……夜襲部隊の一斉放火を退けた竜たちは、背後から受けた気配に、反撃を止めて振り返った。 炬。そしてそれを手にした兵士たちが、山を下りてきて迫っていた。 それは、異質な人間の集団だった。 黒一色の軍服。痩せてはいるが引き締まった肢体。それだけであれば、たしかに人にしては優れてはいるが、竜たちの衆目を引くこともなかっただろう。 だが、彼らは外見以外の部分が、明らかに他と一線を画している。 まず、彼らは声をあげなかった。死地に身を投じんとしている間際にも関わらず、鬨の声さえあげようともしない。 その表情をブラジオは認めた。何の色も浮かんでいない。何の感情も表出していない。恐怖や緊張さえもない。 さながら異国の葬列のごとく、あまりに静かに整列した彼らの先頭に、大将らしき若い男が立っている。 羅紗地の軍服は、フロック型のマンテル。それには到底不釣り合いの、本邦ごしらえの大頭巾をかぶり、腰には反りの深い軍刀。精悍というよりかは茫洋とした顔だちだが、その眼光は地獄の火であるかのように、昏く淡い。 刀の鯉口に手をかけながら、もう逆の手にあるのは鉄の棒。指揮杖というには、長大なそれは、大の男でさえ持つのに苦労しそうなものだが、それを難なく片手で持っている。 ゆっくりと、歩幅を合わせた兵士を引き連れて、互いを視認できる距離までに達しながら、竜におびえることなく、その背で敗亡する味方に焦ることなく、彼らは絡み合う蛇の軍旗を翻し、接近してくる。 ――七尾藩。だが今更やってきて挟撃もあるまい。 その紋所が記憶の一部と合致したブラジオは、心の中でつぶやいた。 だが、そのつぶやきには言いしれない暗さがあった。 何かが違う、と頭の裏で、今までに聞き覚えのない声がささやいているように錯覚した。「面白い! 竜を前にして、怯まぬその気概、本物かどうか試してやろう!」 部隊長のファンガドンが、駆け出した。 猪突猛進の向きがある彼は、率いるべき配下も捨て置き、単騎駆けに、高揚に突き動かされるままその大将へと向かっていった。 その側頭部に、血の華が吹きこぼれた。 遅れて発砲音が聞こえた。後に続かんとした部下が、同様に交差する弾道に射抜かれた。 視認できる場所に、射手はいない。にも関わらず、闇の森の中から飛来した弾は、獣の走力を借りて馳せるファンガドンの急所を単発で射抜き、その胞輩たちを鏖殺した。 竜たちの想像の範囲外の、射撃の精度と飛距離だった。 おそらくは鬼のような装備の男は、その威風堂々とした見かけを利用した陽動で、ひそかに両側面の森、その死角に兵を展開していたに相違あるまい。しかし、実際に攻撃を仕掛けられるまで、その存在を竜たちは察知できずにいた。「おのれっ!」 その伏兵の鮮やかさを賞嘆し、警戒するよりも先に、野良犬のように同胞が撃ち殺されたことへの怒りが勝った。 モルンゴルスが猛る竜たちの先頭を切って進む。彼らを中心として交錯する弾丸もものともせず、彼ら外殻をまとった真竜種がつづく。 同胞を殺した報いを受けさせるべく、まずは眼前の『陽動部隊』へと。 戦闘を放棄したということか。自らの役割を終えたがゆえに、粛々と死を受け入れようとでも言うのか。あるいは別の詭計でもあろうというのか。だが、砲丸さえ通じぬ甲冑に、いったい何をもって抗すると? 大頭巾の大将は、命乞いはしなかったが、逃げる様子もなく、だらりと肩から先の力を抜いた。刀と鉄棒。それらは握りしめたまま。 その深く沈めてひねった腰から、刃がはしった。突き上げた剣先が、三日月を夜に描いた。振り下ろした。 斬った。 真竜種を、その『鱗』もろともに。脳天から。 べしゃり、と鈍い音がする。 ついぞ今まで、人間になどさらしたことのない、真竜の血液が、砂地を濡らす。 外殻の内側にへばりついた肉片が落下の衝撃でこぼれ落ちた。両断された身体の大部分は、そのまま支えを失って、声さえもあげずに つい今まで浜辺を揺らしていた咆哮と足音が、それこそ引き潮のごとくに止んだ。「…………は?」 という、バオバグゥの間の抜けたような声が、傍らから漏れ聞こえてくるほどに。 竜を討ったという達成感も喜びも、男の茫洋とした顔つきにはなかった。 一度大きく息を吸う。踏み込んだ。一瞬で間を詰めた。 本来なら次いで攻めるはずだったアーグドレム・アーカムの前に立った大頭巾は、左手の棍棒でその側頭部を打った。傾いたその首筋に、刃が食らいついて鋸のように引いて、斬り落とす。 鎧われたままの彼の首を、蹴った。猛将として知られるその与力、テレックス・ドランも、飛んできたその首に、その所業に、後退した。それよりも速く、人間の大将は迫り、胴を凪ぐ。岩石のような上半身が、真っ赤な鮮血とともに吹き飛び、部下の上に落ちてのしかかった。悲鳴をあげる彼らを無視し、さらに先へ。 刃を振るう。鉄棒を落とす。切る。打つ。斬る。撲つ。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。打つ。打つ。打つ。打つ。打つ。討つ。殺す。殺していく。 まるで野菜でも調理していくかのような、感情の乗らない動作で、彼は屍の山を作っていく。進むたび、それらは積み上がり、広がり、血液は河となって竜たちの足を沈めていく。 何が、起こっている? 何故、人が、銃弾も砲弾も使わず、竜を、圧している? 再び男が踏み込む。 事実を認識するよりも、理由を詮索する前に、竜らは自分の中にはなかったはずの感情……恐怖に突き動かされ、どっと逃げ崩れた。「進め」 混沌の渦と化した戦場に、その魔人は無慈悲な令を投じた。黒ずくめの兵たちが、竜たち死骸を踏み越え動き出した。 一言も異論を唱えることなく、主人と同じような面持ちで。 ――なんだ、これは。 無貌の兵士たちが、声もなく殺到する。 松木によじ登ると、そこに止まっていた鳥竜たちが、飛び立つ前に、あるいはその直後にしがみつき、自身らもろともに地面へと落ちていく。 地表で待ち受けていた兵士が何本も剣を突き立てて串刺しにし、頭部や胸に銃弾を何発も浴びせた。 ――何が、起こっている? 獣竜たちが取り囲まれている。「えぇい、どけっ! 何故どかぬ!?」 ブラジオの副官たるバオバクゥが、自らの身長ほどにある大刀を振りかざし、七尾藩兵たちを寄せ付けまいと奮闘していた。 彼ら獣竜は獣の知覚や感覚を一時的に借りることができる。特にバオバクゥは虎の力を、その腕や刃に宿らせることができる。その一振りが、猛虎の爪牙に相当する……はずだった。 だが、その豪腕によって不自然な方向に手足が折れようと、四肢が切り飛ばされようと、首筋から死に至るだけの血量を流そうとも、人間たちは声もなく、恐怖も見せずに仲間の屍を踏みしめてバオバクゥに組み付いた。 やがて数人がかりでかの巨漢を押し倒すと、こじ開けた口や服の隙間に爆薬をねじ込んだ。 あの歴戦の勇者が、まるで子どものように首を振って抵抗していた。導火線に松明で火をつけられると、その表情をより強張らせた。 そして彼らは、敵味方を問わずに自爆した。ただの一言も恨み言を言わず、笑いも泣きもせず。悲鳴のひとつさえ漏らさずに。 一体何なのだ? こいつらは……? 我を失って、鎧をまとったままに立ち尽くすブラジオの側頭部を、弾丸が打った。 金属音を立ててはじかれた弾を見て、とうとう自身へも敵襲かと身構えた彼だったが、視線の先、丘の上に立っているのは、死んだような目をした七尾藩兵ではない。自分のよく知る人間そのもの……それも、もっとも気に食わない夏山の五芒星を腕章につけた狙撃手だった。「さっさと撤退命令を出せッ」 竜を見下ろす非礼も、あまつさえ銃で撃った無礼も咎める間もなく、彼は鋭い目つきでアゴでしゃくった。「退けだと!?」「アンタが逃げるか指示しなけりゃ、他の連中が退くに退けないでしょうがッ! ったく、物見決め込むつもりだったのに、世話の焼ける……!」 舌打ちまじりにそう言うや、自身は丘から滑り下りた。「忠告はしましたよ。俺は先に退散するんで」 松を弾避けに、自身を狙う銃弾から身を隠しながら対尾方面へ奔ろうとする彼を、「待て」とブラジオは呼び止めた。「あれは、いったいなのだ……? あれは本当に、人間なのか?」 そんなことを問うている暇も意味もないことは、ブラジオとて理解している。 だが、それでも問わずにはいられなかった。 隣でその男は引き金を絞った。 銃腔から吐き出された六角形の奇妙な弾は、彼を狙っていた銃手の頭部へと確実に命中した。 だが、七尾藩兵は倒れない。膝をも屈さず、装填を終えた弾を発射した。 もっともその弾は、明後日の方向へと流れていったが、寒波にも似たおぞましさが総身を襲った。「さぁてね。逆にこっちが聞きたいぐらいですが」 夏山の兵士は、自身や仲間を犠牲に敵を殺していく悪鬼たちを睨みながら吐き捨てた。「あんなもんは、もう人間とは呼べませんや」