「あ!! グレン様!!」
喫茶店『赤い甘味』の教会側に行くと、既にリーシュが俺達を待っていた。俺を発見すると、駆け寄って来る。
「宿に居なかったので、先に来ちゃいました」
リーシュは笑う。
……元気そうだ。少し、俺は安心した。今日も目の下に隈なんてあったら、どうしようかと思っていた所だ。
「おー、大丈夫だよ。リーシュ、ちゃんと休めたか?」
「はいっ、休み休み来ました!!」
「お前はおばあちゃんか」
ついでに言うと、宿からここまでは幾らも離れていない。気にする所が完全に間違っているな。いつもの事だけど。
「そうじゃなくて、昨日の夜の話な」
「……あ、ちゃんと寝ましたっ」
それより…………『赤い甘味』に、トムディが来ている。何やらルミルと楽しそうに話をしているようだが……お前、他に行く所は無いのか。父親すぐに来るだろ、間違いなく。逃げた意味無いぞ。
まあ、あの様子だと追って来ているかどうかは、怪しい所だとも思うけども。……まだ、俺には気付いていないようだ。
教会には、沢山の修道士が集まっている。若い子が中心だが、それなりに歳を取った男も居るな……ルミルが教えているのは、【ヒール】か。トムディはルミルの隣で、修道士が【ヒール】を覚える様子を見ていた。
特に苦労している様子もない。皆、普通に使えるようだ。簡単な魔法だから、まあ当たり前の光景と言えばそうだ。トムディは笑顔でそれを見ているが……実際の所は、どう思っているんだろう。
ふと、子供達が駆け寄って来た。……今日も来ているのか。
「トムディ、おまえ【ヒール】使えんのかよー!! やってみろよー!!」
「勿論できるけど、今は使う必要がないだろ? だから、やらないよ」
「本当は使えないんじゃねーの?」
「使えるよ!! 失礼な奴だな!!」
……………………。
思わず、目を覆ってしまった俺。リーシュが不思議そうな顔をして、俺を見ていた。
「どうしたんですか、グレン様?」
「ああ、いや、ちょっとな」
悲しすぎるだろ…………!! さっきの一件を見た後だと、よりトムディが不憫に見えて来る。
まあ、俺に同情されたくは無いだろうから黙っているが……不思議と、協力してやりたくなって来るな……何故だろうか。
「あ、グレンオードさん」
ルミルが俺の存在に気付いて、手を振っていた。トムディも、俺を発見したらしい。父親との一件を気にしているのか、トムディは俺に苦笑して――……ルミルに手を振った。
「ルミル。僕、喫茶店の方に行っているよ」
「あ、うん。分かった、後でね」
「グレンも、また」
「おう」
それだけ言って、足早にその場を離れるトムディ。俺はそんなトムディの背中を眺めながら、漠然と考えていた。
あまり、見たくない光景だっただろう。さっきの今で、『向いていない』等と言われた矢先にこの状況だ。それでも泣き言一つ言わないのは、トムディの強さなのか。
「これから暫くは練習時間なので、ゆっくり見て行ってくださいね」
ルミルの笑顔に、俺は曖昧な笑顔を返した。
*
修道士が帰った後、俺は、喫茶店でルミルの紅茶を飲む事にした。
……テーブルの上に突っ伏すと、何とも言えない気怠さが押し寄せて来る。
「はい、どうぞ」
「おお、ありがとう……」
気付けば、時刻は既に昼過ぎになっていた。
結論から言って、俺の眼鏡にかなう修道士は居なかった。……一般的な魔法が使える修道士は多かったが、いまいちピンと来なかった。何か、光る素質を持っている奴が居れば、また少し違うのだろうが。
…………いや。俺が人材選びに集中出来ていなかっただけ、か。
『赤い甘味』には、相応の魔力が渦巻いている。……あまり、穏やかな状況とも思えない。街に滞在を続ける不自然にも強大な魔力は、他でもない、バレル・ド・バランタインのものだ。
ルミルの持つ『ゴールデンクリスタル』というアイテムも、恐らくだが大きな魔力を抱えるもの。今この街には、場合によってはコントロールが効かなくなる、二つの強大な魔力が存在している事になる。
相反する二つの魔力が衝突すれば、災害にも発展し兼ねない。そんな事を意識してしまい、どうにも人材選びという気分では無くなってしまっていた。
放出され続ける魔力のせいで、バレルの位置が手に取るように分かる。どうしても警戒してしまうが……それは、ゆっくりと近付いて来ていた。
トムディはと言うと、喫茶店の中でも【ヒール】の練習をしていたようで――……未だに、部屋の隅で何かをやっている。
「グレン様、大丈夫ですか? あんまり、顔色が良くないみたいですけど……」
「……気のせいだろ」
夜な夜な訓練を続けているリーシュに言われるようでは、俺も末期だろうか。明後日の方向を見詰め、俺は溜め息をついた。
別に、俺には関係の無い事でもある。意識し過ぎ…………というのは、やっぱりあるのかもしれない。
……もう、サウス・マウンテンサイドを出て、修道士は他の街で探した方が良いような気がしてきたぞ。
「スケゾー。準備、しとけよ」
「大丈夫じゃないっスか? ルミルさんもバレルさんも、知り合いみたいですし」
「そうは言ってもな……」
スケゾーは澄ました顔でそう言うが。……仕方ないだろう。警戒していて事件が起こるのは仕方ないが、呑気に構えていて足下を掬われる訳には行かないんだよ。
特にあの、バレル・ド・バランタインとかいう男は――――…………
喫茶店の扉が開いた。
「よーうルミル、元気してる?」
――――来た。
俺は腕を組んだまま、バレルとは目を合わさずにいた。現れたバレル・ド・バランタインは笑みを浮かべて、真っ直ぐにルミル目指して歩いて来る。
周囲の空気が張り詰めた。魔法の練習をしていたトムディも、この時ばかりは顔を上げて、バレルの様子を見ている。……いや、怯えているのか? 小さな身体を活かして、テーブルの影に隠れていた。
「いや、参ったよ。『ゴールデンクリスタル』を探していたんだけど、どこにも無くてさあ。戻って来ちゃったじゃんよ」
「知らない。帰ってって言ったでしょ。……私はもう、貴方の顔も見たくないの」
相変わらずの、間髪入れずの返答。だが、ルミルには少し、焦りが見えるようにも……俺の気のせいだろうか。
「それでさあ。…………少し、気になったんだけどねえ」
ルミルの言葉を無視して、バレルは歩いた。我が物顔で店内を練り歩き、ルミルと距離を詰めると、下衆な笑みを浮かべた。
「――――お前が持ってるんじゃないの?」
ルミルの表情が、固い。
……本当なのか? ポーカーフェイスをしているルミル。真相は分からないが……これ程までに奴が手に入れたがっている、その『ゴールデンクリスタル』とか言うものは、一体何なのだろうか、とは思っていたが。
召喚士が欲しがるような物。聖職者の多い街で、誰かが持っているという情報。
『結界って、ルミルが張ってるのか?』
『ですです。一応、私も冒険者登録をしているヒーラーなので』
『…………変な事、聞いても良いか? その手の魔法を使おうと思ったら、媒体が必要だろ?』
『ごめんなさい。それは、お話できません』
魔力にモノを言わせる職業が必要とするようなアイテム。そんなもの、大体は魔力増幅の何かだろう。……そうだとしたら。
ルミルは額に汗を浮かべて、バレルとは目を合わさずに言った。
「……知らないわ」
「おー、俺の目を見て言ってみなよルミル。もし違ったら酷いぜ……? 俺、この街ごと潰しちゃうかも」
バレルの標的は、ルミルだという可能性も…………やはり、ある。
いや。かなり高いと見て良いだろう。少なくとも、ルミル・アップルクラインが『聖水』以上の魔力を持つアイテムを所持している事は確かなんだ。
だがそれは、ルミルの言う限りでは、この街を護る為のものだ。……持って行かれては、やはり困るのだろう。
「なァ。……俺さあ、前から思ってたんだけど、お前の事ちょっとイイ女だって思ってたんだよ。そうだな、お前ごと連れてくってのも良いなァ」
「……人を、呼ぶわよ」
「おー、呼んでみろ。お前、俺の魔力に気付いてねえ訳じゃねえんだろ? この街で俺に敵う奴、居んの?」
バレルはルミルの腕を掴んで、自身の側に引き寄せた。ルミルは、懸命にバレルと目を合わせないようにしている。
リーシュが慌て始めた。俺は黙って、その様子を見ていた。以前にも一度、似たような光景を見た――……その時も、バレルとルミルは対立していた。
だが、今回は以前と違う状況でもある。
「やめろよ。怖がってるじゃないか」
トムディが、バレルとルミルの間に割って入った。
唐突な出来事で、バレルは少し驚いているように見えた。同時に、ルミルも驚いている――……この場にトムディが首を突っ込む事が、予想外だったのかもしれない。
考える程の事でも無く、実力に差があり過ぎると一目で分かる。本人もそれはよく分かっているのだろう、緊張しているのか、あまりに多量の汗をかいていた。
「トムディ。お前、まだ生きてたのか」
バレルは、トムディの事が嫌いなんだろう。
特に二人の会話を聞いていた訳では無かったが、以前に『赤い甘味』にバレルが訪れた時、トムディの事をかなり悪く言っていた。……悪足掻きをする人間が嫌いだと、そう言っていたように感じる。
「クールじゃねえな」
トムディの胸倉が、バレルによって掴み上げられる。
「まだ聖職者目指してんのか……? さっさと諦めろよ。お前のそういう所見てると、苛々してくんだよ」
トムディは、どう思っているのだろうか。バレルの事は……嫌いなのか? ……それとも。
「かっ、……関係、ないだろ。それより、変な言い掛かりは、やめろ……!!」
魔力が、動いた。
バレルはトムディを持ち上げ、勢いよく投げ捨てた。あっさりと投げ飛ばされ、壁に激突するトムディ。ルミルが息を呑んで、胸を押さえた。
「お前、誰に命令してんの?」
トムディは咳をしていた。……だが、怪我はしていないようだ。
あれだけの近距離でバレルを見れば、トムディも奴の魔力がどれ程に大きいか、その実情を知る事になっただろう。トムディは怯えていたが、引く気は無いようにも見えた。圧倒的な力の差を見せ付けられても、なお。
……この様子を見る限りでは、父親が言う程腰抜けでもないようには……思えなくも、ないが。
「グレン様!! 加勢しましょう!!」
リーシュが立ち上がり、テーブルを叩いた。見ていられなくなったのかもしれない……だが俺は、席を立ち上がる気は無かった。
「駄目だ、リーシュ。俺達が口を出していい問題じゃない」
「で、でも…………!!」
「どっちが悪いって、俺達に判断出来るのか?」
見た目、バレルの方が悪そうだから。態度が悪いから。そんな理由で、俺達が首を突っ込む訳にも行かない。表面的に見える物だけが全てじゃない。人が好さそうな顔をして、実はとんでもないタヌキだったなんて話は、世間話よりも身近にあるものだ。
そしてその逆もまた然り――――な。
「スケゾーさん!!」
「リーシュさん、申し訳ねーですが……オイラも、ご主人に賛成っスね」
「そんな…………!!」
第一、『ゴールデンクリスタル』がもし仮に驚異的な魔力を持ったアイテムだとして。それをバレルが求めるのも、ルミルが持っているのも、何やら不思議な話ではある。
そんなアイテムの話は、魔導士を始めて五年、聞いた事が無い。最近発見されたものなのか、それとも――……。そんなモノがあるなら、魔導士なんて要らず……そう、魔力を使った武器のようなモノが、とっくに開発されていておかしくはない。
この話、何か裏がありそうだ。
バレルは、俺にも近寄って来た。俺はリーシュを一瞥して、笑みを浮かべた。
「大丈夫だ、リーシュ」
リーシュは、目を丸くしていた。
「まだ居たのか、零の。……余程暇なんだな」
この話は、俺達には何ら関係の無い話だ。誰かに助けを求められたり、血の気の多い奴の矛が俺達に向かない限りは――……俺達は、自分から進んで何かをするべきではない。
「そういや、お前も魔導士続けるとか言ってたよなあ。今ここで、力の差を思い知らせてやろうか?」
…………血の気の多い奴の矛が、俺達に向かない限りは。
俺は足を組んだまま、バレルの視線を真っ向から受け止めた。椅子に座り、スケゾーと共有した魔力を一部、身体の外に放出する。
不敵な笑みを浮かべた。
「――――――――悪いが、お前にゃ無理だよ」
バレルが、顔色を変えた。
召喚士。こいつも分野は違うとはいえ、同じカテゴリの存在だ。だからではないが、殺気を向けられれば話は別。『赤い甘味』の店内に傷を付ける訳には行かないが、戦闘になれば応対しない訳にも行かない。
「大した自信だな。……面白いじゃんよ」
黒く渦巻いた魔力が、俺へと向かう。俺は敢えて、その魔力の流れに一切の抵抗をせず、黙って見ていた。
バレルはすっかり、俺と戦う気でいる…………まだまだ、青いな。
「おい!! 何の音だ!?」
喫茶店の扉が勢い良く開いたかと思うと、何名かの男が顔色を変えて、店内へと入って来た。…………先程バレルがトムディを投げ飛ばした時に、外に居た何人かの人間が気付いていたのだ。
家具が割れる音ではない。店内で喧嘩か何かが行われていると思っても、無理はないだろう。
「…………バレル?」
この街の連中は、バレル・ド・バランタインの事を知っている。バレルは舌打ちをして、外の様子を見詰めた。
既に、何名かの人間は集まって来ていた。
「ちっ…………お前、知ってたな?」
「俺は呼んでねーよ。まあ、こんな真昼に喧嘩しようと思ったら、人の目をある程度覚悟しておけってのは常識だと思うけど。……さっき、街で最強とか言ってたよな。お前が望むなら、『俺もお前の敵になる』が……本気でやるか?」
何やら、こいつはマウンテンサイドを逃げ出した男のようだからな。バレルはすぐに身を翻して、喫茶店の扉へと向かった。
まあ、無理だろうな。ヒーラーだけが相手ならまだ良いかもしれないが……そこに、魔導士と剣士が加わるとなれば。バレル一人では、流石に分が悪いだろう。
バレルは扉の前で振り返り、俺を睨み付けた。
「…………クールじゃねえな。零の魔導士よお、あんまり俺の仕事の邪魔するんじゃねーぜ」
トムディが、部屋の隅で俺とバレルの様子を、ただ見詰めていた。