「下りろ」「分かってますよもう。手荒いもんだ」 経堂によって鎧と脚の結束を解かれ、かつ銃座で小突かれて、その内間は鎧に縛られたまま下馬した。 愚痴をこぼすものの、その男、恒常子雲においてはさして苦を感じた様子もない。 言うまでもなく、手足の自由が利かない状態での乗馬など、至難の業である。 あるいは適当な場所に放逐するならば適当に馬に任せて走らせれば良かろうが、この男はその状態で落馬することなく乗り切った。 こんな曲芸じみた技術、相当の修練を幼少の頃より叩き込まれていなければできないはずだった。 であればこそ、経堂はなおさらに彼への不審の念を強めた。「お前さん、その気になれば逃げられただろ」 そいつは黙って従うよ、というのが星舟の弁。 珍しく当てた上官の読みは、理由を聞かずして素直に褒められるものでもなかった。「逃げれば、貴殿が我が背を撃つ」「当たり前だ」「それでは逃げ果せるかは五分五分、と言ったところでしょうなぁ」「試そうとは思わなかったのか?」「その五分の賭けに負ければ、拙者は策破れし無様な虜囚の体で、誰にも知られず死ぬことになる。そんな死に方、御免被りたいですな」 臆面もなく言いのけて、カラカラと笑う。 自身が敵の間諜であったことが露見し、双方から見捨てられるであろうことは必至で、今この瞬間にさえ一挙一動によって命が危ぶまれる。 そんな状態にあっても、この不遜さは損なわれない。一種痛快ささえ感じられるほどだ。 なるほどこれは、尋常の間諜に非ず。如何にも夏山星舟好みの、かつ意気の通じ合える変わり種と言えるだろう。 さてその両者の眼下、稜線が東西に広がる前の北端の先にて、追撃部隊は見るも無残な、紅の敗色でもって五十亀川を彩っていた。 そして彼らの脇では、荷車に隠していた品物を所定の位置に運搬し、組み立てていた。 もうこの時点で、いや奴らが星舟を追った時点で勝ちは見えている。ここまでやることもなかろうという妙な慈心が芽生えそうになるも、もらった給金に見合う仕事はせねばという義務感が、その萌芽を土に埋め直す。「木盤への固定、完了しました」 部下がそう報告したあと、彼に組み上がった物を見せるべく彼の視界から我が身を退けた。 先の円く広がる口を川へと向けた、鉄の臼。野戦砲。破損しない程度の最大限の装薬量を込めたその砲身を叩きながら、子雲を見、その腕の拘束を解きつつ、経堂は言った。「お前さんが、合図を出せ」 子雲の笑顔に強張りが生じた。「我らが隊長殿からの、ご指名だ」 と付け足すと、彼はその意図を完全に理解したようだった。 彼の内心はともかくとして、明確に攻撃を支持させることで完全に藩王国との手切れとなる。少なくとも心理的には、そうなる。「ほら、早くしろ。もう敵軍が敗走してくる」 腹芸は好むところではないが、急かすことで心理的余裕を奪う。 子雲はじっと砲身を見つめ、砲口を睨んでいた。敵軍はすでに渡河を諦め、後ろから崩れつつあった。統制を欠いているがゆえに中々に下がれずにいるが、ややもすれば半ば陸地に乗ずる形となるだろう。「射角、下に一〇度調整」「上に十五度、西側に五修正だ」 硬い声で飛ばした指示を、経堂は即座に改めた。 子雲は驚きとも呆れとも取れる目つきで見返した。「風読み違えましたって誤差じゃねぇぞ。往生際が悪いぜ旦那」 それっきり、子雲は口を閉ざしてしまった。 敵軍はその間にも川を脱しつつあった。「おい」 焦れた経堂が突き出した顔に目がけ、子雲は懐から細長い物を抜き出した。 躊躇せず、経堂はあらかじめ万端に整っていた銃を速射した。 しゅうしゅうと白煙が、弾道を軽く避けた子雲の手元で立っていた。「どうもありがとう」 彼が指で差し挟んだ、一本の煙草は、弾丸の摩擦熱で火がついていた。 それを丁寧に燻らせながら、唇でつまむ。 一呼吸分紫煙を呑む。これのみで満足したのか、大儀そうに口に含んでいたそれを吐き出した。「……畢竟! いかなる時節においても冒し難き道理ありっ!」 次の瞬間に彼が吐き放ったのは、闊達にして諸人の鼓膜を揺さぶる大啖呵であった。「あれに見えるは竜に逆らう愚かなる人! 戦局の流れも見えぬ愚かなる将! 天地善悪順逆を翻すが如きかの者らを、この恒常子雲、天意と、そして我が主夏山星舟に代わりて討ち果たさん!」 周囲が呆れるほどの、あからさまな芝居っぷりを見せつけながら、子雲が目を眼下の敵に向けた。「射角上へ十五度! 左へ七度修正っ、撃てぇっ!!」 彼の号令一家、裏切りの砲声が轟き、撃ち放たれた榴弾が宙に散った。