「どういうことだ! 約束が違うぞ!?」 星舟の副官の顔が視認できるようになるなり、カルラディオはそう声を張りながら詰め寄った。 だがリィミィなるその女性は怒れる若き真竜を前に冷ややかに見返し、「約束、とは?」 と、主人そっくりの不遜さでもって問い返し、彼の怒情を煽り立てた。「とぼけるな! 互いに不干渉という取り決めだ!! あんただってその場にいただろう!?」「私が聞いたのは、場所を妨害も協力しないという、貴方の一方的な宣言だけですよ。それをうちの夏山がどう受けたかなど知る由もない」 さらに、獣竜は淡々と続けた。「戦というのは流動物なのです。どういう方向に転がっていくのか、ある程度の操作や先読みはできても完全な掌握は不可能です。よって当初の予定から逸脱することなどそう稀なことではない」「詭弁を……!」「いえ、むしろこれは夏山なりの配慮なのでしょう」 殺意の域にも達しかけたカルラディオの敵対意識をこともなげにやり過ごし、リィミィは嘆息した。「本当は夏山星舟は私に貴方を挑発するよう命じました。『高所より傍観し、旨みのみを得る肚であろう。そのような勝利を得たところで、何の面目あって泉下のお父上に報告をするのか』と」「言ってくれる……!」 だが、心に刺さる。思惑を容易に読まれている。だからこそ自分は今、激しているのだとカルラディオの才子としての部分は冷徹に客観していた。 そしてリィミィがあえてその命に反したことにも、伝えたい彼に真意があるのだとも。「仮に貴方のやり方で勝利を得たとしても、サガラ様はお認めにならないでしょう。むしろ、自分の部下を見捨てたことを口実にガールィエ家を処罰する算段の方が高い。こちら側としても、貴方にもしもが起これば同様のことが言えるでしょう」 そのための、あの追撃部隊だという。 今のカルラディオの部隊とリィミィの陽動部隊のみで対処できる程度の数。 それもまだこちらの位置を知覚し切れていないというその虚を突けば、勝利はより確かなものとなることだろう。 つまり星舟がリィミィに命じて連れて来させたのは敵に非ず。経験の浅い竜に与えるべき適当な獲物。そう彼女は言わんとしていた。「……これまでの確執、これ以降の遺恨はともかくとして、今は助け合いませんか? いえ、現状として貴方は我々を追尾する敵に応戦せねばならないはずです」「だが、しかし」 あの男は自分を裏切った。父を見限った。 その少年の認識が彼の決断を、現実や理屈を上回って踏みとどまらせた。「だが、なんですか」 リィミィは冷たくそこを突いてきた。「実際のところ、お父上と奴との間に確執は存在した。それは星舟の認めるとおりです。しかしながら、貴方が邪推するような間柄では決してなかった。お父上の死の責任について星舟が必要以上に重く受け止めているだけで、私の見るところ、あの男が負うべき責任などないと思いますがね」 カルラディオは顔を上げて睨みつける。「では何故貴方に対してあの男はかくも露悪的なのか」 その時にはもう、彼女は話題を移していた。そして自分から答えを打ち出すことはしなかった。 生徒の自主性を重んじる生徒のように、彼の思考の内に解を求めている。 何故己らを擁護せず雨の日に殴られるのを良しとしたのか。何故あえて今日にいたるまで、挑発的な態度を取り続けたのか。 それは自分が悪いと、ことブラジオの死に対しては思い続けてきたからだ。 その上で父の死に報いる方法を模索した結果が、その子の怒りを矛先をあえて自分に誘導し、かつその父に代わって成長を促すためだったとしたら。 ……あくまで、この女教師の言い分を全面的に肯定すれば、の話だが。 だが、当座の怒りや混乱は収まった。 面倒ごとを押し付けられたことに対するわだかまりはまだあるが、それも重苦しいため息に絡めて吐き落とす。 代わりに生じたのは、そんな厄介極まる人間の弁護を自主的にしなければならない副官に対する、微小な憐憫だった。「……大変だな、あんたも」「別に。私が勝手に気を揉んでるだけですよ」 愛想笑いも感謝もなく、リィミィは返す。 軽く目を伏せながら、ふぅと小さく吐息を漏らす。「……そうだ。いつだって私が、私たちが勝手に気にしてるだけだ。あいつは自分が気遣われていることを知りさえしない。あの時と同じ、誰よりも弱虫で臆病で繊細で、なのに負けず嫌いで強情な鼻垂れ小僧のままだ。あの馬鹿は。それが遠いと感じているならそれは、あいつがベソかきながら歩き続けた結果だ。背を押した私が、その場に留まっていただけだ。あいつが変わったわけじゃない」 どうやらカルラディオにとっての考える時間は、彼女にとっても同じ時であったようだ。 誰に向けたものともしれぬ独白を、彼は意図的に聞き流し、怯えを見せる自軍の将兵を顧みた。「聞いての通りだ! これより我らは、向かい来る敵を挫く!」 先日までは仇討ちに気を吐いていた新兵たちは、多少その勇を減退させながら声をまばらに上げた。 カルラディオとて、武者震いとも純然たる恐怖とも思える瘧を、その手に宿している。「不安に感じるのも無理はない。だが、ここにいるリィミィらの古兵たちが、我らを導いてくれる! 彼らを手本に訓練どおりに、事に当たれ!」 声が揃った。哮りを見せた。 それを見届けたカルラディオは、再び少女の如き女竜を見た。「……で、よろしいな。夏山の軍師殿」「無論、観戦に来たわけではありませんので」「肝心の夏山は勝てるんだろうな」「でなければ私がここにはいません」 迷いなく答えたリィミィの背後で、後続の味方が集結し、かつ副将の指示を仰がずして陣を組みつつあった。 その時、忙しなく動く一つの影を、カルラディオは認めた。 各間を結ぶ伝令役として奔走する小柄な新兵。それに目がつき、かつ脳をくすぐられるような奇妙な感触に眉を潜めた。「……リィミィ殿、あの少年……いや、少女か?」「あぁ、あれは星舟の近侍ですが、激戦の場に置きたくなかったのでしょう。私の介添として連れていくように命ぜられまして。彼女が何か?」「いや……以前どこかで」 だがそのことを想起する暇はない。 とりあえず保留の域にその既視感を放置して、カルラディオは全神経を初陣へと集中する事にした。