ーーげ。こいつだったのか。 そんな声を、星舟は心底に落とした。 直接は言わない。笑顔で必死に取り繕う。 だが、悪感情ぐらいは、相手も薄々察しているはずだ。 自分にしても、になど、引き継ぎ前に支度をしていた責任者でなければ、会おうともしなかっただろう。「御用、と聞きましたが」 筋の通った美しい声だが、感情が乗っていない。「これはこれは侍女長殿。お呼びだてして申し訳」「御用、と聞きましたが」 ……そして、声と同様ながら、その顔かたちは美しくも情というものを感じさせない。 月並みな表現だが抜き身の刀、という言葉がよく似合う、近寄りがたい威圧感と身の引き締まるシャープな美貌を持っていた。 そしてその鋭さは、外洋装仕立てのふんわりした給仕服をもってしても隠し切れない。それが、彼女……シャロン付きの侍女長ジオグゥだった。「よほどにご多忙なようなので、単刀直入に申し上げる。……この館に賊が紛れ込んだおそれがある。何か、不審な物や人を見たおぼえはあるか」 ジオグゥは、迷うことなく目の前の星舟を指で示した。「おぼえがありますわね。目の前に図体ばかりの大きなドブネズミが」「ハハハ! ……面白い冗談だが、そんな戯言でなごんでいるような場合ではないのだ」 星舟は笑い飛ばした。 笑い飛ばさなければ、胸倉をつかんでの殴り合いに発展していたことだろう。 対する侍女は、相も変らぬ非好意的な態度のまま、無言で書類を差し出した。 それは、星舟らが到着する以前の物販の受け取り伝票と、来賓のリストだった。「……たしかに」 それらを受け取るや、パラパラと帳面をたぐってざっと目で追う。 たしかに、その身元や出所は信頼のおける豪族や商家の判物ばかりで、不審な点は見当たらない。 パタン、とそれらを閉じた後、星舟はあらためて「感謝する、侍女長殿」「謝意というものは、言葉にしたところで心がこもっていなければ意味のないものですよ」「ハハハ、これは手厳しい。オレとしては誠意を尽くしたつもりなのだが。なかなか言葉で感謝を示すというのはむずかしいようだな」「そうなのですか。自分は貴方に欠片ほどの誠意も信頼もおぼえません。なのであえてそれを口にすることもありませんから、そのむずかしさは理解できませんわね」 では、と頭も下げず、武人のごとく隙を作らず、体を切り返して侍女は去っていった。 足音が遠のく。気配が消える。 それから、満面の笑みを凍ったように張り付かせた星舟は、「リィミィ」 口だけを、動かした。 そして一転、怒気をあらわに表情をゆがめ、「塩! 塩蒔いとけ塩ッ!」 と怒鳴りつけた。「塩はない。石灰(いしばい)なら大量にあるが」「じゃあそれで良いから!」「色は似ているが代用できるものでもないだろう。それに、一地方の人間たちによるその縁切りの風習の効能は、直接的に証明されていない」 あまりに理路整然とした、慣れたような物言いに、星舟は余分な力と毒気を抜かれる。 どっかりと椅子に腰かけなおした彼は、前髪をくしゃくしゃと乱し、息をついた。「……昔っからあの女とは、どうにも肌が合わねぇ」「その言葉は、前提として肌の合う相手がいた時に用いるべきだろう」 侍女長ジオグゥ。 あの取り澄ました物言いと顔を見るたびに、ムカムカと吐き気のようなものが肺のあたりにこみあげてくる。 元の素性は定かではない。 星舟と同じく『偏執領姫』シャロン・トゥーチに拾われたひとりで、彼女には絶対の忠誠を誓っている、そうだ。 ただ違うことは、星舟は純正の人間であることに対し、彼女は半分は獣竜だ。 とはいえ歳も境遇も似ている。侍女としての資質はともかく、武技には長けているし、領内や家の事情にも精通している。本来であれば自分から接近し、トゥーチ家中においてはまっさきに取り込んでおきたい対象だ。 だが、あの『鉄の女』は、どうにも最初から夏山星舟の潜在的な敵あるいは害毒と信じて疑っていないらしい。 また、そうした態度も言動どおり隠そうとしていない。 ――いや、それでも侍女長としてどうなんだ? 通常の作業や人間関係に障りが出るほどの態度ってのは。 と、公人としての立場から星舟は思わないでもない。 だが、一方で「あるいは」とも想像する。 獣竜としての嗅覚と、人間としての猜疑心を持つ彼女であればこそ、感じ取っているのではなかろうか、と。 ……この男は、将来竜たちに対してよからぬ謀事(はかりごと)をなそうとしているのではないのか、と。 どうにも自分は、そういう混血の手合いとは、相性が悪いらしい。「にしても、『あちらさん』のほうが損得と打算で通じ合えるぶんまだ救いがある。それに比べてあのムッツリ女と来たら」「言い忘れていましたが」「…………うおぉ!?」 出て行った、と思ったその女の声が降って来た。気がつけば、背後に取り付けられた窓からこちらを覗いていた。 心中の多くを直接口にはしていなかったから、油断していたというのもある。もちろん、相手も練技のかぎりを尽くし、気配を極限まで抑えて忍び寄って来たのだろう。 話しかけられるまでおなじ獣竜種であるリィミィでさえ、察知できなかったのだろう。この冷淡な副官の顔に、自分とおなじ動揺が浮かんでいる。それでも、自分ともあろう者が背後に立たれた。 屈辱と、おのれに対する憤りを取り繕えずにいられない間に、ジオグゥは冷ややかな視線を彼に浴びせて言った。「『あぁ言う戯れ』は、事前に届け出ていかなければ。侍女らが困っておりましたので」