夏山星舟の知覚は及ぶ限りにおいて、発端はトゥーチ家管轄の西端、その山村だった。 取り立てて特産もないが、飢えることもない平凡な村。そしてその収入源は養蚕業が主を占めていた。 箱の中で、桑の海の中で蠢く白き虫らを、その顔役である真竜種ミカムッヤは目を細めて覗きこんでいた。「あぁ……ようっく食ろうて糸を吐けよー。きっと今年も美しいものとなろう」 少壮の竜がまるで赤子のようにあやすものだから、周囲の職人らは皆苦笑した。「お蚕様をかくも愛でられるお竜様というのも、失礼ながら物珍しい」 というほほえましげな呟きを拾って、ミカムッヤの翠玉の神秘と柔らかさを帯びた瞳が細められた。「失礼を返すようだが、ここに来た当初は儂もつまらぬ場所の鎮守に割り当てられたものだと思っておったよ。だが、いざ蚕など飼ってみるとまた面白い。かくのごとき、助けを得ねば独りでは羽化もできぬ弱き虫が、かくも美しき糸を吐く。たとえかくも脆弱であっても、その渾身の生より紡がれし美が、人や我らの暮らしを支えている。なんと見事なことか。なんとも不気味であったが、今となっては愛しく思う」 それは蚕のみにあらず。 卑小にして愚かと思っていた人間たちが、みずからの営みをなんとか保とう、より良くしようと奮励してみずからを出し切る姿もまた、今のミカムッヤにとっては慈しむべきものとなっていた。 母性父性にも見た充足感を噛みしめながら、彼は舎より出た。 ……その雨が降ったのは、この直後だった。 雨か、と手をかざして見れば、その表に雨粒が落ちる。 だが、その雫は一滴にしてすでに分かるほどに赤黒く、仰ぎ見れば陽を翳らす雲もまた、不気味な濃色であった。 直後。 ずぐん、と大きく心臓が跳ね上がった。 臓腑は火油をかけられた蛇のように熱くうねり焼けただれ、ミカムッヤは今まで味わったことのない苦痛とともに突っ伏した。 血反吐を一升分の塊として吐き出したかと思えば、顔面の穴という穴から流血し、自らが流した血の池に溺れていた。 慌てて駆けつけんとした護衛の真竜らも、外に出て雨を浴びるなり、彼の如く可視化できるほど劇的に体調を悪化させるということはなかったものの、皆熱に浮かされて、そして後日皆例外なく死んだという。 後に残されたのは唖然と、だが何事もなく異様な雨天の中を立ち尽くすヒトの子らと、その彼らの世話を待つように葉の中を這い、転がる蚕であった。