で政変が起きてる。それが一か国だけならただの経済活動だけど、それが実に10か国にも及んでいるんだ」
「それは確かに臭いな。が、政治やら外交やらはノーサンキューだな」
「うん。でもさ、その中の一か国がエルディア絡みだとしてら、どう思う?」
「……何だと」
「エルディアは中東の国家だけど、アフリカに近い立地から外交関係において影響力を持ってる。で、『すしぜんまい』の社長は海外進出の最初の国に、どうやらエルディアを選んだらしいんだ。理由としては多額の援助がエルディア政府から得られるから、って言われてるんだけど」
「それだけじゃ何とも言えんな」
「実は氷室さんが今、エルディアにいるんだけど。いろいろと調べてもらったんだ。そしたら、エルディアに『すしぜんまい』が出店した事は無いんだ」
「……金だけ出させて、実際には何もしていない、と?」
「そうなるね。一体、そのお金はどこへ消えたのか」
「なるほど。しかしそいつは俺向きの仕事じゃあないな。氷室にやらせろ」
「そう?全然、興味無い?」
「興味のあるなしで仕事を選んでる訳じゃあない。社員に仕事を割り振るのも社長の務めだ。何でもかんでも俺一人で片付けていたら、社員が育たん」
「うわっ、なんかそれっぽい事言ってるよこの人」
「とにかく、その件はお前と氷室で対応しろ。ところで、依頼人は誰なんだ?」
「えっと、それが未成年で…」
「はぁ?おいおい、身元は確かなんだろうな」
「かわいい女の子だよ…『すしぜんまい』の社長の知人の娘さん、だそうだよ。実は今日、ここに来る事になってる」
柴田茜の座るデスクスペースのすぐ脇は、この事務所の入口である。来客が来れば、まず氷室か茜が対応するような配置となっていた。
そこへ、扉を開けて人が顔を覗かせた。
「どなたかいらっしゃいますか?」
少女と小次郎の目があった。
「あ、来た来た。ささ、どうぞどうぞ入って入って。小次郎、お客さん。お茶入れてきて」
「所長だぞ俺は」
短めのポニーテールを後ろで結った、健康的な印象の少女であった。
「……失礼、何処かで会った事があっただろうか、お嬢さん」
「…いえ、初対面だと思いますよ」
「名前を聞いてもいいかな」
少女は淀み無く、はっきりとした声で答えた。
「双海蘭子と申します。よろしくお願いしますね、探偵さん」
~Another END~