小次郎編九日目
アール本郷の死。しかも、衆人環視という状況下での密室犯罪だ。
「これが推理小説だったなら、順序立ててキッチリと説明するところなんだろうがな……生憎と俺はそんなタイプの探偵じゃないんでね」
「どういう意味だ、アマギ」
「犯人の目星は既に付いているのさ」
「ええーっ!?本当ですか小次郎さんー!」
「まあな……しかし、だ。ここは米軍の揚陸艦の中だ。逮捕権はMP(Military Police:憲兵)とかNCIS(Naval Criminal Investigative Service:海軍犯罪捜査局)とかの領分だろう?一介の私立探偵如きが、米軍の船の中で誰かを逮捕出来る訳が無い。そうだろう、ジョナサン」
「それはその通りだが、意外だな。そんな細かい事を気にするような男だったか」
「細かいだとか、みみっちいとかよく言われるぜ……それで何故、俺がこんな話をわざわざするのか」
「どういう事なんじゃい。さっさと問い詰めたらええじゃろう」
「ドクター、それがそう簡単な話じゃあなくてな……名乗り出るのを待っているのさ。追い詰めすぎたら何をするか分からん。それに今の優先順位は殺人犯の逮捕じゃあない。だが、多少は謎を明らかにしておかないと、自供するまでには至らないかも知れんな」
「小次郎殿の推理力、期待しているぞ」
「舞ノ小路……何で言葉遣いだけ元に戻ってるんだ?」
「口調が変わっていたのは、一時的な高揚感の影響だ。今までならこの姿でいられるのは数時間であったので、このような口調の変化までは分からなかった」
「あの口調も好きだったんだがな……まあいい。まずは、登場人物それぞれの立ち位置を明確にしておこう。舞ノ小路はクラスAディテクティブで、神職の家系出身だ。その家系の巫女特有の体質なのか、『不老』だったようだ。今はただの女になっちまったが」
「小次郎殿のおかげでな」
「俺が悪いのかよ……次、双海蘭子。『イメージ・トランスクリプション』の起動コードの半分を記憶している。父親である双海氏は米海軍情報局に協力していた」
「私に……全く覚えがありません」
「生後まもなくの事だからな。そして、その蘭子の小児脳腫瘍手術を施術した医者がこちらのドクター馬蔵だ。日系人ネットワークを通じてモーリーや俺の師匠、桂木源三郎とも面識がある」
「ついでに言うなら、アール本郷とも面識はあったぞい」
「アシュレイ・バーウッド。NSAの局員で拷問好きなサイコ女で、元CIAでもある。オカマと同じくアウトフィット幹部だろうな」
「散々な言いようね。それに拷問なんて人聞きが悪いわ。ただの尋問よ」
「矢島啓次郎検察官は那覇地検だが、実際はアウトフィット米軍支社沖縄出張所みたいなもんだろうな。父親が旧エルディア情報部出身で国際指名手配されているが、何故か息子は検察官なんて職業に就けている。これはおそらく、息子が検察官になった後で指名手配されたからだろう」
「おい、プライバシーの侵害じゃないかね、探偵君。それに勝手な憶測はやめて貰おう」
「そんな心配なんてしてる場合かねぇ。おそらくだが、次に殺されるとしたらアンタだぜ」
「何を馬鹿な。どうして私が殺されなくてはならない」
「犯罪者は全ての痕跡を消そうとするからさ」
「痕跡だと?私が?」
「ああ。アンタこそ、アウトフィットと金塊、そして米軍を結ぶ生き証人だからだ」
「……馬鹿馬鹿しい。どうやらアイドラーの探偵なんて連中は、当てにならんらしい」
「ま、アイドラーについちゃあ否定はしないぜ。それじゃあ次。手口について解明してみようぜ」
「血が沢山出ています……」
「そうだな蘭子。だが見てみろ。アール本郷の身体には傷らしきものは見当たらない」
「うつ伏せの方にあるんじゃ?」
「これだけの血の量なら、正面から傷つけた場合、犯人は返り血を浴びてしまう。だが、ここにいた人間に返り血を浴びているヤツはいない」
「どういう事なんですか?」
「つまり、こいつはアール本郷の血じゃあない」
「え!じゃあ誰の?」
「誰だろうな」
「ふん、偉そうに講釈しておいて、結局分からないんじゃない」
「まあ待てよ、バーウッド。これはそんなに難しいトリックじゃあないんだ」
「トリックですって?」
「そうだ。この部屋、独房にしちゃあ広いが、やはり大人が8人9人と入ったら窮屈だ。それ故に全体を俯瞰で眺めるという事が出来なくなる。6畳間くらいの広さしか無い訳だからな。ジョナサン、そこの壁に折り畳みベッドがあるだろう」
「ああ。しかし普通のベッドだ。軍規格ではあるんだが」
「おそらくそのベッドのマットレスの中に、死体が隠されている」
「……なかなかユニークな推理だ」
「もう一人殺されているという事か?小次郎殿」
「さすがの舞ノ小路も、絶対推論が無ければ気付かない盲点だな。つまりだ。舞ノ小路達が連れて来られる前に、既に『もう一人の』死体が隠されていた」
「この血はどう説明するのか?」
「それもまたトリックだ。艦内照明ってのは夜間や戦闘時、赤色灯に切り替わる。それで床の血痕に気付かなかったんだ」
「血の匂いに気付かなかったのは?」
「天井の配管を見てみな」
「霧のようなものが出ているな……スプリンクラーか?」
「NBC兵器対策の洗浄システムが艦内、艦外に張り巡らされている。艦外は海水を循環させるが、艦内においては消毒消臭用にオゾン水を使用している」
「配管に小さな穴が開いているんだ。おそらく犯人が銃か何かで意図的に傷付けたんだろう。オゾン水で室内が消臭されてる訳だな」
「でも小次郎殿、銃声なんて聞こえなかったぞ」
「スタームルガーMKⅡという22口径の拳銃があるんだが、冷戦期に主にCIAのエージェントが暗殺用に使っていたらしい。サイレンサーでかなり音が抑えられるらしくてな……例えばさっき俺たちが入る前、『いやーっ!』って女の悲鳴が聞こえたが、あの悲鳴くらいならスタームルガーの銃声を誤魔化せるかも知れん」
「つまり、犯人はCIA出身か」
「ま、そこまで言っちまえば『犯人は自ずと限られる』訳だが。しかし、『そいつは本人なのか?』という新たな疑問が生まれる」
「犯人は誰かに成りすましている、という事か」
「ベッドのマットレスを引っぺがせば、誰が死んだのか判明するさ」
「それならさっさと引っぺがしたらええじゃろうに」
「まあ待てって。さっきも言ったが、追い詰めすぎるのはよくない。あくまでそいつの自供を促すのが賢いやり方だぜ。どうせ船の上で逃げ場なんて無いんだしな」
「自供するとは限らんじゃろう?」
「犯人はおそらく、時間稼ぎを狙っている。俺たちのヒナハラップ島への上陸を遅らせる事が出来ればいいのさ。それが達成出来れば、後でバレても構わないんだろうぜ」
「どういう根拠でそう言い切れる?」
「アール本郷をどうして今殺したのか、そのタイミングさ。海兵がヒナハラップ島に上陸した後でアールはどうして船に残っていた?俺たちが救出作戦を敢行するのも知っていた筈だ。俺たちが到着するまでの間、この部屋で何をしていた?舞ノ小路、どうだ?」
「私は隣の営倉でバーウッド女史に尋問されていた。こちらの部屋では蘭子嬢が矢島検察官に聴取を受けていた。小次郎殿が乗り込んで来る前にこちらに一旦集められたのだ」
「蘭子はどうだ。イヤな事されなかったか」
「いえ、特に何かされた訳じゃないんですけど……」
「何だ?それにしては、なんだか浮かない顔をしているじゃないか」
「私にはよく分からないお話をされていたものですから……神様とか四元素とか、そういうお話が多かったんです」
「……おいおい、検察官。アンタ、一気に胡散臭くなったな」
「個人の信条の自由をとやかく言われたくは無いね」
「このタイミングでする話とは到底思えんが、まあいい。問題はどうして俺達が乗り込もうとしている最中に尋問を優先し、さらには神がどうとか訳の分からない話をし、俺達が扉を開ける直前に殺されたのか。答えは一つ。時間稼ぎとしか考えられない。それもアール本郷の都合じゃない、犯人側の都合だ」
「アマギ、もっと分かり易く説明してくれ」
「つまりだ。アールはバーウッドと矢島に二人を任せていた。だが、上陸直前になっても尋問しているじゃないか。そんな悠長な事をしている暇なんて無いと、アールは直接こっちに来た訳だ。そして上陸を前にして殺されてしまう」
「犯人は二人に絞られたな」
「馬鹿馬鹿しい……証拠は何一つ無いじゃないか」
「さっきも言ったが、ベッドのマットレスの中身を調べれば一発だ。そうだな。ここまでお膳立てしても名乗り出ないんだ。中身を確かめてみよう」
壁掛けベッドを倒し、マルチツールのナイフでマットレスを引き裂く。
「おっと、蘭子は見ない方がいい。なかなかショッキングだからな……ご丁寧にダクトテープでぐるぐる巻きにしてあるぜ」
マットレスの中から出てきた灰色の塊。ミイラ状、あるいはミノムシの如くダクトテープで全体をぐるぐる巻きにされた物体。
「……やはりな。ジョナサン覚えているか?投げ飛ばした時に流れ弾が当たった筈だったからな」
「バーウッドだと?しかし、こちらにいるバーウッドは誰だ?お前は誰だ!」
ダクトテープを切り裂いて出てきたのは、アシュレイ・バーウッドの変わり果てた姿だった。
「充分に時間は稼げたんじゃないか?バーウッドに化けた誰かさんよ」
「いやいや、予想よりも大分早く見破られて困っているところだよ」
バーウッドの口調が変わった。
「声が男っぽくなったな」
「男だからな」
顎の下からベリベリと顔面の皮を剥がし、金髪のウィッグを外す。その下からは端正で中性的な顔が現れる。しかもそれはアジア系の顔立ちで、一見して女性にも見える。
「久しぶりだね『S』」
「お久しぶりですねー『C』さん」
「『C』だと?」
「私と同じ『ネイダー』の殺し屋ですよー。女装が得意なので『彼女=she』、推理力に優れるので『視る=see』、そしてアイルランドの妖精 『shee』、3つの『シー』の意味らしいですー」
「クローンか……俺の頭ん中のデータベースに該当する人物が一人いるが、舞ノ小路。おそらくはアンタと俺のお仲間にそっくりなんじゃあないか?」
「……うむ。アイドラーのクラスAディテクティブ『八十神かおる』に瓜二つだ」
「やはりな」
「それだけの情報で『八十神かおる』だと看破するなんて、さすがはクラスAラストナンバー、天城小次郎だ」
「ラストナンバー?何だそりゃ」
「30人目のクラスA、もしくは31人目だからね。ちなみに30や31にどんな意味があるか知っているかい?」
「さあな、知らん。まあ一か月の単位だろうが」
「そう。アイルランド起源の祝祭ハロウィンが10月31日に行われる事に由来する」
「それで、お前は『八十神かおる』のクローンなんだな?」
「まあね」
「何でまた、そんな有名人のクローンなんて作ったのか」
「世界の30人に選ばれる程の優秀な遺伝子だからね。一流の探偵の能力は、犯罪に使えばやはり一流だ」
「その理屈で考えたら俺も対象になるな」
「残念ながら天城小次郎のクローンは失敗したよ。何度複製しても、天城小次郎の『性能』には満たなかったんだ。クローンは経験までは複製出来ないから、元の才能が性能に大きく関わる。しかし、天城小次郎という『性能』は完全に努力型だった訳さ」
「そいつは安心したぜ……いや、倫理的にはアウトだが。一体、何人の『俺』を処分したんだか。考えるだけでもゾッとするぜ」
「逆に言えば、才能に完全に依存したタイプの人間はクローンしやすい」
「……特殊能力持ちは真っ先に対象になるな。舞ノ小路の体質なんて不老不死の研究対象としても有用だろうしな」
「天城小次郎以外のクラスAは、全てクローン化に成功しているさ」
「お前らは滴のいた組織『ネイダー』だろう?アルファベットの数だけしかメンバーはいないんじゃなかったか?最大26人じゃないのか?」
「クローン化しても、要求される性能に満たない個体もいる。例えば、悪行双麻というクラスAも、やはり要求される性能を再現出来ずに終わった。だから正確にはクラスA全てがクローンとして稼働している訳じゃあない」
「シリアやプリーチャーといった、そもそも探偵ですらないヤツらもいたな。いや、そんな事は些細な話だ。バーウッドに化けていたって事は、残る一人もまた怪しいってこった」
俺の視線が矢島に向く。
「ふむ……正体を明かしてもいいのか?」
「いいよ。時間は十分に稼いだ」
八十神かおるのクローン体『C』の許可を受け、矢島もその顔のマスクを剥ぎ取った。
「俺の名は『M』。クラスAディテクティブ、クライフ・マクドガルのクローンだ」
こちらは20代か30代の外人男だ。薄いブラウンの短髪、少し垂れ気味の目元をしている。
「ちなみに『M』とはギリシャ語の『メトロン』から来ている。『測る』という意味さ」
「ご丁寧に説明、痛み入るね。探偵相手に情報を喋っていいのか?」
「多少のヒントは無いとフェアじゃあないだろ?」
「クライフ・マクドガルは『サイコメトリスト』だ。気を付けられよ、小次郎殿」
サイコメトリスト。それは物体に宿る残留思念を読み取るという、一種の超能力を持つ者を指す。
「……またオカルト分野の登場か。さて、クラスAのクローンが二人、ここで正体を現して何をしたいんだ?確かネイダーはアウトフィットとは完全に袂を分かったと聞いたが?」
「本来の役割に戻っただけだよ。犯罪請負業ではなくてね」
「本来の役割、だと?自分たちの国を作る、とかいうヤツか」
「そうさ。アウトフィットとは利害が一致していたけど、その点だけ違っていた。アウトフィットは犯罪者の国を作ろうとしていた。俺達はクローンでも生きられる国を作る。クローン研究の過程で生み出され、価値無しとされて放棄された多くのクローン達がいる」
「ふーん、随分と御大層な目的だな」
「興味無さそうだね」
「無いな」
「さっきはクローンの倫理観がどうのと言っていたじゃないか」
「一介の私立探偵が考える事じゃあないからな。それにクローンの人権をどうにかしたいってんなら、別に新たな国を無理して作る必要なんてない。今ある国家と社会、人々を害してもいいって事にはならない。お前たちはその無理を強いている。なら俺は、目の前の犯罪者を摘発するだけだ」
「倫理観に縛られているね。自分の殻を破りたいとは考えないんだな」
「俺は一般人からすれば、十分にアウトサイダーさ。その上、人間まで辞めるつもりは無いぜ」
「交渉は決裂かな」
「何の交渉だったんだよ」
「天城小次郎をこちらに引き抜けないかと考えたんだが」
「無理だな。諦めろ」
「そのようだね。なので、もう一つの目的を遂行させてもらうよ」
「もう一つ?舞ノ小路か蘭子か」
「鋭いね!この場は任せたよ『M』!」
『C』が動くと同時に、『M』が狭い部屋の中で俺に向かって突進してくる!
「この狭い空間で銃は使えまい!」
クライフ・マクドガルのクローン『M』は右手を俺の胸元目掛けて伸ばしてくる。
「組み技か!」
掴まれないように先にこちらから当身を放つか、後ろに下がるか横へ動いて躱すべきか、それとも組み手に応じるか。こちらとしても別に組み手争いが不得手という訳では無いが、何か嫌な感じがする。
「切らせてもらうぜ!」
バチン!
掴まれる前に左の手刀でクライフの右を叩き落す。
「右は囮だ!」
右を切る間に、クライフの左手が俺の右袖を掴もうと伸びていた。
「させるか!」
がしっ!
俺の右手がクライフの左手首を取り、クライフの左手はそのまま俺の右手首を掴む。
「むっ!?」
「お前の動きが分かるぞ。リストロックに移るつもりだったな?」
リストロックとは手首を決める技の総称で、柔術などでは手首固めと言われる。
「相応の使い手ともなれば、こちらの意図する技を察知する事も可能だろうが……そうか、これは『サイコメトリー』の応用か。超能力とはまた厄介だな」
「超能力などという言葉で括っては欲しく無いな。これはあくまで洞察力の延長に過ぎん。人間誰もが持つものだ。俺はその方面の才能に恵まれていた、というだけだ」
「物は言いようだな!」
小手返しを狙うが、こちらの意図は既に見切られてしまっていた。逆に右手首を極められそうになって慌ててクラッチを切る。組み技はほぼ封じられたようなものだ。
「クラスAはこちらにもいるという事を忘れるでない」
「舞ノ小路水陰、貴女は頭脳労働専門だ!」
「それはどうかな?」
舞ノ小路が『C』の行く手を阻む。足の運びを見るに、おそらく合気道の使い手だ。対する『C』はおそらく『バリツ』の使い手らしかった。
だが、俺達は探偵だ。
真正面から正々堂々とステゴロにこだわる必要は無い。
「時間は稼いだ、って言っただろ!」
『C』の着衣は未だにバーウッドと同じカーゴパンツとタンクトップで、胸元の大きな膨らみに手を突っ込み、バリッと音を立てて何かを毟り取った。タバコの箱より少し大きい程度の円筒形の空き缶のようなものだった。
「なッ!?」
ブシューッ!!
舞ノ小路の前で床に転がしたその缶から、勢いよく緑色の煙が噴出した。
「く……ッ!M18スモークグレネードだ!」
ジョナサンがその缶の正体を叫んだ。
「煙で気管や目をやられるぞ!口を何かで抑えろ!」
ハンカチなど何も持っていない為、口元をジャケットの袖で抑える。危険だが、目は瞑るしかない。
「げほっ!げほっ!舞ノ小路、無事か!?外に出るしかない!蘭子、壁伝いに歩くんだ!」
「きゃあああああーッ!!」
「蘭子か!?どうした!」
プシャーッ!!
煙を感知したのか、室内のスプリンクラー設備から海水が散水される。
「煙感知器が作動したな……何とか部屋の外に出たが、やられたな」
「クローンの二人がおらぬな。それに蘭子嬢も……連れ去られたようだ」
「……窓から海へと飛び込んだのか?」
隣の部屋の舷窓から外を見ると、船から遠ざかるゴムボートが見えた。その先には陸地がはっきりと見える。
「連中、どうやら例のエルキャックとかいうエアクッション揚陸艇を洋上に待機させていたらしい。縄梯子で降りたようだな。蘭子をどうやって連行したのか……気絶でもさせて、担いだか?」
「すまない、小次郎殿。私は向かってくる相手なら対処出来るのだが、逃げる相手を捕まえるのは不得手でな……」
「あの状況では仕方がないさ……しかし、その言葉遣いは久々に聞くからか、違和感ありまくりだな……もう一回、高揚してくれないか?」
「小次郎殿、そんな事を気にしている場合ではあるまい」
「場を和ませる小粋なジョークのつもりだったんだが」
「緊張感を自分で調整出来るのは、小次郎殿の長所なのかも知れんな」
「暗に緊張感が足りない、とお説教されてしまったようだ……」
「アマギ、この艦の制圧は終わったようだ。これからどうする?」
「上陸するしか無いだろうさ」
「ヤツらを追う訳だな」
「蘭子を連れ去ったって事は、起動コードを手に入れたようなもんだ。さらに島にはこの艦から積み下ろした『イメージ・トランスクリプション』それ自体がある」
「彼らの狙いが達成されてしまうのだな」
「何でわざわざ積み下ろしてから起動させるんですかねー」
「おそらく、大電力が必要だからだ」
「ジョナサン、この艦で電力は賄えないのか」
「ワスプ級は 50メガワットの蒸気タービンエンジンだ。原子力空母ならワスプ級の約4倍の電力を生み出すから可能だろうが……」
「50メガワットか……一般家庭なら1万6千世帯以上を賄える。ちょっとした街くらいの発電能力がある訳だが。それでも足りないのか」
「レールガンで30メガワット程度を消費する。兵器システム以上の電力が必要だという事だ」
「逆に言えば、このヒナハラップ島で大電力を生み出す事が可能だという訳か」
「可能だ。かつてこの島の地下には、米軍の地下ミサイルサイロが存在した。その施設の設備を使えば大電力が賄える」
「しかし、たかが洗脳装置がそんなに電力バカ喰いするもんなのかね……いや、そもそも『たかが洗脳装置』なのか?もっと、とんでもないモノってオチじゃないだろうな」
「正直な話、あの装置に関しては謎が多い。開発を主導したマイケル・モーリーに直接聞かない限り、全貌は見えてこないだろう」
「お前ら米軍が作ったんだろうに」
「正確には国防総省の研究機関DARPA(ダーパ:アメリカ国防高等研究計画局)のプロジェクトだ。モーリーの研究がDARPAの公募に通り、予算を獲得した。開発自体はモーリーの所属大学の研究所で行われたようだ」
「ドクター、アンタも関わってたんじゃなかったか?」
「ワシは脳外科手術を施術しただけじゃぞ」
「洗脳装置で何をしようとしておるのか、という疑問もある。蘭子嬢の記憶から起動コードをサルベージするとして、それを思い出すのに洗脳装置が必要だとしたら矛盾が生まれる。『鶏が先か卵が先か』という話だ。この艦は金塊の積み込みが目的だとは思うが」
「……まあ、今考えても答えは出ないだろうぜ。とりあえず現物を確認しようじゃないか。連中、既に運び出しているかも知れん」
「まさか。海岸線まで距離があるのにか」
「さっきエルキャックが洋上待機していただろう。おそらくそいつに載せてたんじゃないか?」
「急いでウェルドックに向かおう」
俺と舞ノ小路と滴、ジョナサンとドクターの5名でウェルドックに移動する。しかし、そこに『イメージ・トランスクリプション』の巨大な筐体は見当たらなかった。
「やはり運び出されていたな」
「どうするのだ、小次郎殿」
「金塊を狙っていたのがアウトフィット、『イメージ・トランスクリプション』を狙っていたのが『ネイダー』、もしくは『ゼニス』だとして、金塊の積み込みは失敗に終わった。艦はこちらが制圧しているからな。つまり、アウトフィットの勢力はあとは駆逐されるだけだ。一方で『ネイダー』のクローンが洗脳装置を起動させようとしている」
「ドクター殿。蘭子嬢の記憶を取り出すとして、どのような方法が考えられようか」
「脳の記憶はタンパク質の変化なのじゃ。記憶を形成する遺伝子というものがあってな。脳の遺伝子をコード化して取り出すんじゃよ」
「……ちょっと待て。それはつまり、脳を取り出すって事じゃないか?」
「そうじゃな」
「そんな事をしたら、蘭子ちゃんが死んでしまいますー」
「こうなる事は分かっておった……モーリーはむしろ、蘭子君を救おうとしていたのじゃよ」
「ドクター。モーリーは実はいい奴って事か?」
「いや、ヤツは確かに悪人じゃよ。しかしそれでも、自分の娘として育てた蘭子君に愛情を抱くようになったようじゃ」
「ちょっと待てよ。モーリーの育てた蘭子はギャルの方の蘭子だろ?」
「お前さんは探偵じゃろ。推理してみたらどうじゃ」
「……モーリーと双海氏の間で、二人の蘭子の取り換えがあった」
「ビンゴじゃ」
「どうしますかー、小次郎さんー」
「俺は当初、『ゴルゴン十三』に命を狙われた。蘭子を助けた為だった。だが、ヤツの狙いはアウトフィット幹部の暗殺にあった。そのアウトフィットの狙いが、フォートノックスの金塊の強奪計画。さらに上位組織である『ゼニス』が『イメージ・トランスクリプション』を起動させようと、二人の蘭子の身柄を確保した」
『ゴルゴン十三』の依頼主は、金塊強奪を阻止しようとしていた米軍だった。俺がアイドラーから当初受けた依頼は、その依頼主を明らかにする事だった。芋づる式にこの事件の全貌を担当する羽目になっちまったが……逆に言えば、俺の自由意志で捜査するかしないか決める事が出来る。
「……ま、やらないって選択肢は、この俺様にはありえないな。蘭子を殺させたりしないさ」
「小次郎殿。どうやって阻止するつもりか?」
「既に連中は島に向かっており、俺達は出遅れている。この差を縮めるには、先回りしなくてはならない。『イメージ・トランスクリプション』は大電力を消費する事が分かっている」
「ふむ……成程な」
「えー?どういう事ですかー?」
「アマギ、ゾディアックボートを借りてこよう」
「任せたぜ」
ジョナサンの手回しによって上陸用ボートを借り受け、十数人の海兵達と共にヒナハラップ島に上陸する。
「既に昼過ぎか。太陽が眩しいぜ。さすがに日本より蒸し暑いな。それにしても……二人共、ミリタリーな水着が似合ってるぜ。ここに法条のヤツがいなくて良かった……いや、いてくれた方がもっと過激なのが見れたのかも知れないか……」
何処までも続く白い砂浜に、俺達は立っていた。
「小次郎殿、何を一人で悩んでいる」
「鼻の下が伸びているのにー、目は凄く真剣ですー」
舞ノ小路は前がジッパーで胸元が開いた黒のラバーっぽいワンピース水着で、かなりハイレグで綺麗な尻が丸見えだ。滴はカモフラ柄の上がビキニ、下がショートパンツという格好だ。
そんな恰好でレッグホルスターに護身用としてSIG SAUER P320のコンパクトタイプ、そして足元はミリタリーブーツを履いているんだが、どうも滴が提案したらしい。アイドル活動なんてしてるからなのか?
「何で水着なんだ?いや、俺はとても嬉しい訳だが……喰い込みが凄いな……ごくっ。こっちの胸元なんて、何でこれで零れないんだ……」
「だってー、泳ぐ事になったら服が邪魔になるじゃないですかー」
「目線がずっと下だぞ」
「脱げばいいと思うんだが……まあお前たちがそれでいいなら俺は構わないぞ。むしろ大歓迎だ。ちょっと俺のナニが元気になってしまうのが困るが」
ちなみに、海兵達からの目線も集めてしまっているが。
「俺達以外に誰もいない常夏のビーチ……俺の心の目には、向こうの方にヌーディスト・ビーチが見えるぞ!よーし、ここは一つ、俺様の自慢のナニを振り回してそれそれーっ!って」
「小次郎殿、いきなり拳銃を取り出して何をしている?」
「ああうん。そうね、拳銃ね。俺様の愛銃グロック22カスタマイズが火を噴くぜ」
悪いが、自慢のナニを振り回すという選択肢は存在しないようだ……。
「アマギ、既にリゾート施設の大半は崩落しているようだ」
「ほう、衛星写真か?」
「スマートフォンでイミント情報をリアルタイムで表示出来る。多くの施設が瓦礫の山と化しているが、島唯一の繁華街『ゴールデン・フィールド』は無事なようだ」
「繁華街なんてあるのか。しかし俺達の目的は発電施設だ。発電所は近くにないのか?」
「発電所はカジノホテルの地下だ」
「はぁ?ホテルは崩落してるんだろう?」
「ミサイルサイロがあった、と言っただろう?カジノホテルはそのミサイルサイロの上に建てられていたんだ」
「だが非常時でない限り、地域の電力網から電力を供給するもんじゃないか?」
「それが、このヒナハラップ島は無人島だったんだ」
「1960年代の米ソ冷戦下で、この島に核ミサイルサイロが作られた。だが10年程前、フィリピンの米軍基地は返還され、完全に米軍は撤退した」
「その後でフィリピン政府管轄となっていたミサイルサイロをトリニティグループが買い取り、カジノホテルを建設した。働き場所が出来れば人が集まる。そうして繁華街が出来たが、発電所なんてものはこの島には無く、ホテル地下の発電システムを改修して電力を賄っていた」
「おいおい、非常用を常用にしちまって大丈夫なのか?」
「ディーゼルなどの内燃機関では難しい。だが、この島には自噴式の地下水が存在したんだ。隆起サンゴ礁の石灰岩が堆積していてな。日本の宮古島などと同じさ。宮古島には世界初の地下ダムがある」
「その地下ダムがこの島にもあるって事か」
「そうだ。止水壁によって地下水を堰き止め、広大な地下空間から海へと放水するシステムがあるんだ。サンゴ起源の石灰岩はスポンジのような構造になっていて、貯水能力が高い。地下の鍾乳洞の深さも相当深く、この落差によって高い運動エネルギーが得られる」
「だが、水力発電では最大出力が低いんじゃないか?ワスプ級の50メガワットの出力に匹敵する水力発電所が、確か日本一の水力発電所だったと思うぞ」
「通常時なら確かにそうだ。だが、カジノホテルが崩落しているだろう。これは地下ミサイルサイトに注水した為に起きた。この注水作業によって一時的だが、原発に匹敵する大電力を生み出せる」
「原発クラスだと?どれだけの水量が必要になるんだか」
「エジプトのナイル川、ナセル湖にあるアスワンハイダムの発電機が一基175メガワットあるそうだ。おそらくはそれと同等」
「そんな巨大で深い地下空間があるってのか?」
「オーストラリアのフレーザー島にある熱帯雨林の河川、イーライクリークは毎時450万リットルの水量があるという。それと同等であれば、おそらくアスワンハイダムの発電機に近い出力を得られる」
「まあ細かい事はどうでもいいか……とにかく、地下に発電システムがある。そいつを止めれば俺達の勝ちだ」
「注水作業が終われば必然的に、発電機の出力は落ちる。その前に連中は『イメージ・トランスクリプション』を起動させるだろう。注水はまだ続いている筈だが、あまり時間は無いだろう」
「難しい話ばっかりで疲れますー」
「男二人だけで技術的な話に夢中になりおって」
「うるせい。時に理論的な判断も探偵には必要なんだよ。舞ノ小路だってクラスAなんだから分かるだろ」
「さすがに地下ダムの知識は無いのだが。むしろ小次郎殿にその方面の知識がある事に驚いたぞ」
「ダムは男のロマンなんだぜ」
「……私にはよく分からぬ方面だな」
「ロマンで飯は食べられませんー」
「夢の無い女達だな!」
「夢はありますよー。このビーチなんて最高じゃないですかー。グラビア撮影以外で来たかったんですよー」
「私は全国の神社仏閣巡りがしたいと常思っているよ」
「……ダム巡りとあまり変わらんじゃないか」
「時間が無いと言った筈だが分かってるか?」
「慌てるなよ、ジョナサン。おそらくだが、ホテルが崩落した事で通常の手段では地下へ入る事は出来ないんじゃないか?」
「だからと言って、のんびりとしている訳にもいかないだろう」
「まあ待てって。俺に考えがある。これから入り口を探すのは面倒だ。それよりも、連中を誘い出す方が得策だぜ。そうすれば米軍お得意の衛星画像で入り口が発見出来る筈だ」
「確かにその通りだが、どうやって誘い出すんだ」
「だからこうして、くっちゃべってるのさ」
砂浜に接した熱帯雨林の木々の間から、人の気配を感じる。
「例え森林戦のプロだとしても、熱帯雨林の動物たちまでは騙せないものだぜ」
物音を立てずに移動出来たとしても、例えば鳥類などが警戒したりして普段と違う鳴き声を上げたりする。
「例えば滴。あるいはシリアでもいいが。気配を断つスキルを持ってる訳だが、それはジャングルでは完全には機能しない」
「そうかもですねー。屋内戦闘向きなんですよー」
「あいつらもそうさ。海兵隊の猛者だろうが、基本的にはユニット単位で動く。そうなれば隠密姓は当然下がる」
「同じ米軍同士で戦うのは避けたいものだが……避けられんか。アマギ、ここは俺達に任せて先に行ってくれ」
「いいのか、ジョナサン」
「適材適所だ。探偵に海兵隊の制圧を任せられない」
「悪いな。だが、衛星画像は俺達は見られないから、分かったら俺のスマホに連絡してくれ。どうやら島に上陸した事で電波が入っているようだ」
「了解だ。それじゃあ俺達は、ジャングルクルーズと洒落込むか!行くぞ!」
ジョナサンと海兵達が熱帯雨林へ消える。
「よし、それじゃあ俺達は繁華街とやらを目指すか」
「小次郎殿の勘か」
「まあな。『木を隠すなら森の中』って言うだろ?ミサイルサイトとは別の入り口が、例えば資材搬入路などがあったかも知れんからな」
繁華街『ゴールデン・フィールド』は砂浜より2km程離れた小さな港に隣接していた。セントラルストリートには僅かに残った島民の姿がちらほらと見える。
「どうやらカジノ崩壊で多くの観光客が島を離れたようだな」
「仕方なかろう。僅かに残った島民達が無事生きている。それで良しとするべきだ」
「それで良し、本当にそうかな?」
ストリートに面した飲食店の中から、あのクライフ・マクドガルのクローンが現れた。さらに後ろから、八十神かおるのクローン。
「どうやら、こっちが当たりだったようだぜ」
こいつらがここにいるという事は、目的地が近いからだ。
「俺が天城小次郎の相手をしよう」
クライフが両手で銃を構える。FN ブローニング・ハイパワー、あの往年の名作海外ドラマ『特攻野郎ブラボーチーム』のリーダー、ジョニー・スミス大佐愛用の拳銃で知られる。
「じゃあ俺は舞ノ小路か。『S』はキミに任せるよ、『G』」
キラッと、遠くの建物で何かが光った。それを滴は察知し、咄嗟にその場から跳んだ。
バチュィン!!
粗いアスファルトに火花が散る。弾丸の弾ける音に慣れているのか、路地にたむろしてい
た住民が姿を隠す。
「狙撃だ!まさか『ゴルゴン十三』か!?」
「そのまさか、さ。どうして『G』が日本からたった6時間でこの島に来れるのか。それは最初から、この島にバロン西郷のクローンがいたからだ」
「でもー、オリジナルには劣りますー!入念な下準備が不足してるようですねー!」
滴の気配が忽然と消える。目の前にいた筈なのに、その姿を認識出来ない。シリアが得意とした気配遮断は、カモフラージュというよりはステルスに近い。視覚に多くを頼る狙撃という手段に対し、滴の気配遮断は有効だった。
「さすが『S』だ!その能力こそクローン対象に選ばれた理由だ!」
八十神の左手にはH&K P7 M13。何故か両手に黒い革手袋を嵌めている。
「私は銃は嫌いなのだが」
舞ノ小路もP320をレッグホルスターから抜く。
「こうして足止めが出来れば充分だ」
八十神と舞ノ小路はトリガーに指を掛けたまま、お互いに動かない。滴は気配を消して『G』に肉迫すべく移動を開始し、俺とクライフだけが遮蔽物に身を隠しつつ銃撃し合う。
バン!バン!
「……ブローニング・ハイパワーの装弾数は13発。対してグロック22は装弾数15発。単純な撃ち合いならこちらに有利だが」
2発の余裕があるので、舞ノ小路を援護するべく八十神に向けて一回銃撃する。
パン!
俺の横やりで八十神が身を隠す。
「小次郎殿、このままでは時間が無くなるぞ」
動けるようになった舞ノ小路が隣にきた。
「狙撃で狙われている以上、ここから動くには誰かが牽制役を引き受けるしかない」
「まさか小次郎殿。また一人で残るつもりか?」
「他の選択肢は無い。俺がここで牽制し、滴が『G』を仕留める。舞ノ小路がその間に発電システムを落とす」
「私が残る、という選択肢は考えないのだな」
「そいつはありえないぜ。それに、単純に俺が残る方が成功する確率が高い、という理由もある」
「ふふ、実はフェミニストの癖に。恰好付けておるな」
素早く顔を寄せ、口付けされる。
「滴のヤツを向かわせてるんだぜ?フェミニストなもんか……1,2,3でここから出る。その後、3秒間だけ時間を作る。その間に先に行け!」
「……分かった。必ず電源を落とそう」
「頼んだぜ……それじゃあ行くぜ。1……2……3…ッ!!」
3の合図と共に、四つ角から身を躍らせる。グロックを構えて走る。
パン!パン!パン!
3秒間身を晒し、1秒間隔でトリガーを引く。丁度3秒で、遠くにきらりと何かが反射した。
「来た……ッ!!」
バチュイン!!
地面を転がってギリギリ狙撃から逃れる。
バン!バン!!
さらに八十神とクライフが追撃してきた。
「……舞ノ小路は行ったか」
別ルートへ向かう舞ノ小路の背を見届け、マガジンの残弾を確認する。
「あと9発か。一人で三人を相手にするには、ちょいと心許ないか」
この距離で身を隠しながらお互いに牽制し合うのでは、おそらくこちらが先に弾切れを起こす。向こうは時間が稼げればそれでいい訳だ。
「気分はまるで騎兵隊だな……行くぜ!」
銃のトリガーを引きながら突撃する。
「焦ったか、天城小次郎!」
「援護しろ『C』!」
八十神のバックアップを受け、クライフが飛び出す。
「ちいッ!」
ガシッ!
互いの銃撃は僅かに頬を掠め、ゼロ距離で立ち合う。グロックを握る右手は外され、ブローニングハイパワーは叩き落す。互いが間接の取り合いへ動き、しかしクライフのサイコメトリーがこちらの技を上回る。
ブワッ!
「何……ッ!?」
俺が仕掛けた立ち間接が悉くいなされ、逆に頭と左腕を抱え込まれる。
「シャムロックの中で眠れッ……!ブラッディ・サンデー!!」
身体が垂直に持ち上げられ、どういう事なのかそのまま空高く放り投げられてしまう。まるでプロレス技のDDTを空気投げにしたかのような投げられ方だった。
ドシャアッ!!
「が……ッ!!」
受け身も取れずに背中から落下し、固い地面に叩き付けられた頸椎に大きなダメージを受ける。
「クライフ・マクドガルは『天城小次郎殺し』だ。その為に用意したクローンなのさ」
何処からか、八十神の声が聞こえた。
こちらの甲冑柔は全く通じず、ヤツの技に抗う事すら出来ない。この俺を殺す為だけに用意されたと言うだけの事はある。
「……ぐッ……まさか、わざわざ俺の為にこんなヤツを生み出すとは……な……!」
ヨロヨロと立ち上がるが、頸椎へのダメージは痛みと共に全身のしびれを誘発していた。一歩間違えれば即死だった。
「……間一髪で僅かに衝撃を逃したか。しぶとい男だ」
「こう見えても……何度も死線を潜り抜けてるんでね……」
クライフの呆れたような声に何とか声を絞り出すが、こんなものはただの強がりだ。もう一度アレを喰らえば、今度こそやられる。何とかこいつの技を見切らなければならない。
「さあ、もう一度喰らえ!ブラッディ・サンデー!!」
ブワッ!!
「うおおおおおッ!!」
おそらく、『崩し』によってこちらの天地を逆さまに反転し、重力によって沈み込む力を天空へ方向へ変え、受け身不能の回転を加えて吹き飛ばす技だ。
二度目を受けて感覚的に技の正体を実感したが、技を知ったところで既に空高く放り投げられていてはどうにもならない。視界に移る空の色は、何処までも青く澄み渡っている。空を飛ぶ鳥の姿を走馬灯のようにスローモーションで捉えつつ、咄嗟に右手に握ったままのグロックを下へと向けた。
バン!
「む……ッ!」
チィン!!
ドシャアッ!!
弾丸はクライフの頬を掠め、地面で跳弾となって跳ね返る。
「……な、んだと……!?」
跳弾は物陰に潜んでいた八十神の左腕を貫き、同時に俺は地面に再度叩き付けられた。
「……まだ生きているな。本当にしぶとい男だ。せめて敬意を表して、こいつで楽にしてやる」
チャキッ!
クライフがブローニングハイパワーの銃口を、地面に仰向けに倒れた俺の額に向ける。
「……なあ。最後に一つ……いいか」
「何だ?」
「……お前さん……空までは……その手で読み取る事は……出来なかったようだ……ぜ」
「何だと?何を言っている?」
「は……ははっ!天城小次郎、最後のセリフがソレか。俺の利き腕を潰した事は褒めてやるよ!」
物陰から姿を現した八十神が倒れた俺の頭を蹴り飛ばす。
「……いってーな……空だ……って、教えてやった……ってのに」
「何を言っているんだこの男は」
仰向けに倒れた俺の視界の隅に映るもの。
『ソレ』は、とんでもないスピードで空から降ってきた。
「『まりなウルトラキィーーーーーーッッッッッック!!!!!』」
ゴキィ!!
「ご……ッ……」
頭頂部に強烈な一撃を喰らったクライフは首の骨を折られ、さらに背中から『そいつ』に伸し掛かられて死んだ。
「……空から降ってくるとは……相変わらず非常識な女……だぜ」
「馬鹿な!何でここにいる……『法条まりな』!!」
そう。
『そいつ』こそは日本国最凶の暴走特急女。
「はろはろー。任務達成率99.9%のスーパーエージェント、法条まりなさん華麗に参上!小次郎、アンタまた死にそうになってるじゃないの。アンタがどうなっても別にどうでもいいんだけどさ、私の親友の泣き顔は見たくないからね!今回も助けてあげたわよ、感謝しなさい」
相変わらず口うるさい非常識女は、とうとう空まで飛ぶようになったらしかった。
~九日目終了~